004:丁夜
てい‐や【丁夜】
五夜(ごや)の一。およそ今の午前1時または2時から2時間をいう。丑(うし)の刻。四更(しこう)。
瀞霊廷の中心。
そこに霊王の住まい、霊王廷がある。
そして霊王廷の警護は、もちろん非常に厳しく。
昼夜別たず行われている。
もちろん護廷衆も警護を行うのだが、大体十日に一度ほど、夜の警護が各隊に振り分けられている。
いわゆる、宿直だ。
今日の宿直は、十番隊。
十番隊隊長日番谷冬獅郎の姿は、霊王廷の最奥、執務室の隣の部屋にあった。
「隊長、お腹すきません?」
松本乱菊副隊長に声をかけられて、冬獅郎の眉根はぎゅっと顰められる。
「……松本」
「なんですか? あ、厨房に声かけてなんか作ってもらいましょうか? 汁物なんかいいですよねぇ」
「お前、確か二刻ほど前に、夕餉を平らげなかったか?」
「ええ、食べましたよ」
しれっと返し、美貌の副隊長が笑った。
「だって、それはそれ。夜食ですよ。どうせ眠れないし、酒も飲めないんじゃ、食べるしかないでしょ」
「………お前は」
この豊満な胸を維持するにも努力が必要なんですって。
わざとらしくゆさりと、胸を揺らす。
これが鼻の下が伸びきった男どもならば、松本の話を何でも聞いて、何でもしてやろうと思うところだろうが、冬獅郎には通用しない。
眉根にはいつも以上に深い皺。
「まったく…」
大きく溜息を吐いて、さっさと厨房に行って来いと言おうとしたとき、部屋の扉が控えめに鳴った。
そして続いた声。
「とーしろー、いるか〜」
その声の主を知らぬはずがない。
松本が慌てて部屋の扉を空ければ。
「おお、乱菊さん助かったわ」
「……一護、あんた、これって……」
両手いっぱいに大きな皿を抱え込んでいる一護だった。
皿の上には、山ほどの……。
「饅頭?」
「あ? 違う違う、これ豚まん。千早姉さんが大量に作ったから、お裾分け」
「…………また?」
「またか…………」
そろった二人の答えに、一護は近くのテーブルに豚まんの山を置いて、小首を傾げる。
「なんだよ、それ」
「あ〜、一護は知らないんだね。玄鵬隊長……じゃなかった、玄鵬さんって現世好きって言うか、現世通っていうか……現世の食べ物作ってくれるんだけどねぇ…」
松本がほうと溜息を吐く。
「量がねぇ……」
「加減がない。それも時折、とんでもなく辛いものや、甘いものを饗する。一護、お前から一言言ってくれ。このままでは護廷衆が混乱をきたす」
「そ、そんなひどい味なのか?」
千早は真っ先に一護と理靜に、『お裾分け』の山を持ってきて。味見をした一護はむしろ美味いと思ったのに。
「味は……知るか。もともと現世の飯は、調味料が多すぎて美味いのか不味いのか、イマイチわからん」
「……これ、味見したけど美味かったぜ?」
一護の言葉に、冬獅郎は眉を顰めた。
「既に食したあとか。まあ…千早の作ったものだから毒見はいらないだろうが、少し無用心だ」
蒼翠色の双眸で幾分咎めるように告げられて、一護は肩を竦める。
「身内の作るもんに、毒見するほうがおかしいだろ」
「……そう、だな」
そうこうするうちに、気づけば乱菊が緑茶を用意してくれて。
「ま、とにかく食べましょうよ、隊長」
「……そうだな」
まだ湯気が立つほど温かな豚まんと、温かな緑茶。
見上げれば、格子に嵌められた硝子越しに、下弦の月が見えた。
「なあ、とうしろう」
「………貴様に呼ばれると、犬扱いされているような気分になるのだがな」
眉根を引き寄せたままの冬獅郎の言葉に、豚まんを頬張る乱菊がふきだしそうになる。
「い、いぬ〜」
「松本!」
「あ、ご、ごめんなさい…」
背中を向けても、プルプルと揺れる肩に一瞥して。冬獅郎は溜息をつく。
「確かに俺が、苗字が言いにくいなら下の名前で、とは言ったがな」
「と、お、し、ろ、お、は言いにくいじゃねえかよ」
幾つかめの豚まんに手を伸ばしながら、一護が言えば冬獅郎は言い返す。
「努力しろ」
「……わかりましたって」
渋々頷く自分の『上司』に、満悦そうに苦笑してみせて、冬獅郎は部屋の片隅に置かれた時計を見やる。
「おい、こんな時間だ。早く寝ろ。丑の刻だぞ」
「え?」
「明日は朝から任官があるのではなかったのか?」
そういわれて思い出す。
正式行事なので正装する。その準備で起こされる刻限は…。
「やべ、あんまり寝れねえじゃん」
「さっさと寝ろ。ここの片付けは松本がする」
「ええ〜、あたし?」
抗議する美女に冷たい一瞥を投げかけて、冬獅郎は声を上げた。
「早く行け」
「あ、じゃあ行くわ」
部屋の扉を閉めながら、一護が思い出したように声を上げる。
「あ、とうしろう、乱菊さん」
「ん?」
「ありがとな。その宿直って、大変だよな」
「まあね、お肌には良くないわね。でも」
これがあたしたちにできること、
これがあたしたちがしたいこと、だから。
胸を張って告げられて、一護は笑う。
松本の奥で、冬獅郎が静かに言った。
「早く寝ろ。俺たちはそのためにいる」
「うん。ありがとな!」
「さて、松本」
「はい?」
「今日の宿直隊全員に配れば、この豚まん、片付くだろう?」
「あ、そうですね。配ってきます」