fragment 14





「日番谷隊長。阿散井副隊長は重傷者ですよ」
柔らかく窘められて、冬獅郎は顔を上げた。
視線の先にいたのは、病室の入り口に立つ4番隊隊長、卯ノ花烈。
「卯ノ花隊長」
「阿散井副隊長。意識が戻ったとはいえ、まだムチャですよ」
「卯ノ花隊長の手当てがいいんで、大分楽ですよ」
ゆっくりと体を起こしながら、恋次が言った。
「日番谷隊長」
「……なんだ」
「朽木ルキアは、断罪されるべきなんでしょうか。あいつは、決して悪いことをしたわけじゃ」
「お前、それを何人に言ってきた」
強い言葉に、恋次は言葉に詰まった。
冬獅郎は小さく溜息を吐いて。
「朽木、藍染、その他もろもろか。それも一つの方法だ。声を上げることも大事だが」
「…………」
「あの大人しい理靜が、動いたらしいぞ。玄鵬を飛び出したらしい」
京楽が楽しそうに今日の隊首会で、冬獅郎に耳打ちしたことだった。
恋次の視線が、強さが変わる。
冬獅郎は内心だけで感心しながら踵を返した。
「邪魔したな」
病室を出たところで、冬獅郎は小さく溜息を吐いた。
遅れて病室を出た乱菊は、少し離れた廊下の壁にもたれかかる冬獅郎に声をかけた。
すぐ脇には卯ノ花もいる。
「隊長」
「朽木の妹の話、どうやら大掛かりになりそうな気がするな」
「え」
「どうしてそう思われるんですか」
おっとりと声を上げたのは、卯ノ花だった。
冬獅郎はそれでも自分よりもかなり高い卯ノ花を見上げながら、
「潜入した旅禍。黒崎一護は、千早が甥っ子として可愛がってる。黒崎一心の息子だ」
「黒崎隊長の」
卯ノ花が少しだけ驚いた表情を浮かべた。
「まあ、懐かしいお名前ですこと」
卯ノ花が四番隊隊長になった時、五番隊隊長は黒崎一心だった。すぐに隊長職を辞して、姿を消したと聞いていた。
「黒崎隊長のお子さんでしたら、とてもお強いでしょうね……でも、それなら旅禍ではないのではないですか?」
尸魂界生まれではないが、親のどちらかが尸魂界出身ならば、それは紛れ込んだ魂魄、旅禍ではなく、正式な手順を踏めば、尸魂界に来ることができるはずだ。卯ノ花の指摘は正しい。
だが、その手順は煩雑で、時間がかかるものであることは冬獅郎も知っていた。
「急ぐためだろう。何せ、朽木ルキアの処刑は明日だから」
少しずつ切り上げられた『極囚』の処刑は、最終決定として先ほど伝えられた。
明日午前。
「となると、藍染の事件と旅禍は無関係ということか?」
「時期が近すぎますね。いや、寧ろそうなるように仕組まれたことなのかもしれないですけど」
おっとりとした口調の割に、核心をついた答えに冬獅郎は溜息を吐いてから。
「卯ノ花隊長」
「はい?」
「なんか、言いたいことがあるんじゃないのか」
促されて、ようやく思い出したという表情になって卯ノ花が言う。
「妙な感じを受けたのです。藍染隊長のご遺体に」
「妙な?」
藍染の遺体は大聖壁と呼ばれる壁の高い場所に本人の斬魄刀、鏡花水月によって刺し止められていた。
泣き叫ぶ雛森を松本が慰める傍らで、冬獅郎は藍染の遺体を降ろしたのだ。
だがその時何も感じなかった。
そのことをいえば、卯ノ花も頷いた。
「具体的に何がと言われたら、答えられません。ですが、何かがおかしいのです。ここに」
卯ノ花は下ろされた遺体を検分し、死亡認定を出した。その時のことを思い出すように、胸に手を当てて、
「何かしっくり来ないのです。感覚的なことですから、わざわざ使いを出してお伝えするのも…と思っていたときに、日番谷隊長がいらしたので」
「………何か」
しっくり来ない。
要領を得ない言葉に、小首を傾げた冬獅郎が、しかし一瞬にして表情を変えた。
卯ノ花も眉をしかめる。
松本だけが半瞬、反応が遅れた。
「え」
「何者だ」
左手は氷輪丸の柄を握り締め、右手は松本を庇うように差し出されていた。
「失礼します」
密やかでくぐもった、しかし確かな声とともに3人の前に跪いた体勢で現れた、全身黒装束の男を見て、松本はようやく理解する。
「日番谷冬獅郎どの。所属はこのようなものです」
跪いた男は、顔の下半分を覆っていた布をゆっくりと持ち上げた。
中年の男だった。
その左頬には、黒く大きな紋章が刺青されていた。
それは二羽の鵬が向いあい、車輪梅をそれぞれ一枝ずつ咥えている。
すべてを囲うように雪輪がつけられている。
名を、玄鵬雪輪紋。
意味するところは、
「玄鵬私軍か」
「いかにも。先肩に属する者です」
先肩。松本もその名前を知っていた。隠密機動と同等の役割を果たし、主の耳となりて情報を手にする。だが、その役割ゆえに生き死には家族にも知らされないという、孤独な任務である。
男は布を元に戻す。声はくぐもるが、しっかりと聞えていた。
「屋形さまの命により、現在の状況をお伝えに来ました」
「私は席を外しましょうか」
卯ノ花が踵を返せば、男は首を横に振った。
「構いませぬ、屋形さまは誰が傍にいおうとも、必ず伝えて参れと」
「必ずだと」
珍しい、千早の言質だった。
冬獅郎が眉を顰めるが、しかし氷輪丸からは手を離した。
「言え。千早は俺に何を伝える」
「はい」
先肩の男は一気に言った。
「玄鵬家は中央霊議廷に与えた統帥代理権を剥奪。護廷衆の玄鵬家の帰属と、四楓院家の代行者として鬼道衆、隠密機動の四楓院家帰属を宣言すると同時に、玄鵬私軍をもって、中央霊議廷に侵入。中央霊議廷にあって、混乱の真因となっている者を排除する」
告げられた内容を、その場にいた誰もが理解できず。
「す、すまないがもう一度言ってくれ」
冬獅郎の言葉に、男は再び同じ言葉を告げる。
「…………………中央霊議廷を排除」
「これは、一大事ですわね」
「続きがあります。よろしいか」
「あ、ああ…」
「混乱の真因は、藍染惣右介を初めとする者たちである可能性が高いので、玄鵬私軍全軍を以ってこれに対処すべし。以上です」
最後に、衝撃がやってきた。
冬獅郎も卯ノ花も言葉もない。
男はもう一度同じ言葉を読み上げるように言ってみせて。
「日番谷隊長。屋形さまに伝言がおありでしたら、承ります」
「……………待て。それは情報、ということだな。俺に対する命ではないのだな」
冬獅郎の言葉の意味を、少し考えて男は答えた。
「はい。そう承りました。命ではないと。混乱しているだろうから、情報を少しだけ与えてあげなくては、と仰っていましたが」
その言いようは、まさしく千早だった。
衝撃で混乱する頭を軽く振って、冬獅郎は苦笑して、
「分かった分かった。じゃあ伝えてくれ。俺は護廷衆として動く、と」
「心得ました。では。山本総隊長も既に伝えてありますので」
男は一瞬で姿を消した。
残されたのは、衝撃だった。
「藍染隊長が…」
「卯ノ花隊長」
呆然としている松本を倒れないように支えていた卯ノ花が呼ばれて顔を上げた。
「はい」
「聞いたとおりだ。救護が忙しくなると思うが」
「玄鵬私軍がこんなことを起こすのは、意外ですが」
松本がようやく自分で立ったので、卯ノ花はゆっくりと手を離し。
「力も戦闘集団としての伝統も十一番隊よりも遥かに長く、上ですからね。犠牲者も多く出るでしょう。いつでも対応できるように準備を」
「頼む」
足早に去っていく卯ノ花の背中を一瞬だけ見送って、冬獅郎は呼ぶ。
「松本」
「………はい」
「俺たちはまず、山本総隊長のところだ」
すべては、そこからだ。
冬獅郎の言葉に、松本の背筋がきりりと伸びた。






抱え上げれば、意識がないにも関わらず、一護は小さく呻いた。
「声が出るぐらいじゃ、傷は浅いわ」
夜一の言葉に同意もせず、理靜は立ち上がる。
「りせい」
呼ばわりに振り返れば、やちるが同じように意識のない剣八をその小さな肩に担ぎ上げようとしているところだった。
「んしょ」
「……やちる、それは無理がないか?」
「ん? なにが?」
軽々と持ち上げる少女に見えぬ怪力を、実際に目にしてからようやく思い出して、理靜は苦笑する。
「忘れてた。やちるは、副隊長だったね…」
「うん。なに、忘れてたって。ひどい」
ぷぅとふくれてみせたやちるだったが、すぐに真顔になって。
「りせいにも、ありがとうね」
「……何が」
「いっちーのこと、剣ちゃんに教えてくれたのって、りせいなんだよね」
「………ああ」
もし、一護の居場所が分からないときが来たら。
理靜はあの時、剣八に協力を断られた時、咄嗟に思ったのだ。
霊査が上手いとはいえない理靜でも、剣八と一護ほどの霊圧がぶつかれば分かるはずだと。
だから、あえて一護の強さを口にした。
聞いたことがない、力。
半分虚化しつつ、鎖結と魄睡を自分の意志で修復し、それだけでなく始解すら学んで来たという。
空鶴邸から去り際、夜一から斬魄刀の名前を聞いて、思わず身体が震えた。
それは数年前、千早が極戎庫からどこかへ移したという、伝説の遺魄刀の名前だった。
ザンゲツ、と呼び名だけが伝わるその遺魄刀は、伝説では尸魂界開闢から存在していたという。
遺魄刀と会話する能力を持つのは千早だけではない、理靜も持っている。
だが理靜はこの『ザンゲツ』と会話を交わしたことはない。
『ザンゲツは、すごく剄い遺魄刀なの』
幼い理靜に母が語った言葉。
そして、一護が手にした力と、『ザンゲツ』の名前。
思わず剣八に一護の名前を語った時、心のどこかで核心があった。
一護は勝てる、と。
だから、剣八にその名前を告げたのだ。
「僕は……卑怯だね」
「りせいがひきょう?」
「うん。剣八さんを利用したから」
「いいんだよ、それで」
やちるは満面の笑みで、告げた。
「いいんだよ。剣ちゃんだって少しは頼って欲しいんだから」
答えにならない答えを残して、やちるは剣八を連れて、姿を消した。
「なんじゃ、あれは」
夜一の言葉は、理靜の思いでもあった。






『……千早』
「そうね、気配がないわね」
千早は溜息混じりに、具象化しない聳弧の言葉に、答える。
軍団長の復田が振り返り、千早は苦笑しながら首を横に振った。
「ここもはずれね…霊議廷の警備隊は随分と多かったのね、知らなかったわ」
「自分も知りませんでした。増員されていたんですね」
決して簡単とはいかない、制圧だった。
素早く周囲を見回して、千早は矢継ぎ早に指令を飛ばした。
「負傷者の数を特定、護廷衆綜合救護舎に連絡。四番隊には連絡がついているから」
各地に連絡として飛ばした先肩の一人から、冬獅郎に連絡するとき、傍らに四番隊隊長卯ノ花烈がいたことも、千早は報告を受けていた。
「可能なら、護廷衆をこちらに派遣するのではなく、負傷者に護衛をつけて下がらせなさい」
「屋形さま、京楽さまより連絡。本隊の準備が整ったと」
「必要ない。一個大隊、精鋭揃いで送ってちょうだいと伝えて。護廷衆から連絡は」
「山本総隊長から指示を仰ぐ旨の連絡が」
「護廷衆、鬼道衆、隠密機動もこれまでどおり、尸魂界警護が一の任務であることは変わらないわ。旅禍の捜索は続けるように。あくまでも捜索を、と」
復田が小首を傾げた。
「捜索、ですか」
「そう、本当は旅禍じゃないのよ。だけど今、私が傍にいない状態でそれを証すことは無理でしょう。だからあくまで捜索、確保までよ」
先肩が応と答え、姿を消して。
とはいえ、偶然にも各地に飛ばした先肩の一人が理靜と夜一、加えて意識のない一護を見つけ、状況を説明、理靜からの伝言を受け取ってきているから、本当は一護の場所は分かっている。
だが、それを護廷衆に教えるつもりはなかった。
できれば、意識のないまま、いや命の危険のない場所で、そう理靜も一緒にいるならなおのこと、玄鵬私軍がすべてを制圧するまで隠れていてほしいと思ったことはなおさら、誰にも告げるわけにはいかなかった。
散発的に始まった攻撃に意識を向けながら、復田が問う。
「屋形さま。朽木家の妹姫のことは」
「例え統帥代理権を剥奪しても、彼女の処刑を決定したのは剥奪前。有効と認められるべき事案でしょうね。だから、処刑決定の以前から中央四十六室の機能が停止状態であったことを証明すべきなのよ…」
千早は幾分鋭い視線を、戦闘に向けて。
「そうでしょう? そうでなければ、玄鵬私軍はただの無法者の集団に貶められてしまう。それだけはダメなの」
かつて千早も何度となく通った場所。
それがここだった。
中央霊議廷、中央大議場。
いつもはここで、数百人の議員が喧喧諤諤と意見を交わす声で議場は喧騒に満ちているのに。
今は散発的に飛び込んでくる警備兵による奇声しか聞えない。
だが見慣れないものが一つあった。
議場の中央に据えられた、大きな椅子。
誰が座っていたのか、今となってはすぐに思い当たるのだけれど。
中央霊議廷、ならびに中央四十六室の制圧。
それは場所ではなく、構成員である議員を速やかに拘束することに意味がある。
だが、ここには議員の誰一人、姿がなかった。
千早は小さな声で、手の中の聳弧に問う。
「聳弧。鏡花水月の気配は?」
『分からない。だが、近くにはいない』
「そう。じゃあ、ここは本当にもぬけの殻なのね」
千早は厳しい表情のまま、議場を出て行こうとした。
意識が戻り、理靜からルキアの処刑が明日だと聞かされれば、一護は出て来るだろう。
そしてともに理靜も。
そこで何が起こるのか、千早にも分からなかった。
だから、それまでに中央霊議廷を制圧したいのだ。
議場前の廊下に穿たれた窓。
その向こうには、細い月が出ていた。
夜が来た。
朝には、ルキアの処刑が始まる。
千早は聳弧を握る左手ではなく、右手に力を込めて握り締める。
胸に蟠る、怒り。
誰かに向けられるものではなく、自分自身に向けられた怒り。
その時。
奇声を上げながら飛び込んでくる集団があった。
青の装束は玄鵬家ではなく、霊議廷の警備兵を表している。
声を聞きつけて、復田が声を上げる。
「屋形さま!」
千早は無言のまま、聳弧を構えた。
「聳弧。行くよ」
『久しぶりだな、千早』
聳弧の声は、まるで千早が戦うのを喜ぶようだった。



← Back / Next →