027:柔肌
やわらかな感触のはだ。特に女性のはだにいう。
「…………隊長」
「うぉ! 七緒ちゃん」
慌てる春水をじろりと見つめてから、七緒は小さくため息を吐いた。
「……失礼しました、お身内とご一緒とは」
「いや、副官殿。今会おうただけだからな。春水に用事ならば、連れて行け」
「いいえ、それほどには。一枚署名がなかっただけですので」
差し出された書類に、春水が促されるまま署名をすれば、七緒は一礼して姿を消した。
「なかなか、配慮ができる副官殿だな」
「まあ……そうですかね」
素直な賛辞に、頷かない弟をちらりと見遣って、遵凍が小さく笑った。それを春水は見逃さない。
「な、なんですかね、その笑い」
「いやな。前の副官といい、このたびの副官といい、お前の好みはああいう類か」
「好みって」
「仕事のできる、だが決して男に阿らない。冷冽に見えて、思慮深い」
「………そうですかねえ」
少しばかり伸びた不精髭を撫でながら、春水が空を見上げる。
遵凍はかすかに笑みながら続ける。
「昔からお前はそうだ。わかっていて選んでいるのか、わからんがな。秘めた何かを持っている者を好む、そんな気がするな」
「……それって、褒められてるんですかね、貶されてるんですかね」
「それくらいは」
遵凍は踵を返した。
偶然行き会った兄は、背中を向けながら言った。
「それくらいは、自分で考えろ」
「………なんだか、謎かけみたいですけど…」
春水の再びの言葉に、背を向けた遵凍は答えない。
口元に浮かべた笑みは、春水には見えなかった。
「宿酔ですか、みっともない! 午後からは隊首会なんですよ」
高い声に、春水は頭を抱えた。
「七緒ちゃん……もうちょっと優しい声で」
「自業自得です、こうなることをわかってて、飲む隊長がいけないんです」
ぴしりと告げられて、春水はため息を吐いた。
そんな春水の前に七緒はドスンドスンと書類の山を積み上げる。
「今日提出分の書類ですから、今日中には目を通してくださいね」
「うぉ〜……容赦ないねぇ、七緒ちゃん」
「宿酔の隊長がいけないんです」
一刀両断で切り捨てられて、再び頭を抱えた春水をそのままにして七緒は隊首室を出て行った。
宿酔で痛む頭を抱えながら春水は書類と悪戦苦闘を続けていて、静かに隊首室に入ってきた七緒の気配と、嗅ぎ慣れないにおいに顔を上げた。
「ん? 何のにおい?」
「………どうぞ」
差し出されたのは、湯のみ茶椀。
なみなみと注がれたのは、濃茶色の液体。漂う香りは、漢方薬を煎じた匂いによく似ていた。
「……宿酔に効くそうです」
「え? 僕のために、七緒ちゃんが煎じてくれたの?」
春水の言葉に、視線はあらぬ方を見ながら七緒は茶椀を差し出した。
「どうぞ!」
「ああ、いただくよ」
にんまりと笑みながら春水は茶椀を口に運ぶ。
「………七緒ちゃん」
「はい」
「気持ちはうれしいんだけどね」
一口含み、何とか飲み込んで春水は言う。
「これ、苦すぎない?」
「宿酔には苦ければ苦いほどいいんです!」
「……そっか。ま、七緒ちゃんが煎じてくれたんだし、全部飲むよ」
必死に飲み下した茶椀を、七緒が差し出す盆に乗せて、春水は微笑みながら言った。
「ありがとう、七緒ちゃん」
「………どういたしまして」
メガネの下の頬が、あるいは彼女のうなじが、見えるわずかな柔肌がわずかに朱を刷いたように見えたのは気のせいだろうか。
春水は滅多に見られない、副官の小さな変化を見つけたことに微笑む。
「七緒ちゃん」
「はい?」
振り返った副官の顔には、もういつもの無表情しか浮かんでいなかったけれど。
「今度は砂糖、入れてね」
「良薬、口に苦しというでしょう?」
「………仰るとおりです」
今日も彼は、副官にはかなわない、と微笑みながらため息を吐いた。