025:体温
たい‐おん【体温】
動物体の温度。
人間ではセ氏36.5〜37.0度が普通。
測定器が測定完了を示す。
「…………39.0度」
「……申し訳ありません、マユリさま」
苦しく熱い息の下で、告げられた詫びの言葉にマユリは眉を顰める。
「まったく、役立たずだヨ。私の研究が滞るのはお前の所為だからネ」
「はい、もうしわけありません………」
紅顔にびっしりと浮かぶ汗を見て、マユリは渋面のまま踵を返し。
「あとを頼むよ、阿近」
「そりゃ構いませんが……一般的な風邪薬なんて副隊長に効くんですかね?」
マユリとネムの関係を知っている阿近だからこそ聞いたことだったが、マユリは振り返りもせずたった一言答えを落として、部屋を出て行った。
「効かないと思うヨ」
「……じゃあ、自然に治癒するまで待てってことですかい」
「……阿近さん」
「リン、とりあえず普通に治療してみるしかねえだろ。準備しろ」
「あ、わかっりました!」
次々に計算結果を弾き出す画面。
マユリはそれを睨みつけながら、声を上げた。
「ネム、一二八七九六の資料を……」
そして気づく。
「………くそ」
『自分の魂魄を使って、改造魂魄を作ろうと思います』
そう告げたかつての上司は第一声で面白いとは言ってくれたけれど。
『それって、自走認識型だよね』
『はい、そのつもりですけどネ』
『ということは、知能内蔵型にしないとだめだねぇ。じゃあ、純粋に培養したら? 時間はかかるけど、その方が君の補助として使えるんじゃないかなぁ』
そう言ったのは、かつての上司。
にへらと笑って、
『一人、増えればいろいろと面白いことがあるんじゃないかな?』
面白い、では片付けられない。
思うようにならないことばかりで。
開発を薦めてくれたかつての上司はいなくなり、だが時間をかけて醸造された改造魂魄は、なぜか女性体で。
『………ご主人、さま?』
『なんだ、その呼び方は。名前を呼べ』
『はい……お名前は』
『マユリだ。涅マユリだ』
『はい、マユリさま』
おっとりと微笑んだその顔に、無性に腹がたった。
肉体保存のためなら、やっぱり体温つけたほうがいいと思うよ?
体温?
うん。人間社会で生きていくためには、最低限必要だから。あった方がいいよ。
にへらと笑った上司の言葉に素直に従ったけれど。
「……くそ。そのとおりにしていたから、体調管理なんて面倒なことがついてまわるんジャナイカ」
悪態をついてみせて、マユリはかつての上司を思い出す。
「まったく、アンタの所為だヨ。浦原局長…余計なこと、思い出したジャナイカネ」
『おや、そうですか? まあ、いいじゃないですか。時にはその娘にも休みが必要ですよ』
けらけらと笑われているように上司の言葉を思い出して、マユリは再び喉の奥に怒りを感じ。
ふぅと溜息を吐いて、激情を押し流す。
「まあ、いいサ」
マユリは不敵な笑みを浮かべて、立ち上がった。
「治せばいいだけダ」
「……これ、なんですか?」
「おや、阿近。お前さん、いつからそんなバカになったんだネ?」
「いや、涅隊長に比べたら誰もがバカでしょうけど……これって、何かの薬っすか?」
小さなビンに入った、濃緑色の液体。
なんだか悪い予感を感じながら、阿近が問う。
「もしかしてですけど……」
「ネムに飲ませるんだヨ。通常の風邪薬ではネムには効かないからね。薬効を極限まで高めておいたヨ。ああ、君たちが間違って気化したものでも吸い込めば死ぬからネ」
さらりととんでもないことを言って、マユリは背を向けた。
「さっさと飲ませロ。まったく、仕事が滞って、研究が進まないったラ」
「……わかりました」
阿近は恐る恐る『とんでもない風邪薬』を持ち上げて、ふと思う。
あとを頼むと言っていたのに、この父親は娘のために、薬を作ったのだ。
一般的な肉親的愛情など程遠い父親だと思っていたけれど。
もしかしたら。
「なんだね」
「あ、いや……隊長って、副隊長のことどう思っているのかなって……」
「あれは私の娘だヨ」
背中を向けたまま応えて。
だがマヨリの言葉は続く。
「どうしようもない、出来の悪い、娘サ」
「……はあ」
「さっさとしロ」
ネムは、娘。
だから、ネムの病気は治さなきゃならない。
面倒な、ことだネ。