fragment 20





「よお。身体、いいのかよ」
言葉と同時に飛んできた紙袋を受け取りながら、恋次が笑った。
「四番隊のおかげですよ、毎度毎度処置が早えから、おちおち寝てらんねぇ」
とはいえ、乱れた寝巻きの下に包帯が厚く巻かれているのを見て、一角は目を細めた。
「いいのかよ、こんなところにいて」
「いやあ、一護の野郎の霊圧が上がったから、何事かと思ったら……」
恋次は一段と高い峻至園を見上げた。
先ほど、一護の霊圧が急激に上がるのを感じた。病室からその方角を確認できなくて、看護員の静止も振り切り、廊下まで出てみて、気づいた。
少し前までなかった、建物。
峻至園一帯に、巨大な建造物が出現していた。
「あ、タイヤキ。ありがとうございます」
「おうよ」
かつての上官だけに恋次の好みはよく知っている。一角は恋次の横に座って、木々の合間に聳え立つその建物を眺める。
「ありゃあ、なんなんだ」
「さっき、看護員の子が教えてくれましたよ。峻至園には霊王廷が眠ってるって昔話を、年寄りに聞かされたことがあるって」
「………霊王廷かよ」
「そうらしいっすね」
いただきますと声を上げて、恋次は湯気のたつタイヤキにかぶりつき、
「あめえ、うめえ」
「救護舎の飯は不味くはないが、上手くもねえからな」
甘い物好きの恋次が、きっと涙を流して喜ぶだろうと思って買ってきたタイヤキだったけれど。
「おま、マジ泣きかよ!」
「うまいっすよ、タイヤキ…」
滂沱の涙を流されては、逆に買い与えてはいけませんの訓令でも出ているのかと思ってしまう。
「…………霊王廷が出たってことは、霊王が生まれたってことか」
「玄鵬一統の決起も、霊王更臨が理由だったんでしょう?」
もぐもぐと、タイヤキを頬張りながら恋次が言う。
「一角さん」
「あ?」
「俺、さっきから妙に確信持ってることがあるんすけど」
「なんだ、そりゃ」
「言っていいすか」
「言えよ」
「霊王。一護の野郎、じゃねえかって」
「あ〜、お前」
咎められると思ったのに、一角はにやりと笑って。
「俺もそう、思ってた。あいつが霊王なら、面白そうだな」
「そうっす、ね」






「でけえ、ほんでもって広いな」
「……もっと表現できないか、一護」
「うるせえ、どうせ俺はボキャブラリーがねえよ」
「ぼきゃ?」
「………語彙能力」
なんでこんなところで、英語の単語テストを思い出さなきゃいけないんだと、内心で愚痴ってみる。
「大きくないといけないのよ。多分一護の想像している宮殿とは意味合いが違うから」
千早の言葉に、一護が首を傾げた。
「違うのか?」
「ええ。ここが瀞霊廷になることもありうるから。つまり、瀞霊廷の機能が全部ここに入りきらないといけないのよ」
今のところはこのくらいの大きさでもなんとかなるわね。
千早のあっけらかんとした言い様に一護は一瞬黙り込む。
「とりあえず一護の居住区を決めないといけないわね。それから四面家。もちろん志波もよ」
「おう。できれば上の階がいいぞ。花火打ち上げるのに便利だからな」
「白哉と夜一の希望は?」
「特にない」
「宝物庫を移動させねばなるまい?」
「そうだね、極戎庫があった」
引越しの工面を次々考えている様子の千早に、一護は小さな声を上げた。
「おい、千早姉」
「ん?」
「…………引越しのことはいいから」
「そう?」
「俺に今の状況を説明しろ!」
そこは数階分の高さを持つ、吹き抜けになっていた。天井は丸いドーム型をしていて、硝子が嵌め込まれ、陽光が燦燦と降り注いでいる。
階段を上がって最初に出る場所。おそらくは玄関ホールと言ったところか。
ホールから真直ぐ6方向に広い廊下が続く。
一行が立っていたのは、そんな場所だった。一護の怒声が、がらんとした空間に反響して、木霊しながら廊下の奥へ抜けていく。
「うわ、響くねぇ」
「人が住むようになればこうはいかないと思うけど」
理靜が怒声で息が切れた一護の肩を軽く叩いた。
「とにかく、どこか落ち着いて座って話のできる場所を探そう。外に出てもあれだけ観客がいるし、ね。そうだ、雨竜くんたちにも入ってもらわないと」
呼び込まれた雨竜たちは一瞬、言葉を喪った。
「あ、こっちこっち」
手を振る理靜が、あまりにも違和感に溢れていた。
霊王廷と呼ばれた建物の広さと、玄鵬家の供人だという使いの者に誘導されて入ってきた部屋は、部屋というより。
「……体育館のようだ」
「広いねぇ〜」
はあ、と溜息を一つこぼして織姫は高い天井を見上げた。
「高いねぇ〜」
幼い頃メキシコで見た、教会の天井のようだとチャドは思う。
雨竜たちが入ってくるのと入れ違いに、数人の供人が三人に頭を下げながら出て行った。
広く、高い部屋。
その真中に違和感を伴う理靜たちがいた。
「……………なんなんだ、この違和感ありまくりの一団は」
「あ、竜弦くんところの息子さん?」
突然父の名前を挙げられて、雨竜は思わず鼻白む。
にこにこと笑顔の女性が立ち上がった。
「こんにちは。お父さん、元気?」
「……知りません」
「あら、仲が悪いって竜弦くんに聞いてたけど本当だったんだね。えっと、理靜?」
「井上織姫さんと、茶渡泰虎くん」
理靜の声に、二人が頭を下げると耳横に小さな髪飾らしいものをつけた女性は微笑んだ。
「息子と甥っこがお世話になって……なりっぱなしだねえ、一護?」
「うるせえ。石田、チャド、井上。俺の叔母さん。理靜のお袋さん」
「……………なんだと」
「え、お母さん? 若いですねぇ」
「あら、織姫ちゃん、お世辞を言っても何も出ないけどね。玄鵬千早です。はいはい、座って座って」
なんだかほのぼのした会話のあとで、ようやく雨竜が気づいた。
「……なんでこんな広い部屋に何もないのに、ここにはピクニックセットが揃ってるんだ」
「だって、数千年ぶりに姿を見せた霊王廷に、ものがあるなんて思ってなかったから」
広げられた毛氈の上に、座る。
中央には茶菓子がこれでもかと山積みされている。
千早が、供人が準備していった小さな風炉の上で蒸気をあげている釜から杓子で湯をガラスポットに注げば、湯は濃紅色に変わり、甘い香りが漂い始めた。
次々と湯飲みに分けて、理靜が手際よく全員に渡していく。
「白哉さん。無理しないで、座ってください」
理靜が促したのは、供人が用意していった座椅子だった。
重傷であった白哉は正座したまま、首を振るがすぐ脇に座るルキアの心配そうな視線が理靜は気になった。
無理をしているのは、一目瞭然だった。
「……よい」
「ルキアちゃんにこれ以上心配かける前に、大人されたほうがいいと思いますけど?」
白哉とルキアの視線が交わり。
白哉は小さく溜息を落として。
「わかった」
「で、説明しろよ。千早姉」
「…まったく、うちの甥っこは気が急いてしょうがないんだね」
果物の香りを漂わせる真っ赤な飲み物を一口飲んで、千早はくすりと笑う。
「そういうところは、一心兄上によく似ているわ」
「……話を誤魔化すなよ」
一護が低く、言う。
「俺は、なんだ」
「何を今更」
千早は手の中の湯飲みの温かみを感じながら笑む。
「あなたは黒崎一護。黒崎一心の息子、そして5代霊王陛下、よ」
毛氈に座るのは、一護、チャド、石田、織姫の旅禍。
玄鵬家からは千早と理靜。
朽木家は白哉とルキア。
四楓院家は夜一。
志波家は空鶴と岩鷲。
総勢11人が、千早の声に耳を傾ける。
「じゃあ、少しまどろっこしいかもしれないけど、尸魂界の成り立ちから説明させてちょうだい」
「………必要なんだな」
「ええ」
「わかった」
一護の憮然とした返事を聞いて、千早は背筋を伸ばして語り始める。






この世界は、いくつもの世界で構成されている。
だが、我らの知り、つながる世界は4つ。
現世、この世と呼ばれる現魂界。
隠世、あの世と呼ばれる尸魂界。
現魂界と尸魂界を分け、世界の多くを構成するものの、何も存在しない、無界。
そして、何ゆえの存在か分からぬ、虚界。






現魂界の時の流れで言うならば数万年ほど前まで、現魂界と尸魂界は僅かに繋がっていた。
死者の魂魄は例外なく尸魂界に向かい、一定の期間を過ごしたのちに無界に赴き、魂魄に刻まれた記憶を削ぎ落として、現魂界での転生に向かうこととなっていた。
しかし、現魂界と尸魂界が僅かに繋がっていた場所に巣食う者あり。
その名は虚外。
悪しき者であり、死して魂魄となりて後も生者死者隔たりなく害を成し、のちに他者の魂魄を喰らうことに愉悦を覚えるようになったためにその姿は異形となり、他者の魂魄の力を吸収して、強大になり、死者の魂魄を手当たり次第に吸収し始めた。
これを憂いた尸魂界の者たちは、一人の力ある者を虚外を滅するために向かわせた。
その名は、霊源。
霊源は4人の優れた従者とともに、虚外を滅する。
しかしこの戦いのために、現魂界と尸魂界を繋いだ僅かな空間が破壊され、よって現魂界の魂魄が彷徨い、4つの世界の均衡が崩れ始めた。
それ故に、霊源と4人の従者たちは『無界を穿つ門』をつくり、魂魄の道しるべとした。
それらの功績を認められ、霊源は尸魂界の王となり、霊王と呼び示された。
続く従者たちも霊王の補佐として重要な地位を占める。






時は移ろい、霊王にも死の時が訪れる。
王は転生を誓い、眠りにつく。
王が空位の間は、4人の従者の末裔が尸魂界の執政として統治してきた。
末裔はそれぞれ、玄鵬、四楓院、朽木、志波を名乗り、やがて霊王と従者たちによって築かれた平穏によって栄えはじめた尸魂界で強大な権力を得ることになり、四面家と称される。






穿界門は綻ぶ。
時に虚界より、招かれざる者が訪れ、あるいは虚外のような存在が穿界門を傷つける。
それでなくても、数千年のうちに、穿界門の綻びは限界に達する。
そして、霊王の転生は穿界門の綻びを癒すため、あるいは世界の安定のために、繰り返される。






4代霊王は、その肉体が霊子の単位に還元される前に、遺言を残す。
次代の霊王は、四方家の一、玄鵬家の血筋の中に。






「………と、統学院の青史書で習うでしょ?」
促されて、その場で唯一の統学院出身者であるルキアが頷いた。
「はい」
「……で、霊王の話はどうなったんだよ」
「まだまだ、これから〜」
「……千早姉」
「怒らない怒らない」
千早は軽やかに言う。
「先の霊王陛下が遺言なさったとおり、玄鵬の血筋の中に次代の霊王がいる。これでまず霊王候補、そう候補とあえて言うけどね。霊王候補は絞られるのよ。それに、私と理靜が持っている能力」
「霊色視、というんだ。玄鵬家に代々伝わる能力で、その人の霊絡の色を見ることができるんだよ」
理靜の言葉に、雨竜が何かを思い出したように顔をあげた。
チャドが問う。
「石田、どうした」
「それって」
「うん。滅却師もあるでしょう? 霊査の一つの方法で、虚になりやすいなりにくいまで分かるって、宗弦さんは…言っていたね」
千早の口ぶりが、今は亡き祖父を直接知っていたのだ、と雨竜は気づいた。
「なら、雨竜くん。今の一護を霊査してみて。霊絡の色、わかるかな」
促されて、雨竜は目を閉じる。
ここにいる全員が霊圧が高い。涅マユリとの戦いで霊圧をほとんどなくしてしまった自分が、矮小に思えるほどの。
その中で、一護の霊絡は。
「………なんだ、この色は。黒崎、霊絡の色が変化している!」
「は?」
一護は思わず自分の胸元を見下ろしたが、もともと霊査が得意でないので渋面を浮かべながら、
「なんだよ、変化って。俺のは確か、赤いって言ってたじゃねえかよ」
かつて現魂界で戦ったとき、雨竜は一護の霊絡を見て、『ものの見事に死神らしい赤い色だ』と表現したのに。
「……今は違うぞ……すごい、金色だ…」
「金色?」
「そうよ。それが何より霊王である証」
一護はもう一度自分の胸元を見下ろして。
「……変わるもん、なのか」
「普通は変化しないね」
立ち上がった千早が一護の前に座った。
「一護、教えてちょうだい。この尸魂界に来て、戦ったのはなんのため?」
「……ルキアを」
一護はちらりとルキアを視界の隅にとらえて。
「ルキアを助けるため」
「うん。じゃあ、現魂界で死神代行しているのは?」
「……うちの妹とか、井上とか、チャドとか……知らない奴でもいい、守りたいからだ」
千早の双眸を、一護の双眸がまっすぐにとらえた。
「感謝してもらいたいとか、そんなことは関係ねえ。ただ、誰かが死ぬとか、そういうのは見たくないんだ」
『……母さん、燃やしちゃうんだ』
幼い少年が、千早に告げたこと。
小さな双眸が、必死で涙を堪えながら訴えた母の死の否定。
その少年が、力強く千早に言う。
「守りたい。それだけだ。だから強くなりたい」
「……両の手でつかめるものなんて、わずかだよ?」
「それでも構わない。俺は、守りたいものを、守るだけだ」






『守りたいものを、守ったから』
『……守りたい、もの?』
『そう。一護だよ』






ああ、そうだ。
先に逝った母の思いを、少年に告げたのは千早だった。
妹を守れと言った千早の言葉に、力強く頷いた一護。
あの時と変わらぬ双眸が、そこにはあった。
千早は小さく息を吐いて。
「そう、その思いの強さが一護、君を霊王にしたんだよ」
「……なに?」
「ここにいる全員が、本来なら霊王になりうる可能性を持っているのよ。確かに出自は玄鵬一統からって言われているけれども。私たちはすべからく、霊王になる可能性を秘めている」
かけらを、持つから。
千早の言葉に、白哉も目を細めた。
「千早どの……かけら、とは」
「うん。これは喜助の研究の成果っていうか、まあ、憶測なんだけど。少なくとも玄鵬家がやってきたことに比べたら、ずっと筋が通った話なんだけど」
一瞬、理靜の表情が曇ったけれど、千早はあえて指摘せず話を続ける。
「魂魄は必ず、尸魂界を経て、無界に行くでしょ? で、無界で霊絡を無にした状態で、現魂界に生まれてくる。つまり、魂魄はリサイクルされているのよ。まあこれも無界に行った者がいないので憶測でしかないけど」
「リサイクルって……」
「転生って言い方をすればいいかな。でも、基本的に転生後の魂魄は転生前のことを綺麗さっぱり忘れているわけだから、やっぱり無界でリセットされている可能性は強いでしょう。それは霊王の魂魄も同じ。同じはずなんだけど……玄鵬代々の当主が見てきたように、霊色視でみることのできる、霊王になれる可能性が強い、黄金まではいかなくても赤橙色の霊絡を持つ者はいるのよ」
「千早と理靜の霊色視を疑うつもりは毛頭ないのじゃが」
夜一が肩を竦めながら、
「つまり喜助の結論はなんじゃ」
「そうね。喜助はこういったの。魂魄はリサイクルされているのだろう。だが、ごく一部の魂魄は無界にいる間に、霊王の魂魄のかけらを魂魄に内包しているんじゃないかって」
「魂魄に内包…じゃと」
「うん。それ聞いて、あたし納得したんだよ。霊王はなぜ、数千年も空けて更臨するのか。喜助の話を聞いて、納得できた。魂魄そのものがリサイクルされるなら、千年も必要ない。だからこの場合、必要なのは霊王の魂魄のかけらを内包した魂魄と、思いの強さ」
それが霊絡の色を変えていく。
赤から黄金へ。
燃え上がるように。
思いが強ければ強いほど、新たな霊王となる。
「思いの強さ」
「一護、あなたが守りたいと思う気持ち、それが一護の中の霊王の魂魄のかけらを強く、輝かせたんだとあたしは思うの」
だから。
千早は溜息を吐き出しながら言った。
「だから、惣右介の思惑は間違ってるのよ」
その名前に誰もが瞠目する。
「母上」
「………惣右介は、天に立つと言った。霊王になるつもりなのね。だけど」
誰が霊王になろうと、私には意味がない。
新たなる霊王を倒して、私が霊王になればいい。
それがあなたのいう、世界のためだ。
捻れた思いの強さは、自分の視界を狭めるだけだというのに。




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