015:三泉





さん‐せん【三泉】
深い泉、転じて地の底。死者の行く世界。冥土。



道すがら手折った花を、供える。
それが墓参りの儀式であり、そこに眠る人たちに敬意を表する行為だとわかっている。
だが、一方でこの粗末な石碑の下に眠る者などいなことを、藍染惣右介は知っている。
だから、儀式の価値を見出せない。
『藍染慎之介』
ただ名前だけを記されたその、石碑に。
跪き、見上げれば苔むしたその石碑に、藍染はそっと触れる。
日差しで暖められた石碑は、しかし藍染は不愉快そうに眉を顰めて、手を離した。
「……まるで怨念の熾き火…だな」



名前しか知らない祖父の所為、だと藍染は告げられた。
悉く、祖父が悪いのだと。
かつて一の貴族、玄鵬家の分家、その中でも上流の貴族を玄鵬八家と呼び、藍染家はその筆頭であったのに。
没落を招いたのは、祖父。
玄鵬家に弓引き、理に悖り、結果として玄鵬家当主代行の玄鵬千早に断罪された。
『すべては……父上が悪いんだよ。父上だけが悪いんだ』
まるで呪文のように唱えられたその言葉に、違和感を感じたのはいつ頃だったろう。



幼い頃の、『諸事情』で藍染は自分が生き抜く術を学んだ。
そのとき、人の心を置き忘れてしまったようだと、ギンに言われることがある。
自分もそう思う。
時折ギンに、
『藍染はん、あんた、ほんまに加減がわからへんのやね……なあ、精神的ダメージって一刀両断もえいけど、じわりじわり、言うのんも結構効くんえ?』
そう促されて、加減を覚えた。
『やけど、藍染はん。藍染はんはもしかして、三泉に心を置いてきて、戻ってきはったんやろうか』
ギンの苦笑を思い出す。



そうかもしれない。
幼い頃に血まみれの両手で掴んだのは、生きるための術。
心、じゃなかった。



「…………だが、祖父どの」
藍染は立ち上がりながら、小さな声で言った。
「私は、あなたのようにはならない。あなたのようには、失敗しない。必ず、やり遂げる」
石碑の元には小さな花。
だがそれは、全て踏みにじられていたことに気づく者は誰もいなかった。



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