fragment 21





「一護。惣右介は崩玉を持っていってしまった。あれは、本当は」
「うちのもんだ」
今まで語らなかった空鶴が溜息を吐きながら、
「あれは兄貴が千早に預けたものだ」
「兄貴?」
ルキアが小さな身体を震わせる。
白哉は目を細めてそれを見て、宥めるように背中に手を置いた。
岩鷲がちらりとルキアを見たのが分かったので、空鶴は軽く弟の膝に手を置いて。
「志波海燕、俺たちの長兄で志波家の先代当主だよ。護廷衆で浮竹隊長んところで副隊長やってた…まあ、それが忙しくなるからって千早に崩玉を渡したって聞いてる。あれは常に使えるようにしとかねえといけねえものだからって」
覚えている。
海燕が名残惜しそうに、崩玉を撫でて。
『ホントは空鶴か岩鷲に譲るべきなんだろうけどなぁ……こんな重荷は、若い二人にはまだ早えって思うからさ』
それこそ、四面家の存在の証だったから。
空鶴は静かに言う。
「崩玉を守ることが出来ないと思ったら、千早に渡せ。それが俺たちの親父の遺言だった。だから兄貴は守った。俺も、流魂街で生きていくなら崩玉なんざ危なっかしいもん、持っていたくなかったから千早に預けっぱなしにしてた」
「……一つでは、何も出来ない」
白哉が空鶴から言葉を受け取る。
「何も、だ」
懐に手を差し入れ。
取り出されたものに、ルキアは瞠目する。
「それ、は…」
「朽木家の崩玉だ」
白哉の手の中で黒く輝く、真円の宝玉。
千早も同じように懐から崩玉を出した。千早が夜一を見れば、夜一は首を横に振った。
「儂のは、喜助が持っておる」
「……4つもあるのかよ」
一護の言葉に千早は小さく頷いて。
「四面家が霊王不在の時、穿界門の維持に使うものよ。霊圧が足りないから、あくまでも補助のために使ってる」
「穿界門ってのが霊王の仕事なんだろ?」
「そう。尸魂界の統治と、穿界門を維持することが一番の仕事よ。だけどね、一護」
千早は小さく悲しそうに笑った。
「それだけじゃ、ないかもしれないわ」
「……どういうことだよ」
「うん。もしかしたら、惣右介は崩玉の使い道を決めていたんじゃないかって」
「バカな」
白哉が吐き捨てるように言う。
「崩玉の使い道…だと? 何があるというのだ」
「わからないわ」
千早は首を横に振る。
「わからないの」






静か、だった。
自分の歩く音しか、聞えない。
自分の履いているのはどうやら革靴らしいが、しかしひっそりと静まり返った空間に靴音を反響させてしまう。
一護は小さく溜息をつきながら、辺りを見回す。
「しっかし、広いなぁ……」
密やかな声すら、反響して。
いずれここにみんなで住まなくちゃいけないからね。
穏やかな千早の声が、少し濡れて聞えたのはなぜだろう。
『何を、迷う』
不意に聞えてきた声に、一護は顔を上げた。
うっすらと見える幻像に目を細めた。
「なんだよ、ザンゲツのおっさんかよ」
『何を、迷う。霊王になることを、なぜ迷う』
「………迷ってなんか、いねえよ」
『そうか』
薄い色のサングラスの向こうで、灰白色の双眸がゆっくりと目を閉じた。
『迷っていない、か』
「…ていったら嘘になるか」
深い溜息を吐きながら、一護は着慣れない着物を襟口を崩したいが、方法がわからない。
「くそ、脱ぎ方理靜に聞いてくるんだった」
『…首元の右前に、留めがある。それを外せ』
「ん?」
言われるままに手を伸ばせば、触れるものがあり、外せば少しばかり窮屈だった襟口がはだけた。
「おっさん。知ってんのか」
『…私の前の主も、その礼装を厭うたものだ』






「千早さま」
「ん?」
振り返れば、ルキアが真剣な眼差しで千早に問い掛ける。
「教えてください。私にはどうしてもわからないことがあります」
「なに?」
「一護の……霊王陛下の、斬魄刀です」
一護が少し考えてくると、席を外して。
静まり返ったその場所に、ルキアの声はよく響いた。だからその場にいた誰もがルキアに注目する。ルキアは口を噤みかけるが、白哉が促した。
「聞ける時に聞いておけ」
「はい……私が能力を譲渡したときから、一護の斬魄刀は始解開放状態でした。あれは……私の斬魄刀ではないのですか」
「だってルキアちゃんは袖白雪、持っていってないでしょ? 現魂界に持っていったのは、浅打じゃなかったの?」
逆に問い掛けられて、ルキアは一瞬逡巡して。
「浅打です。でも、その浅打が能力譲渡と同時に急激に変化したんです………どういうことですか」
「一護の斬魄刀の名前は、知ってる?」
ルキアは小さく頷いて。
「ザンゲツ、と一護は言っていました」
普通の斬魄刀だったのに、一護が使い始めると同時に巨大な形状を見せた、斬魄刀。
千早は微笑みながら、
「そも、斬魄刀とはなんぞや?」
「え」
「斬魄刀とはただの武器にあらず。使う者の心の中にあるもの。心の中にありて、霊子を強く結びて、生まれいずるものなり」
それは学院時代、授業で習った斬魄刀の定義だった。
斬魄刀とはただの兵器ではない。
霊子で出来ているのだから、同じ霊子で構成されている魂魄と結合しやすい。結合が上手くいけば、意思を生み易く、あるいは主の力に応じてその能力が生まれ、発揮される。
だから霊力が強いもの、霊圧が高いものほど、斬魄刀は強く、なおかつ遺魄刀になりやすい。
「人と同じ。斬魄刀、遺魄刀ともにその形状は意思によって保たれた、霊子構造でしかないのだから……望めば、魂魄の中に留まることもありえるのよ」
「千早どの………」
さては、あなたが霊王の中にザンゲツを入れた、な。
白哉の言葉に、千早は笑う。
「あら、何を」
「あのザンゲツが、簡単に主を選ぶとは思えぬ。一護を選ばせたのも、何か根拠があってこそか」
「ないわよ」
それまではぐらかすような口調だったのに、千早のそれが変化する。
「そんなこと、ないのよ。ザンゲツは望んで、一護の元に行った。確かに黒崎家を選んだのはあたしだった。一心兄上に頼み込んで、子どもたちの支障にならないようにと条件の上で」
現世に、私の主がいるのだ。
この目で確かめたいのだ。
そう願ったのは、ザンゲツ。
それ故に千早はザンゲツを送り出し。
ザンゲツは一護の中で主が現れるのを待っていた。
……待っていたはずだった。
「ザンゲツにも分からなかったんじゃないのかしら。まさか一護が主だったとは」
ただ年長であるという理由で一護の魂魄の奥深くにザンゲツを埋めた。
一護の中の『霊王の魂魄の欠片』がルキアの浅打に刺激されなければ、一護はただの人で一生を終えていたかもしれない。
ザンゲツは一護の死後、一心によって取り上げられて、また誰かの魂魄の中で現世で現れるという主を待つはずだったのかもしれない。
「でも。どこかでザンゲツは気づいた。自分が仮住している、この魂魄こそが自分の新たな主であると。霊王であると……まあ、ザンゲツが霊王の魂魄を見間違えることなど、ないんだけどね」
「……そうじゃな」
夜一が溜息を吐いた。
だがルキアは重ねて問う。
「では。では、あのザンゲツとは……遺魄刀、なんですね」
「うん。そうだよ」
「……先の主は、よほど名のある」
「ルキア」
振り返れば白哉が神妙な面持ちで告げる。
「あれは、ザンゲツは遺魄刀としては最古のもの。万年の昔から、玄鵬家の極戎庫で眠り続けてきたのだ……あれの主は、霊源。つまりは、初代霊王であらせられたお方だ」






「…………おっさんが、その人の話をするの、初めてだな」
ぽつりと告げた一護の言葉に、ザンゲツは苦笑する。
『そうか』
「……まあ、俺も聞いたことなかったけどさ」
一護がようやく肌蹴た胸元に指を差し入れてぽりぽりと掻きながら、
「そうだよな。よく考えたら、おっさんって遺魄刀なんだから」
『……先の主は』
痛みなど、感じることなどないはずなのに。
万年の昔に、姿を消してもう。
その姿など、覚えていないはずなのに。
ただ、記憶に残る、声と言葉。






お前は、きっと、誰かとともに再び立つことができるから。
心を閉ざすな。
前を向け。
歩みを止めるな。






少しばかり、優しい口調だった…と今は思う。
記憶の中で先の主であった男は、ずいぶんと乱暴に自分を使いこなした。
その刃、毀れること何度あったことだろう。
だが、絶対の信頼感がいつもあった。
だから。
言葉を残して、男が死んだ時、ザンゲツの中に大きな大きな、穴が開いたのだ。
まるで虚の、穴のような。
優しく呼びかけ、一方で猛々しく自分を振るう、男の存在はザンゲツにとって何者にも代え難かったのだ。
それでも万年を経て、ようやくザンゲツは新たな主を見出せた。
少しでも穴が埋もれていくことを願って、ザンゲツは自らの名を明かした。
『………強い思いを持つ、男だった』
「そうかよ。まあ、そいつに比べて俺は随分、頼りないんだろうな」
鼻で笑って、一護はふと高い天井を見上げて。
「なあ、おっさん」
『なんだ』
「ザンゲツってどんな漢字を書くんだ?」
『…………さあな。お前がつけろ。お前が主だ、一護』
そう言われて、一護はにやりと笑った。
「じゃあさ。月を斬るで、斬月だ」






お前は、残月だ。
残る月のように、細く綺麗だからな。






そうだ、先の主と一護は違う。
与えられた名前も、違う。
だが、先の主に感じたような、あるいはそれ以上の信頼感を一護に持てるのではないか。
斬月はふとそう思えたけれど。
「なんだよ、おかしい名前か?」
『いや……なんでもない』






広げられた大きな紙に、黒装束の隠密機動が現れては何事かを書き付け、すぐに姿を消す。
一人ではないようだ。次々に現れては大きな紙に書いては、次に交代していく。
「……やはり、巨大だな」
「そうだね。思ったより奥が深いのかしら。これってたぶん先代霊王の使われたままなんだろうけど……うちにも霊王廷の図面は残ってないから」
隠密機動を数人一組で編成させて、広い霊王廷把握のために探索させると言い出したのは千早だった。
今までは上手くいっている。順調に紙の上には地図が広がりつつあった。
千早がずいぶんと楽しそうな表情をみせる一方で白哉は眉を顰めたまま、次々へ広がっていく地図を見る。
「…父上?」
「………ルキア。どうだ、この地図を見て。思うところがあれば、語ってみよ」
「思うところ?」
ルキアは白哉から地図に視線を移して。
「………そうですね、ずいぶんと入り組んだ構造のようです。なんだか、迷宮のような」
「迷宮のよう、ではなく。迷宮なのだろうが………これでは警備がしにくい」
「ここまできたら、警備は必要ないんじゃないの? まして、警備してしっかりおとなしく、一護が奥の奥にいるとは思えないし……ところで、ルキアちゃん」
「はい?」
千早が満面の笑みで、ずずいとルキアの顔を覗き込んだ。
「今、白哉のこと、なんて呼んだ?」
「え、えっと……」
少し言い馴れなさに恥ずかしさも感じたけれど、ルキアは興味深々に覗き込む千早と、そ知らぬ様子でルキアを伺っている白哉を何度も何度も往復する視線を送って。
やがて、赤面しながら。
「ち、ちちうえ…と」
「うん、そうなんだ」
「千早どの。近いうちに、正式に挨拶に伺うことになると思う………四楓院家にも、志波家にもだ」
「そうか、よかったの。白哉坊、ルキア」
「朽木にも、嗣の姫、か」
にやりと笑った空鶴の横で、激しい音がした。
全員が驚いたように顔を上げれば。
激しい視線を送るのは、岩鷲で。
まるで刺し貫くような視線でルキアを見て。
「………こいつが!」
「おい、岩鷲」
空鶴が制しようとするが、岩鷲の言葉は止まらなかった。
「わかってんのか、姉貴! こいつが、こいつが兄貴を殺したんだぞ!」
その言葉に、ルキアの身体が強張った。
白哉が眉を顰めて、岩鷲の言葉を制しようとするのを、千早が抑える。
「千早どの」
「だめ。もう少し、様子を見て」
密やかな千早の言葉をかき消すように、岩鷲は叫ぶ。
「なんでなんにも言わねえんだよ! 兄貴は、こいつに殺されたんだ! 俺は…覚えてる。兄貴を連れてきた、こいつの顔を」






ありがとうな。
これで、死ねる。
お前に………心を残して、いけたから。






微笑みながら、逝ったのは志波海燕。
四面家の当主でありながら、貴族であることを放棄し、自由奔放に生きて、自らの心の赴くままに、誇りを守って死んでいった男。
かつての海燕を知る者たちは、思い出す。
優しく、強かった彼を。
「………事情を説明しただろうが」
溜息を吐いて、空鶴が言う。
「兄貴は。都さんを殺されて、死ぬほど後悔したんだよ……分かるかよ、守りたい者を死なせてしまった、思いが」
空鶴の言葉に、一瞬言葉を飲み込んだ岩鷲だったが、
「だからってこいつが殺す必要が」
「虚に飲まれて、生き長らえるのがあの兄貴の望みだって、お前は言えるか? 俺なら言える。きっと、兄貴のことだ。なんとしてでも、止めを刺せって……言ったんだろ?」
答えを問われて、ルキアは強張った身体を何とか動かして、頷いた。
俺を殺せ。
ここで、殺せ。
体内を蹂躙する、虚をどれほどの強さで押さえ込み、どれほどの思いを込めて、ルキアに告げたのか。
今となっては、分からないけれど。
「………でも、それでも」
強張っていたルキアの唇がようやく動き始めた。
「それでも、私は」
「いいんだよ、そのことは。詳しい事情は…浮竹から聞いている」
「いいえ、そうではなく!」
半ば叫ぶように言って。ルキアは膝行で少し前に出て。
「遅くなったとはいえ、私は志波家に……謝罪に行くべきでした……海燕どのに、本当によくしてもらったのに!」
朽木家の養女という立場は既に周知のもので、護廷衆に入隊したときはルキアの周りに近づいてくる者など、皆無だった。
爽やかに、穏やかに笑いかけてくれるのは、海燕だけだったのだ。
なのに。
項垂れたルキアの頬を、一筋の涙が伝う。
「私は、逃げてばかりで……」
海燕は、決してルキアちゃんの所為で自分が死んだなんて思ってもいないと思うよ。
千早が差し伸べた手を、ルキアは取ることが出来ず。
ただ自分の両膝を、自分の身体を小さくするために抱えた。
そうして、周りが差し伸べた気持ちを、掬い上げることが出来ずに。
自分は『海燕を死なせたから、死ななくてはならない』と思い込んでいた。
だから、懺罪宮で日々、海燕へ改悛の言葉ばかりを紡いでいたのだ。
「なんだよ、そりゃ」
言葉と同時に、脳天に響いた痛みに、ルキアは思わず声を上げた。
「いたい!!!!」
流れる涙は、痛みの所為となって。
呆然として顔を上げたルキアの前に、いつの間にか立ち上がりルキアの頭に渾身の一撃を振り下ろした空鶴が座り込む。
「まったく、人の兄貴を言い訳にするな。兄貴は……お前に心を残していったんだろうが」
「え」
「そう聞いてるぞ。だったら。その心、誰かに渡すまで、双極なんざで野垂れ死ぬことなんざ、俺様が許さねえ」
「……空鶴どの……」
ふんと、鼻で笑って空鶴が言う。
「いいな、ルキア。朽木の嗣の姫さま」
「……はい」
「岩鷲も分かったな」
「………仕方ねえじゃねえかよ」
姉貴が許すって言ったんなら。
弟の不貞腐れたような言いように、姉は苦笑する。
それを見ていた千早も白哉に小さく笑いかけて、ふと気配を感じて振り返った。
廊下の奥に、一護の姿を見つけて。探索を終えたと報告に来た先肩に、離れた場所で待機するように命じて立ち上がった。
「さあ、じゃあ、これからのことを相談しようか?」




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