013:手首





て‐くび【手首】
腕と手のひらとのつながる部分。うでくび。



「わ、わりい!」
突然謝られて、千早は数度瞬きをして。
それから自分の治療を行っている喜助を見て。
深々と頭を下げた、一護を見た。
「…………はい?」
「すまねえ、みちまった」
「……え?」
「あ、もしも〜し、一護さ〜ん、何を見ちゃったんですか?」
喜助の声に顔をあげた一護に、二人が困ったような表情を浮かべる。
一護が少し言い淀んで、ちらりと送った視線をとらえて、千早が理由を理解した。
「なんだ、そういうこと」
「ん?」
「喜助、手よ手」
とんとんと、千早は自分の左手首を右手で指差した。ようやく喜助も得心したように頷く。
「あ〜、なるほど」
「喜助の腕の良さというべきじゃないかなぁ。一護が、こんなこと言うなんて、ね」
「そうですかね。科学者としては、冥利につきますがねぇ」
「何が科学者。喜助みたいなのを現世でなんて言うのか、知ってるんだけどな、あたしは」
「ほぉ?」
「まっどさいえんてぃすと」
「……誰が教えたんですか、そんな横文字」
「兄上」
自分を無視して、軽やかな会話が交わされているのを、一護は少し放心しながら聞いていた。



本当に、知らなかったのだ。
今まで。
幼い頃から、一度もそんな気配すら、微塵も感じたことはなかったから。



叔母が、義手だったことなど。



千早にしてみれば、隠したことなど一度も無い。
現世に向かうときは、大抵浦原商店で喜助による義手のメンテナンスを受けたあとだから、義手はいつも万全の状態で動いてくれていたので、現世で支障を感じることなど一度も無かった。一心が、
『さすがは技局の創設者が作るだけのことはあるなぁ』
と感心したほどの出来栄えの義手なのだ。
だから、一護がはじめて千早の義手のメンテナンスを見たのは霊王廷だったのだ。



「吃驚したみたいね」
メンテナンスが済んで、千早は問題の左手をひらひらさせながら、一護に言う。
「……そりゃあな」
「これはね、生まれついての欠損だったの。いわゆる、先天性欠損症。親指と薬指らしいものはかろうじてあるのよね」
穏やかに告げられるその残酷な内容に、一護は千早の左手から目が離せない。
「………」
「で、喜助が義手を作ってくれたんだけど、これがなかなか具合がよくってね」
千早は茶褐色の髪を、一護が視線を外せない左手でかきあげて見せて。
「日常から、戦場まで?」
「……なんか、悪いところ見た気がしたよ」



隠そうとしない、千早と喜助。
和気藹々と何かをしているのが見えて、覗き込んで言葉を喪った。
痛々しい傷跡のように見えたものは、それは義手で。
一護は言葉を喪ったけれど、帰って来た最初の言葉を、千早への謝罪に使ったのだった。
「わりい」
「謝ることなんて、ないよ。これもあたしだ。父上と母上が与えたくても与えてくれなかったものを、喜助が呉れた。それだけのことだ」
飄々と告げられる言葉に、一護はしかし、首肯することしかできない。
「………」
「一護。顔をあげて」
促されるまま、顔を上げれば幼い頃から何度となく見てきた、穏やかな叔母の顔。
いつものように、密やかにその唇に笑みを浮かべつつ。
「これも一つの個性、だ。一護。お前の髪色が兄上や、真咲どのや、双子とも違っているように。周りの子どもたちとも違っていたように。それと同じことだ」
髪に何かをしたわけでもなく、一護の髪は幼い頃から黄橙色だった。それが理由で苛められたこともある。
だが、両親も千早も、よく言っていた。
『個性だ。お前の髪色が人と違うのは、背が高い人、低い人、足が早い人、遅い人がいるように自分でなんとかなるものではない。それは、個性だ。黒崎一護、という一つを周りに印象を強くするための、個性なんだよ』
泣きながら帰った一護に、優しく説き聞かせたのは、この叔母だった。
「印象を…強くする、個性」
「ん? ………ああ、覚えているのかい?」
「ああ。千早姉はあの時、そう言った」
千早は微笑みながら、
「言ったか?」
「言ったよ。その…ずいぶん、助かった」
助けられたのは、千早の一言か、実力行使に出た一護の幼馴染だったかは、今となっては思い出せないけれど。
一護は顔を上げた。
そして、千早に向かって笑った。
「ありがとう」
「なに、気味悪いわね。一護が感謝するなんて」
「俺でも感謝くらいする」



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