021:不寝





ね‐ず【不寝】
一晩じゅう眠らないこと。



すうすうと寝息を立てているのは、やちる。
ごおごおと鼾をかいているのは、一角。
椅子に凭れかかり、なにやら幸せそうにむにゃむにゃと寝言を言っているのが、弓親。
「…………なんだよ、どいつもこいつも」
剣八は溜息混じりに独りごちる。
わかってんのか、今日は宿直だぞ?



空を見上げれば、弓弦よりも細い月。
限りなく闇夜に近く、いつもより星が多く見える気がした。
いつかもこうして、空を眺めていた。
やちるが隣で眠っていて。
血臭の中で、自分は身体にまどろむ疲れを追い払おうと座り込んで、ふと空を眺めていた。
細い月、多い星。
それだけしかなかったのに、なぜか剣八の記憶に残る風景だった。
そう、それはその月と星の下で告げられた言葉。
目指して、みない?
剣八の、名前。一の豪傑者に与えられる、名前を。
軽やかに告げられた言葉に、身体がざわめいた。
身体の深奥に熾き火があって、それがまるで熱く紅く熱せられたような。
あの時、ただの破落戸だった男が、違うものに変わった瞬間だった。



湯飲みにそのまま酒を注いで、剣八は一気に呷った。
酒気を漂わせながら、再び湯飲みに酒を注ぐ。
一口嚥下して、にやりと笑った。
「……何してやがる」
「何や言われても、なあ」
肩を竦める男。
白い羽織がゆるりと流れるまま、ギンは剣八が凭れかかる勾欄に身軽く腰掛ける。
一瞬軋んだ勾欄は、しかしそれだけだった。
「更木はん、あんた、また書類溜めてるやろ。うちの所に、来てないのがあるんやけど」
「……そんなことのために、こんな時間に来たのか」
ギンはその口元に、笑みを浮かべたまま返す。
「そやかて、うちらも宿直してるし」
それに、宿直の日に隊で宴会してるんもどうかと思うけどなぁ。
ギンが小さく笑いながら言えば、剣八は再び湯飲みを呷って、
「宴会じゃあない。気付けだ」
「へえ」
「……書類、だったな」
酒気を振りまきながら、しかし剣八はしっかりした様子で立ち上がり、執務室に消える。
ギンは笑みを浮かべながら、待った。
ついと視線を上げれば、細い月と多い星。
先ほど見かけた剣八は空を見上げていた。
「……更木はんがお空見てるなんて意外やわ」
「見ちゃ悪いかよ」
差し出されたのは、一杯の湯飲み。
なみなみと注がれたのは、まごうことなく、酒だろう。
ギンは一瞬言葉を捜し。
「……飲め、いうこと?」
「他にあるか?」
「……うちは書類を貰いに来ただけやけどな」
「つきあいくらいは飲め」
促されて、ギンは口に運ぶ。
ちらりと見上げた巨躯の男は、本当に楽しそうに笑って。
「ま、つきあえや」
「………仕方ないなぁ。もう飲んでしもたし」
ギンも小さく笑った。



書類を待ちかねたイヅルが、書類とそれを受け取りに行ったギンを迎えるのは翌日。
一睡も出来なかったイヅルが酒気を漂わせるギンを、小さな溜息と共に迎える頃には、空には太陽が昇り始めていた。



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