fragment 17





中央霊議廷と中央四十六室の、狂騒。
促したのは、藍染。
遵うは、市丸と東仙。






理靜は表情を変えた。
小さな声で、鸞加の柄を握り締めながら言う。
「鸞加」
『うん、理靜の望むままに』
「わかった」
顔をあげた理靜は、告げる。
「みんなはここに。僕は双極に戻るよ」
「え、でも」
「僕は止めなくちゃいけないから」
意識をこらせば、双極に数人の霊圧が感じられた。
一つは、ルキアのもの。
恋次のものも感じられた。だがそれらを覆い隠すほどの巨大な霊圧が3つ。
「くそ」
だが理靜より早く動いたのは一護だった。
その様子にさすがに理靜も慌てた。
「一護!」
「先行く!」
学び始めて数日の瞬歩で一護が姿を消した。理靜は深く溜息を吐き。
「みんなはこの辺りに。やちる、頼むよ」
「は〜い」
にこにこと手を振られながら、理靜は姿を消した。






一瞬、一護に遅れたことがこんなことになっているなんて。
理靜は歯噛みした気分で、素早く鸞加を抜いた。
見慣れていたはずの、しかしあまりにも見たことのない表情で、藍染は嘲った。
「おや、理靜くん。君は僕に刀を向けるかね」
「向けないわけにはいかないでしょう。あなたは……反逆者だ」
告げられた言葉に、藍染は口元だけで笑んだ。
「反逆者、か。それに誰に対してだろうね。尸魂界? それとも玄鵬家?」
「………疾く舞え、鸞加」
一瞬迷った、しかし告げられた始解の言葉に鸞加は応えた。
左手首と手甲に細い銀色の筋を絡ませながら銀の刀身が輝く。
藍染が目を細める。
「君の鸞加は、確か、戦闘系とは違ったじゃないかい?」
「そうですね…最初はそうでしたね」
理靜はちらりと辺りを見渡した。
横たわり身動き一つしない恋次。
必死に顔を持ち上げているけれど、その腰あたりにむごたらしいほどに抉られたあとの見える一護。
理靜が飛び込んだとき、ルキアの首は藍染が手にかけていたけれど、今は市丸が藍染から受け取り、ともすれば弛緩して崩れ落ちそうな身体を支えていた。
「少なくとも、数十年前は」
「まったく、君たち親子は私の予想を軽々と越えてしまうね」
藍染は溜息を吐きながら、嗤う。
「祖父はそれを憂いたのかもしれないが……まあ、死んだ人間のことを問うても、ましてや君が生まれる前の人ならば、聞いても仕方がないか」
あっさりと実の祖父を切り捨てるように言って、藍染は一瞬考え込み、それから嗤いながら言った。
「そうだ。親子で思い出したよ。教えてくれないかい、理靜くん。霊色視の意味を」
その笑みは、どう思い出しても理靜の中で藍染と結びつかないほどの笑みで。
背筋にぞくりとした寒気を感じながら、理靜は低く構えながら、
「霊色視の、意味ですか」
「そう。玄鵬一統、特に宗家に近しいものだけに宿るといわれた、能力だね。君も持っているんだろう?」
霊絡の見分ける能力が、実は持つ者が限定された能力だと知ったのは昨夜のこと。
ましてそれが特別な能力だとは思いもしなかった。
普段から意識を集中すれば、自然に近くにいる者の霊絡を見ることが出来た。
今でも、藍染の玄鵬一統らしい、少しばかり橙を帯びた赤い霊絡、それよりもずっと朱色に近い市丸と東仙の霊絡の色を認識できる。
とはいえ、霊査が得意ではない理靜にとって、霊色視を持続するには集中力を削ぐことにもなるのだが。
「……それが何か」
「教えてくれないか。霊絡の色が、それほど大事か」
「………」
「なんで色が見えないといけないんだろうね。それで霊王を見分ける? そのためだけの能力?」
「…………」
理靜が黙り込めば、藍染はそれを同意と感じたのか、話を紡ぐ。
「そもそも霊王というものが、必要なんだろうか。必要ならば、数千年空位である理由はなんなんだろうね。その間、四面家が、中央霊議廷が君臨してきたのだから、空位の意味などないのかもしれない」
不意に思い出す、幼い頃の母の言葉。
『霊王は、心の中から生まれてくるのよ』
『心?』
『そうよ。多くのものが持っているのよ。小さな、霊王になる欠片をね。それは私も理靜も同じ。でも、それを本当に使いこなすことができるのは、霊王だけ。誰かを、みんなを守りたい、という強い意志の焔に晒されて、欠片は初めて芽吹くものなの』
芽吹かせた者が、霊王になるのよ。
見るも眩しい、黄金の霊絡をその身に纏って。
「………あなたは、望んだことがありますか」
「ん?」
静かな理靜の問いかけに、藍染は意図をはかりかねた。
「望む、とは?」
「……あなたは、霊王になりたいんですか」
続いた問いに、藍染は笑む。
「永く空いた天に誰か立たねばならないのなら、私が立とう」
「霊王になるのに必要な条件は、一つだけです」
幼い頃から、いや、おそらくは生まれた時から、理靜は『玄鵬』理靜として生を享けた時から、否応なく、『霊王』との関わりを持たされてきた。
母は霊王が尸魂界だけでなく、すべての世界のために必要な存在であることは、幼い頃から語ってきたけれど、霊王の条件のことなど、一切語ったことはない。
ただ一言だけ。
霊王の霊絡は、黄金に輝く。
それだけしか語って来ず、理靜もただそれが霊王の証だと思っていただけだった。
玄鵬理靜である以上、霊王たる条件について考えたこともあった。何より、先代霊王によって次代霊王の出自と認められた玄鵬家ならばなおのことだ。
玄鵬の血を引く、優れた人物。
だがそれはあまりにも抽象的で。
理靜にとっては、とらえがたいものでしかなかった。
だが、実際。
霊王の霊絡に触れて。
今は、思う。
地位も、知識も、必要ない。
ただ必要なことは一つだけ。
それを持っているからこそ、『彼』は霊王になった。
眩しいばかりの、黄金の霊絡を理靜に見せてくれる。
「あなたは、持っていますか」
「………なんのことかな」
初めて、藍染が余裕の中に苛立ちを見せた。
「母は言います。欠片をいくら集めても、それは欠片でしかないのだと。それ故に、玄鵬は過ちを犯した。その過ちの象徴が母であり、藍染の乱だったのだと」
ねえ、理靜。
私の魂魄の中には、『霊王の欠片』が多くあるの。あなたの中にも、人より多くの欠片があるわ。
私の存在そのものが、玄鵬家が長らく思いつづけてきた霊王への道だった。
だけど、藍染の乱で気づいたのよ。
欠片は、欠片でしかないの。
大切なのはそれを集めることではなく、欠片をどう生かすか。
「あなたは、生かすことができますか?」
「生かす? 分からないな。能力ではないのか、霊王の欠片というのは」
「違います。霊王の欠片とは、ただの魂魄の、欠片に過ぎません。人を越えた霊力や能力を与えるものではない」
藍染は嗤う。
「そうか。ならば、それを持たぬものでも天に立つことは可能だろう?」
「天に立つという意味が僕にはわかりませんが」
理靜は、静かに答える。
藍染の背後にはルキアを抱える市丸と、黙然と立つ東仙がいる。
隊長格3人を相手にすることが、どれほどムチャなことか。
分かっているつもりだったが、今はルキアと恋次と一護のために、引くわけにはいかなかった。
勇音が生み出した『天廷空羅』で、隊長格の全員が藍染の裏切りを知っている。そして藍染が双極にいることも。
少しだけでも時間を稼がなくては。
「霊王は、尸魂界に君臨するためだけにいるわけではないんですよ」
「……ほお、初耳だね」
藍染が少しだけ話を聞く体勢を見せて、理靜は内心だけで安堵の溜息をついて、鸞加の刃先を藍染に向けたまま、
「霊王は『秤を持つ者』とも伝承では伝えています。『調和者』とも」
「聞きなれない言葉だね」
「霊王に必要なのは、特別な能力ではない、と僕は思います。だから……あなたがしていることは、まったくもって無駄です。それにルキアちゃんの中にあるものを奪ったところで、霊王にはなれない」
「………同じ言葉を、君の母上も言っていたよ。これは一つでは意味を為さぬと」
「ええ。それは『秤を持つ者』、あるいはその代行者が使うものだからですよ。道具が一つで、それ以外のものも、使う者がいなければそれはただの」
視線でルキアを見つめて、
「ただの、玉でしかない」
「そうかな」
藍染は瞬歩で市丸の傍らに移動し、次の瞬間にはルキアの胸部に自らの腕を差し込んだ。
「…!」
弛緩して動けないルキアの表情が恐怖に変わる。
理靜は思わず瞬歩で動きながら藍染に最上段から鸞加を振り下ろす。
が。
「すいません、藍染はん」
「ああ、いいよ」
ゆったりと交わされた会話のあと、市丸が低く告げた。
「射殺せ、神槍」
その声に、理靜も気づく。
鸞加を振り下ろしたはずのそこには、藍染の姿はなく。理靜の顔面に神槍の切っ先が迫っていた。
半身を反らしたけれど、鋭い刃先は右肩を深く抉り、一瞬理靜は痛みに顔を歪めるけれど、それだけだった。市丸が声を上げる。
「いやあ、結構本気やったけど。やっぱり斬神の息子だけあるなぁ」
「……藍染」
低い声は、しかし市丸ではなく少し離れた場所に移動した藍染に向けられたもので。
その場にいた誰もが聞いたことがないほど、低い声で理靜は唸るように叫んだ。
「ルキアを離せ、藍染!」
ルキアの中に腕を差し込んだ藍染は、あくまでも穏やかに言う。
「ギン、玄鵬一統の総領息子を舐めちゃいけないね」
「ほんまや。本気、出しますわ」
斬魄刀にしては決して大ぶりな方ではない『神槍』の切っ先を理靜に向け、市丸は笑んだ。
まるで、戦うことが心底楽しいと、語るかのように。
「ほな、いきます。東仙はん」
「……………好きにしろ」
東仙の応えが、市丸の動きを促したようだった。
ふわりと身軽く打ち込まれた斬撃を、しかし理靜は受け止める。見かけとは違うその重さに、理靜はしかし一歩後ずさるだけ受け止めて、鍔で受け流し、返す刀で下段から切り上げる。
「うわっと」
あくまでも身軽く避けて、市丸は眉をひそめた。
風圧で隊長羽織が幾分破けていたからだ。
「あちゃあ、やっぱりうち、この人とウマあわんなぁ」
「侮るからだ」
静かな声に、理靜は俊敏に反応する。
打ち込まれた斬魄刀を半身で避けて、身体の流れに任せて突きをくりだす。
「いやあ、東仙はん。あんたも参加するやなんて、いけずやなぁ」
「五月蝿い。片付けるのが先だ」






差し込んだ腕をゆっくりと引き抜き。
手の中に輝くそれを、日の光に照らしてみる。
「………随分と、小さなものだな」
硝子状の小さな器に入った、漆黒に輝く球状のもの。
これを手に入れるために、随分と潜行しつづけてきた。
ようやく、手に入れた。
これで。
「これで、私は天に立つ」






「ギン」
市丸がゆっくりと振り返れば、藍染は嫣然と笑った。
「始末しろ」
「しゃあないなぁ」
決して諦めず刀を向ける理靜を東仙に委ねて、市丸は呟いた。
ルキアに向って駿速で伸び行く刀身に、東仙の刀を受けながら理靜は声にならない叫びを上げようとして止めた。
だがその一瞬、気がそれたことで東仙の刃が左の二の腕を深く抉った。






弛緩して動かないルキアの身体を、藍染から奪うように受け止め、神槍の刃を受けたのは白哉だった。
まっすぐに藍染と市丸を睨みつけていた白哉だったが、市丸が神槍を引けば膝をつく。
「なんで次から次へ、死ににくるんやろな」
溜息混じりに市丸が再び神槍をかまえようとした時。






藍染の元には、夜一と砕蜂が。
市丸の元には、乱菊が。
東仙の元には、檜佐木修兵が。
「…………動かないで。動くと、斬らないといけなくなるから」
乱菊の言葉が、すべてを表していた。
双極に、護廷衆の隊長格が集まっていた。
「おい、生きてるか。理靜」
座り込みそうな理靜の右腕を取ったのは、剣八だった。
理靜は粗い息で応えた。
「死んではないですよ…なんとか」
「そうかよ。あとで四番隊、連れてってやるけど少し待ってろ」
緊張と衝撃で静まり返ったその場に、藍染の穏やかな声が響いていた。
だが、理靜の思いは違うところにあった。
「………なんで」
「あ?」
「なんで、あんなに落ち着いていられる……」
護廷衆の隊長格がこれほど集めれば、いくら3人とはいえ、藍染達に逃げ場などないはずだ。だが、それでも藍染は逃げる様子もなく嫣然と笑っていられる。
何か、違和感があった。
そして異変はすぐに起きた。
天を裂いて降りてきた、反膜。
敵であるはずの、虚に守られた光に包まれて、藍染はまた嗤う。






「私は、天に立つ。それだけだ」






千早が双極にたどり着いた時、双極上空にはまだ藍染の姿があった。
藍染も千早の姿を見つけて、左手の中の漆黒の玉を千早に見えるように差し出しながら、言う。
「これはいただいていくよ、千早さん」
「……なぜ、わからない。天に立つことを望む者ほど、奈落の底に堕ちていくというのに!」
千早の絶叫に、空を見上げていた浮竹が表情を強くする。
「惣右介、お前の望みは、世界を破滅に導く嚆矢でしかないのよ!」
「それでもいいさ」
藍染は天空に裂けた穴に足をかけて。
「破滅と創生。それも天位にある者の、役目だろう?」






さようなら、私を理解しなかった人。
藍染の最後の言葉を残して、裂け目は姿を消した。
裂け目があったはずの場所を見上げて、千早は小さく呟いた。
「…………囚われるのは、私だけでよかったのに」
過去という逃れがたい、因果。
藍染の乱という名の、過ちを受け入れるのは、自分だけでよかったはずなのに。
千早の頬を涙が一筋流れ落ちたことに気づいた者は、いなかった。






嵐はとにもかくにも、去った。
卯ノ花の指示で続々と集合し始めた四番隊隊士たちが手際よく怪我人の治療に当たっている。
そんな中で千早は山本総隊長に声をかけた。
「重じい」
「千早どの。なんとも憂慮すべき事態じゃの」
「そうね、でもなんとかなるでしょう」
全く井戸端会議のように交わされた言葉のあとに、千早は小さく笑みながら山本に告げた。
「こちらも力をつける時間は、充分じゃないけどあるわよ」
「ふむ。それと」
山本は素早く身なりを整えて、双極を覆う騒乱を見遣って。
「霊王のこと、まことかな」
「ええ。待ちに待った霊王よ。ようやく」
安寧の時代が近くなるかもね。
千早の笑みに、山本も従った。






一応の応急処置を受けてから、理靜は辺りを見回した。
動かせないほどの重傷者は一護と恋次、白哉の3人だった。
「玄鵬どの」
「うん、あとで救護舎に行きます」
理靜の応えに満足したように頷いた四番隊席官は次の治療のために、駆けていく。
理靜は少し不自由に立ち上がりながら、一番近くの一護のもとに向った。
仰向けに寝かされた一護の周りを、淡いオレンジに輝く膜が覆っている。
よく見れば傷口がまるで空に吸い上げられていくように見えた。
それが井上織姫の治療方法だった。
初めて『三天結盾』を見た理靜は素直に感想を言った。
「すごいね、尸魂界のやり方とは全然違うね……」
集中していた様子の織姫が額に汗しながら笑う。
「そうなんですか、あたし、これしかできなくて」
「これだけできれば見事だよ」
覗き込めば、どうやら一護の意識もあるようだから、理靜は静かに話し掛けた。
「一護」
「…………ああ」
「どう、具合は」
「いい、とは言えねえな……他の奴は」
「恋次さんは少し動かせるようになるまで治療して、救護舎へ。白哉さんも同じだね」
「そうか」
「大丈夫よ、二人とも心配ない」
理靜の声ではない声に、一護が一瞬瞠目する。だがすぐに穏やかな表情を取り戻した。
「そうか、よく考えたらさっきいたな」
千早姉、と呼ばれて千早は小さく微笑んだ。
「お疲れ、一護」
それが2年ぶりの『叔母と甥』の再会、だった。




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