017:決別
けつ‐べつ【決別】
きっぱりと別れること。
すまんなぁ、乱菊。
耳元に、誰にも聞えないほどの小さな囁きを、彼女に残して。
男は小さく笑った。
何よ、あんた。
また、あたしに何も言わずに。
何も知らせずに、いなくなるつもり?
……あたしが何も知らないと、本気で思ってるの?
瞬間、乱菊は自分の目が開いたことに気づかなかった。
急激に、夢の世界と現実が入れ替わって。
眩しいばかりの光の世界と、薄暗い世界。
乱菊は数度瞬きして、起き上がりながら深い深い溜息を吐いた。
「夢、かぁ……」
「夢じゃないな。お前が執務室のソファでぐっすり熟睡したのは、夢じゃあない」
静かな応えに、乱菊は肩を竦めて、声の方向に振り返りながら言う。
「あら、隊長。いらしてたんですか?」
「……だから言ってるだろうが。ここは俺の、執務室だ。俺がいることがおかしいのか?」
乱菊はあははと笑ってみせて、
「そんなつもりじゃないですけど、思わず、そう弾みで言ったんですよぉ」
ひらひらと振られた副官の手を、ちらりと見て冬獅郎は書類に何かを書き入れながら言う。
「弾み、か」
「はいはい」
「……まあいい。松本、あとはこれだけだ。これを三番隊に届けたら、直帰でいいからな」
「…は〜い」
明るい装う声に、冬獅郎が呼び止める。
「おい、松本」
「はい?」
「…………お前、大丈夫か?」
「何がですか? 大丈夫ですよ? まあ、夢見は悪かったけど」
にこやかに返す乱菊の、豊満すぎる胸元を飾る銀色の細い輝きから、冬獅郎は視線を外せずにいて。
それが誰からの贈り物で、乱菊がどれほど大切にしているものか、よくわかっているから、なおのこと。
虚勢を張って、明るく振舞おうとする女の心を、冬獅郎はどう労っていいのか、わからずに。
「よっし、じゃあ三番隊、届けてきますね〜」
「ああ、頼む」
冬獅郎は溜息混じりに、副官を送り出すことしか出来なかった。
「だめだなぁ、あたし…」
書類を胸に抱きながら、乱菊は溜息をつく。
きっと気づかれた。
夢が、『三番隊がらみ』だと。
隊長にそんな心配をかけたいなんか、ないのに。
書類がかすかな音を立てて、皺になりそうになるのを慌てて留めた時、乱菊の指先が胸元のネックレスに触れた。
似合うてるで、乱菊。やっぱり、乱菊は銀色やな。
手ずから装けてくれた、銀の鎖のネックレス。
切れ長の目元に笑みを浮かべて、男は言った。
乱菊に似合うて、ほんまによかったわ。
なのに。
ここに、あいつの姿はない。
理由とか。
意味とか。
考える前に、恨み言ばかり浮かぶけれども。
一方的に告げられてしまった、決別を乱菊は未だに、理解できず。
夜毎の夢に、白い髪の死神の、切れ長の目が現れる。
別れ際、告げられた言葉が脳裏を過ぎる。
すまんなぁ、乱菊。
「だめだなぁ、あたし…」
乱菊は深い深い溜息を吐いて、誰にも聞えない小さな声で呟いた。
ギン、あんた。
何したかったのよ?