fragment 23





「明日?」
「うん。明日には、穿界門を霊子変換機仕様に改装できるから」
理靜の言葉に、一護は小さく拳を握り締めた。
「よっし! ……って、俺、帰ってもいいんだよな?」
「うん、とりあえず一度ね。双子とかをこっちに呼ばないといけないし。ああ、でも伯父上と喜助さんのどちらかは空座町に残ってもらわないと」
理靜が答えると、一護は一瞬奇妙な顔をした。
「……遊子と夏梨、こっちへ連れてくるのかよ」
「うん。母上が用事があるんだって。それがすめば、現世に返してあげられるんだけど……どうかした?」
「あんまりなぁ……」
「何言ってる」
理靜がぴしゃりと一護の機先を制した。
「ダメだよ。君が霊王になったってことが、君に害を為したい連中に聞えてごらん? 伯父上は自分の身は守れるけど、双子はそうじゃないだろ」
「そうだけどな」
「母上が何か考えているみたいだから。こっちに連れてきて、こっちで住みなさいとかそういうことじゃないんだって」
「……ふうん」
乗り気ではない一護の答えとは別に、理靜は少し困惑している3人を見遣る。
「君たちはそのまま帰ってもらってもいいんだけど……予定が決まれば、できればまた尸魂界に来て欲しいんだ」
「?」
「……まだ何かあるのか」
「うん。一護の戴冠式。それから霊王廷への入城式が予定されてる。そうだね……二週間くらい先かな」
「おい、理靜!」
「戴冠式って、なんだか黒崎くん、王様っぽいね」
にっこりと笑う織姫の隣で、雨竜とチャドが視線を泳がせる。
一護だけが必死で抵抗する。
「なんだよ、その儀式らしい名前は」
「儀式なんだから、仕方ないよ。みんなはゆっくり夏休みを楽しんでもらってもいいけど、一護はダメ。双子と一緒に帰ってきたら、当面、いろんなお勉強」
一護の表情が激しく曇った。
「お勉強って」
「尸魂界に関するすべてと、虚界、現世、無界のことを知らなくちゃいけないからね。数週間で覚えなくちゃいけないなんて、本当に気の毒だけど」
これ見よがしに溜息をつかれて、一護が吼えた。
「気の毒って思ってねえだろうが!」
「白哉さんがきっと、てぐすね引いて待ってるよ。朽木の仕事は、青史の編纂、伝承もあるからね」
さらりと言われて、一護は唸ることしか出来ない。
「……なんだよ、それ」
「まあ、とにもかくにも、一度帰ってきて、伯父上や喜助さんに話をしないといけないね」
理靜は立ち上がって、そう言えばと声を紡いだ。
「雨竜くん、チャドくん、織姫さんは母上が用事があるそうだから」
「え?」
「…………む」
「………用事ですか?」
「うん。多分だけど、式典用の衣装合わせじゃないかな」
3人は互いの顔を見合わせて。
3人が同時に立ち上がった。一護が少し驚いたように声を上げた。
「お前ら」
「……気にするな」
「僕たちは、少し気になっていることを、千早さんに話してくるだけだ」
「そうだよ、黒崎くん。心配しないでいいからね」
織姫が微笑めば、理靜が声を上げて供人を呼んだ。
「こちらの方々を母上のもとへ」
「はい」
「一護はこっちへ」
促されて、雨竜たちとは背中を向けて歩き始めた理靜に附いて行く。
「なんだよ、あれは」
「さあ、何かあるのかな。まあ、君の戴冠式の時、霊王陛下の知音として君の近くにいなきゃいけないし、衣装はあって困るものじゃないし。母上は女の子の衣装なんて、随分拵えてないから楽しみだって言ってたよ」






「屋形さま、おいでになられました」
「うん」
にこにこと3人を出迎えた千早は、3人が部屋に入り、背後の障子が閉められたのを確認して。
「よし、じゃあ始めようか」
そしてパンと手を打った。
「え?」
「……む」
「ええぇぇぇ!」
千早の合図と共に、3人それぞれはいつの間にいたのだろう、多くの供人に袖を引かれて、疑問を感じる間も与えられずに周りを屏風で囲まれて、服を脱がされた。そして次から次に見慣れる衣装を着せられては、千早の前に引っ張り出された。
「あら、やっぱりチャドくんにはこっちの方がいいわね。うん、じゃあ表はこれと灰白の薄紗にしましょう」
「う〜ん、雨竜くんは表白がいいわ。裏は……濃紫と秘色かな」
一番時間がかかったのは織姫だった。
千早は楽しそうに、次々と織姫についている供人に衣装を選ぶ。
「緋袴じゃなくて、淡紅で紅梅の梅を刺繍で入れて。枝つきがいいわね……飾り紐は濃黄に、銀を織り込んで……いいわね、菊襲に」
矢継ぎ早に飛び交う単語が、雨竜には少しだけ理解できた。
「……チャドくん、これって源氏物語に出てくる単語だね」
「む」
「それはそうよ。尸魂界は現世とは百年ほど時間の流れが違うって、一般的に言われているから。だとしたら、あたしたちの言葉もわかるでしょう?」
千早が数回頷いてから、2人に言って。
「よっし、織姫ちゃん。終わりだよ、全部決まったからね」
「………は〜い」
広げられた衣装や小物や、反物を数名の供人があっという間に片付けたときには織姫の着替えも終わっていた。
屏風も片付けられ、茶と菓子の盛り合わせを山ほど乗せた盆を千早に渡して、供人たちは姿を消した。
「さてさて。3人ともアールグレイは飲めるでしょ」
差し出された紅茶に3人は数回瞬きして。
「えっと……」
「……」
「いただきま〜す」
一口飲んで、織姫がにっこり笑った。
「おいしいですよ」
「そう、よかった。ティーサーバーなんて洒落たもの、こっちにはないけど、時間をまもれば急須でもなんとかなるからね」
硬水軟水までは言ってられないけれど。
千早の言葉に、雨竜が言う。
「千早さんは……ぼくたちの世界に詳しいんですね」
「そうね。かなり詳しいでしょうね。住んでいたこともあるし」
『千早姉はさ、俺にとってはお袋の代わりをしてくれた人なんだよ』
一護が独白のようにぽつりと告げられるのを、3人は聞いたことを思い出す。
昨日の夕刻、赤く染まる太陽が一護の橙黄色の髪を一層赤く染めるのを、見ながら聞いた言葉。
『俺さ、6歳の時に、お袋、虚に殺されてさ。双子はまだおむつも外れてねえ、ガキだったし』
ただ、一護にわかっていたのは。
『俺のために、お袋が死んだってことはわかってた。どうやったって、お袋がもう帰ってこないってことも』
残照故の逆光に、一護の表情は見えなかった。
だが、少しだけ噛み締めるような口調に、その場にいた全員が幼い一護の思いを知る。
『言葉も喋れない双子と、何かにつけて涙脆くなった親父に……俺だろ。千早姉が見かねて、しばらく住んでくれたんだよ。近所にいた浦原さんもよく覗きに来てくれたけど……やっぱり千早姉の存在って今思えば、でかかったわ』
理靜の育児を供人に預けず、自分でこなした千早にとって双子の育児は大して負担ではなかった。
むしろ、現世らしい家事をこなすことのほうが大変だった。
そうして半年ほどを現世で過ごし、それ以降も折を見て黒崎家を訪れていたという、この女性。
そこまで頻繁に訪れることは、実は死神であっても珍しいのだと、ルキアが解説してくれた。
『だけどなぁ、ずっと海外を転々としてるんだと思ってた』
一護の言葉に、眩暈を感じそうになった雨竜だが。
「さて、あたしの用事は終わったわよ。あなたたちの用事は、終わってないでしょう?」
千早に問われて、我に返った。
「あ」
「さあ、誰から?」
千早の心底明るい言い様に、両脇の雨竜と織姫をちらりと見たチャドがずずいと身体を乗り出した。
「ん? チャドくんからなの?」
「………俺が気になっていることは一つだけだ。この能力は、一体なんだ」
「うわ〜……一つの疑問がすごく重いわねぇ」
茶化すように声を上げた千早だったけれど。
すぐに笑顔を消して、チャドに先を促した。
「君の能力はどんなもの? 右腕を霊子構造変装、強化させて戦うんだって聞いているよ」
「……これは、どこから来た能力だ」
「ああ、そういうことを聞きたかったのね」
千早は頷いて、薄く目を閉じた。
だがそれも一瞬。
「……うん、直接見たのは初めてだけれど、二人とも魂魄の中に、『欠片』があるのね」
「二人?」
「そう、織姫ちゃんとチャドくん。普通の人よりもほんの少し、大きな欠片が」
かつて、それを父は『霊王の素質』と表現したけれど、千早はその言葉がずっとしっくり来なかった。
ある日、現魂界で浦原喜助に聞かされた、『霊王の欠片』という言葉。
ああ、なんて。
なんて上手い表現なんだろう。
千早はその時感じた感動を今も忘れていない。
その『霊王の欠片』を、千早の前に座る少年と少女は持っている。
数代前の玄鵬一統の者ならば、叫んだだろうセリフを千早は思い浮かべながら、だが違う言葉を紡ぐ。
「『霊王の欠片』は、本当にたくさんの人の中にあるのよ。それは別に珍しいことじゃない。そして……人によって必要な能力を、その人に応じて生み出すの。でも、それはその人が本当に望めば、ずっと強くなる」
「………守りたい者を、守るために?」
静かに告げられた織姫の言葉に、千早は頷いた。
そうだ。
それこそが、『霊王の能力』であり、『霊王の欠片』なのだから。
その思いが強い者ほど強い能力を持ち、そして霊王となる。
「きっかけは確かに一護との接触だったんでしょうね。チャドくん、あなたの右腕も、織姫ちゃんの盾舜六花もね」
「その人に応じて、本当に必要な能力……」
織姫がそっとヘアピンに触れる。
千早は言葉を続けた。
「尸魂界では分かり易く、斬魄刀をその能力の形として使うことができる。そうね……滅却師の霊弓も同じ。だけど、根本的にはそれらと同じなの。ふたりの能力は」
だがもちろんそれだけが、すべてではないことも千早は理解している。本当に二人の能力が『霊王の欠片』から生まれたものなのか、突き詰めれば間違いないのだとは断言できない。
「可能性の一つ、として思っていてもらった方がいいかしら」
「あの、次はあたしが質問していいですか?」
織姫が律儀にも右手を高く上げるので、千早は小さく笑う。
「はいはい、いいですよ。織姫ちゃん、何かしら」
「あの。黒崎くんのことなんです。これから……黒崎くんはどうなるんですか?」






『俺は、これからどうなるんだろうな?』
ぼんやりと呟いたのは、千早と過ごした四阿での夜だった。
千早は昼のように笑い飛ばしたりはせず、ゆっくりと穏やかに答えた。
『さあ、ね。ただ、代々の霊王がしてきたとおりをするなら、できるだけ早く霊王廷への入城式、続いて戴冠式をして、尸魂界に霊王更臨を布告すること。それから、霊王廷での親政復古を宣言してから……』
『それは昼間も聞いた』
憮然とした声を上げて、一護は硝子越しの昏い水中を覗き込んだ。
『そうじゃなくて。千早姉は俺にどうなってほしいんだよ』
『一護に、どうなってほしい?』
数回瞬きして、千早は答えを見出した。
『そうね、なんだろうね……あたしはずっと、霊王に完全な形で尸魂界を譲り渡すこと、それだけを考えて今まできたの。それまでは自分がどんな形になろうと、何を犠牲にしようとなんとしてでも渡すんだって。だから、一護が』
千早はまっすぐに一護を見た。
『一護が望むなら……』
『俺が望むなら?』
千早は微笑んで。
『うん、一護が望むなら、あたしと玄鵬一統はなんでも、するよ』
なんでもする。
ここ数日で、尸魂界において玄鵬家が大きな権力を持っていて、当主である千早にも権力が集中しているということは一護でもわかった。
そんな千早の、言葉だった。
戸惑いながらも、その言葉に深い意味があることは理解できて。
けれども、受け止めるつもりにはなれなかった。
『……………よくわかんねえけど』
『うん』
『千早姉に全部お任せじゃあ、駄目な気がする』
『うん』
『だけど、俺が何をしなくちゃいけないのか、まだわかってねえ気がするんだ』
『……そうだね』






「織姫ちゃん。あなたの質問に、あたしは答えることはできないわね」
穏やかな微笑が、幾ばくかの悲しみを伴っているように見えたのは織姫だけではなかった。
千早は小さなため息を吐いて。
「多くの者がなりたくて、なろうと努力してきたのよ。霊王に。でも、それは尸魂界の統治者として、でしょうね。でも、それは」
「………霊王の本当の役目ではない、ということか」
「おそらくね。穿界門の維持、秤を持つ者と呼ばれる所以、本当に大切な役目は、数千年の間に忘れ去られているのよ。きっと」
でもね。
千早は顔を上げた。
まっすぐに自分を見詰める若者たちの視線を受け止めて。
「でもね、霊王一人に、もしかして重すぎるかもしれない役目を負わせるつもりはないの。霊王が一護ならば、なおのこと。あたしたちが護るわ。あたしたちの世界を、あなたたちの世界を、それから」
一護をね。
千早の笑みは、今までの笑みとは違っていて。
織姫が頷いた。
「わかりました」
「うん。雨竜くんは、いいの?」
「………僕はいいです。2人の話が、僕の聞きたかったことだから」
静かに言う雨竜の様子を見て、千早は応えた。
「そう。でも、まだ聞きたいことがあったらいつでもいらっしゃい。あたしで応えられることがあったら、応えてあげるから」






「お声をかけていただきましたら、私どもからお邪魔しましたのに」
ほんわりと告げられて、理靜は苦笑する。
「お手間を取らせては、と思いまして。先日来の忙しさに綜合救護舎は大変かと」
「ですが、霊王陛下が自ら診察においでになることを思えば」
卯ノ花の言葉に、理靜は頭を下げた。
「配慮が足らず、申し訳ありません」
「いいえ。あなたを責めているつもりはありませんよ。ですが、傷の具合はいかがですが? 霊王陛下の傷はあの旅禍の少女が見事に治しているようです」
衝立の向こうで、死覇装を直す一護の、橙黄色の髪だけがかすかに動くのを見やって卯ノ花が言う。
「やはり、あの少女」
「井上織姫、ですね」
「陛下の知音としてお傍に?」
「母はそのつもりのようです……とはいえ、あくまで知音としてですよ」
卯ノ花はコロコロと笑って。
「それはそうでしょうね。千早さんがそのような配慮をされるとは、私とて思いませんもの。それよりも」
卯ノ花はじぃっと理靜を見つめて。
「あなたの怪我はどうなのです? 右肩と左腕でしたね」
「大丈夫ですよ、鍛え方が」
「鍛え方が違うという言い訳は玄鵬一統の常套句ですか。ここ数日来傷を悪化させて来舎される玄鵬一統のほとんどがそう仰いますが」
ずばりと斬り捨てられて言葉もなく、理靜はすぐ脇にあった診察椅子に座らされて、言葉も待たず、卯ノ花に袷から手を差し込まれて上半身を晒された。
あまりのすばやさに反撃の余地もなく。
理靜は思わず呆気に取られて、死覇装を整えた一護が顔を出して、
「何だ、理靜も診察してもらってんのかよ」
と声をかけられて我に返った。
「卯ノ花さん!」
「……手当ては十全に行われているようですね。安心しました……ですが、傷の深さで言えばあと数日は安静にしていただきたいですが……無理ですわね」
ふうとため息をついて、卯ノ花は憮然とした表情で袷を直す理靜を見やって。
「無理は、禁物です」
「ええ、わかっています。ですが、自分でなくてはできないことがあるのも事実ですし、自分は」
理靜の穏やかな表情に、卯ノ花は瞠目する。
「自分はうれしいんですよ。だから、少しくらい無理をすることを許してください」
「………そう、ですか。あなたがそう仰るなら」






卯ノ花に一護の状態を見せるという提案をしたのは、理靜だった。
最初、千早はいい顔をしなかった。
『え〜、だって織姫ちゃんが治してくれてるんだし』
『母上。織姫さんの力を示すためにも、ですよ』
旅禍として尸魂界に飛び込んできた一護たちは、心象がよかったはずがない。
例え一護が5代霊王であったとしても。
ともに戦ったチャド、雨竜、織姫の能力を、いかに有用であるか、目に見えて証した方がいい。
そのために、織姫の能力を生かした一護の回復は、卯ノ花をはじめとした綜合救護舎に示した方がいいという理靜の意見に、千早も最終的には頷いた。
『だけどね、理靜。見ているのは尸魂界だけじゃないかもね』
千早の言葉を、理靜はただ疑問だけで捕らえていた。






「別に俺が来る必要、あったのかよ?」
一護は理靜をちらりと見て、抗議の声を上げた。
ただ行くところがあるとだけ告げて、引っ張り出したので自分の意図など告げていなかったから、一護にしてみれば自分の診察というより理靜の診察と捉えたようだった。
「うん。君の傷の治り具合を、卯ノ花さんに見てもらった方がいいと思ったんだよ」
「………理靜。お前、卯ノ花さんを試したのかよ」
低い声に、理靜はちらりと一護の顔を見て。
小さくため息を一つ落としてから、
「…………まあ、そういう言い方も出来るかな」
「お前」
自分に向けられる視線が強くなるのを感じたけれど、理靜は言う。
「織姫さんのすごいところを、一度見せておきたかったんだよ。彼女たちは君と一緒に来た『旅禍』でしかないはずなのに、一護、君が霊王になったばっかりに、霊王の知音として贔屓される。そう考えられても仕方ないんだよ。彼女たちが望む望まないに関わらずね」
「……納得いかねえ」
「あのね、一護」
今度は理靜の視線が強くなる。
「ここは、現世じゃない。プライバシーなんて、ないんだよ。あるのは歴然とした上下関係。瀞霊廷と流魂街、貴族と庶民、四面家と一般貴族。そのパワーバランスは急激に壊せば、反動が来るんだ。だから、蟻の一穴を作るためには」
「それが俺で、井上たちだって」
「うん」
「………俺は仕方ないけどな。あいつらを巻き込むのは」
「巻き込んだんじゃないよ」
理靜は一護の肩をぽんと叩いて。
「彼らも、一つの中心なんだ。5代霊王更臨の。二階の個室に、白哉さんが移ってるはずだよ。ほかにも何人か、入舎しているからお見舞い、していくけど……来る?」
あっさりと告げられて、一護はため息を吐いてから、
「しゃあねえな。つきあうわ」
「うん」




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