007:木陰
こ‐かげ【木陰】
樹木の下の、日の光や雨の当たらない所。
ふわあ。
盛大に、顎が外れそうなほど大きな口を開けて、恋次があくびする。
「……………あ?」
「……なんだよ」
「はふへた?」
「あほか、お前は」
一護が冷たい視線を投げかければ顎を押さえて少しだけ涙目の恋次がいて。
その様子に思わず吹き出した。
「わらひほとか!」
「あ〜、わりいわりい。けどさ、はめる方法なんて俺、しらねえぞ?」
「……なふとかふふ」
「卯ノ花さん、呼ぶか?」
「いい!」
暫く涙目で格闘していた恋次がようやく戻った顎を、気にしている様子を横目で見ながら一護は小さく笑う。
「なんだよ、お前」
「わりいかよ。外れやすいんだよ、ガキの頃からだけど、痛くねえし時々なるくらいだからほったらかしなんだよ」
「へえ」
うららかな、午後。
一護がいつもの『散歩』に出かけて、木陰で気持ちよさそうに午睡している恋次を見つけたのだ。
すぐに目覚めた恋次だったけれど、顎が外れたと一人で騒動する様子を、思わず笑ってしまったのだ。
「けどさ、一護。今日はなんか用事があったじゃねえのかよ」
「あ〜、白哉に尸魂界の歴史について語られた。それはそれは熱く」
「……………は?」
「ああいうの、よくわかんねえけど。きっと覚えるの、大変だったじゃねえかって聞いたら、これは当主の義務だって言うんだよなぁ…千早姉さんはそんなこと一言も言わねえし。夜一さんにいたっちゃ、覚えるだけ無駄だって言ったもんだから、ケンカになりかけたんだよ。で、俺脱走。ま、千早姉さんの手引きありだから、いいだろ」
よくは分からないが、どうやら恋次の仕える隊長は、朗々と尸魂界の稗史を暗唱してみせたようで。
「……………丸一日そっちにかかりきりになるって、朝出て行ったのはそういうことか」
「だから、昼寝してんのか」
「五月蝿い、仕事は済ませたからいいだろーが」
ふふんとふんぞりかえってみても、一護は生温い視線を恋次に向ける。
「で、昼寝してて、顎が外れたと」
「……一護、最近ひねくれ方が理靜に似てきた気がするぞ」
少し年上の従兄、自分より遥かに貴族然としている黒髪の青年の名前を出されて、一護は思わずムッとする。
「理靜? なんだよ、理靜がひねくれてるってか?」
「表面に見えない捻じくれ方だって……え〜と、更木隊長が」
「……見えない捻じくれ方って」
わけがわからない。混乱している一護に、恋次は溜息一つついて。
「分かり易く言えば、最後の一言がぐっさり来る?」
「…………そういう意味かよ」
「普段温厚そうに見えるから、余計だろうけどな。だけど、よく考えたらあの千早さんの子どもなんだしなぁ……父親があれだしなぁ…」
「それは……そうだな」
邪気なく見える理靜の母親はしかし、息子よりも遥かに毒舌、というより。
「なんていうかな、朽木隊長の千本桜って感じなんだけどな」
「あ、恋次。その喩え、いいや。千早姉さんって、そんな感じ」
気づけばお互い親指を見せ合って納得していた。
だがそこにもう一人の声が。
「兄上や千早さまがどうした?」
「わ!」
「な、なんだよ」
「なんだ、聞かれてはならぬ話でもしていたのか」
漆黒の髪がさらさらと恋次の上に降り注いだ。
最近伸ばし始めたルキアの髪は、まるで絹糸のように細くて、上から覗き込むだけで音もなく艶やかさを主張しながら動くのだ。
「恋次。兄上が探しておったぞ」
「え? 仕事は済ませたぞ?」
「一護、貴様は理靜どのが探しておった」
「…………え〜」
ルキアは二人の前に仁王立ちになり、のたまった。
「一護の『手習い』は内容を吟味して、ということになったようだな。よって兄上は六番隊に戻られた」
「うわ、やばいじゃねえかよ」
がばと立ち上がり、恋次は一護に声をかけた。
「じゃあな」
「おう」
瞬歩で姿を消した恋次にはもう気も向けず、ルキアは続けた。
「よって一護の午後の手習いは、理靜どのが剣戟の指南をされるそうだが?」
「え、まじで!」
恋次とは違う理由で喜色満面で立ち上がった一護は、ルキアに問う。
「まじかよ」
「うむ。千早さまも参加されるということだが。『楽しそうだから』と」
「やった」
「自分も参加させてもらうぞ。千早さまと理靜どのの許可は得た」
にっこりと微笑んで、ルキアは立ち上がった一護を見上げた。
「よかろう?」
「俺はいいぜ。好きにするからさ」
「うむ。では、参ろうか」
麗らかな午後。
午睡の後の、風景。