輝石 2






第一錬金術学校。
久しぶりに、アレクは学校の門をくぐった。
国家錬金術師資格試験の一ヶ月前、アレクは聴講生として学校に通ったことがある。だが、正直言えばレベルの低さに辟易して、受験対策にもならないと判断して、たった1週間で自己退学した。
一ヶ月前だというのに、アレクが受けさせられたのは入門コースだったからだ。
今となればあのころの憤りも、美化された思い出になる。
「久しぶりだの、双域の錬金術師」
通された部屋で待っていたのは、見知った顔だった。
アレクは微笑んで、返す。
「異名を使うことなんて、今の錬金術師制度になってからはないのに。双子に聞きましたよ、双子に鋼成と双域の息子たちって呼ぶんですって?」
「個性を認めてやるには、ちと早かろう」
初老の男性、マリオ・リンドバーグの異名を、アレクは笑んで呼ぶ。
「浸潤の、錬金術師」
「ほお、覚えておったか」
「異名は……もう、遺物ですよ」
「それでもよい」
儂が軍の狗で、生徒に物事を教えるように、人を殺す研究していたことを忘れずにすむからの。
決して生徒には向けないだろう、表情を見つめて。
アレクは言った。
「今日のご用件は? 仮にも技術研究局総局長を呼び出すってことは、それなりの理由がおありですよね?」
「ほほっ、儂は私服でおいでくださらぬか、と言ったはずだが」
相変わらずの、駆け引き上手。
それ故に、浸潤の錬金術師は研究畑よりも、テロリストとの交渉役が向いていると揶揄されたこともあったことを、アレクは思い出す。
濃紺の双眸を細めて。
「何を?」
「そなたの好きなように、授業をしてかまわぬよ。最近はどうもなまくらが多くて叶わん」
アレクは目を細めた。そして言葉を選ぶ。
「最近、うちの息子たち、妙なことを言うんですよね」
「ほほ、特級錬金術師になりたいから優遇してくれとでも言われたか?」
「………………………………やっぱり」
「吹き込んだのは儂ではないぞ」
しれっと言って、リンドバーグは続ける。
「のお、双域の。おたくの息子たちは優秀じゃ。それは認めよう。だがの、あまりにも無邪気だ」
「子ども、ですから」
「子どもならば、なんでもしていいかの? 分別を教えるのは周りの大人の仕事じゃ。で、儂はそれを実践した。お前さんが、絶対に譲らんことなど、お見通しゆえにのぉ」
「………………どこまで狸じじいなんですか、あなたは」
高笑みの老人は、告げる。
「どこまでも、儂はクソジジイじゃよ」



「………………」
「………………なんで?」
疑問を口にしたのは、レオだった。
テオに至っては、驚愕の表情のまま動くことすら出来ない。
「え〜っと、今日はかつての双域の錬金術師に来てもろおうたから、なんでも教えてもらうがよい」
そう言って、リンドバーグ講師は、教卓の横に準備された椅子に座った。母がちらりと講師を睨むのが見えたけれど、双子にとって見慣れない表情で教卓の向こうから言った。
「アレクサンドライト・ミュラー・エルリックです。専門は空気変成と、医療錬成。よって、専門分野のみの質問を受け付けます。質問がある者は?」
元々、今日の授業は普段通りリンドバーグ講師の医療錬成についての講座だったはずだ。
突然の授業内容変更に、生徒の誰もが困惑していた。
だが、教卓にいるのが技術研究局総局長で、准将で、なおかつアレクサンドライト・ミュラー・エルリックで、この教室に子どもがいることを、生徒の誰もが知っていた。教室の後部に座っている双子をちらりちらりと視線が襲う。
「質問、ないんですか?」
静かな声に、双子への視線は一瞬消え、おそるおそる数名が手を挙げた。その中の一人を母が指名する。
「はい、あなた。名前と質問を」
「あ………ジュリウス・ケストナーです。あの……血管損傷時における医療錬成について質問します」
「はい、どうぞ」
アレクは教卓の上で何かをメモしながら、質問を促す。
教室の中でも、かなり優秀で今年の特級受験者であるケストナーは震える声を押し殺そうとしながら、言葉を紡ぐ。
「書物によって血管損傷の度合いによって医療錬成の錬成陣を変える必要性が書かれているんですが、その損傷率はまちまちです……」
「ええ」
「リンドバーグ先生の授業で用いられる書籍の中でも、齟齬があります」
アレクがちらりと横目でリンドバーグを見る。リンドバーグは惚けた様子で視線をアレクからはずした。アレクは内心で舌打ちをして、自分の背後の黒板を確認してから、チョークを手に取った。
「これらは私の理論です。よって、錬金術師によっては違う理論を唱える者もいるでしょう。それをふまえた上で、説明します」



アレクが書き散らした黒板を見つめて、双子はようやく安堵の溜息を吐いた。
怒濤のような、授業だった。
寄せられる質問にアレクは何かのメモを書きながら聞き取って、自分の理論だと前置いてから、チョークで理論や計算式や、錬成陣を書き殴りながら説明するのだ。正直ここまでの内容は特級試験にも出ないと言い切れるような内容だった。
「おい、お前たちのお袋さんはすごいなぁ」
双子が帰宅の準備をしていると、近くの席の同級生、と呼ぶには30代半ばという、双子の両親に近い年齢の男が言う。その近くにいた同級生たちが声を揃えて、
「ホントにすごいよな。さすがは【焔の双璧】だよなぁ」
聞き慣れない呼び名に、レオが思わず聞き返した。
「なんですか、それ?」
「は?」
逆に同級生たちが聞き返す。
「なに、お前ら知らないの?」
「………………はぁ」
「【焔の双璧】って、お前らが生まれるちょっと前、俺が18歳くらいだったかなぁ…北のドラクマ国境のブリッグス山でドラクマがはいりこみかけて、戦争になったんだよ。そのとき、出兵したのが今の大総統、マスタング…さんだろ?」
伯父ということで、付け足された敬語には興味も覚えず、双子は父親から聞いた話を思い出す。
「それに伯母と、母が参加していたのは知ってますけど」
「焔は大総統の異名だろ? 焔の双璧って言うのは、大総統に付き従う副官のことだよ。マスタング少将とエルリック准将。その二人を指して、焔の双璧って言うんだよ。新聞にも時々載ってるけどな」
「あんな美人で、頭も切れる。ましてや双璧っていえば、錬金術師の中の錬金術師だ。まあ…お前らの賢いのも、そういう血を受け継いでいるからだよな」
テオはじっと、母の決して綺麗とは言えない筆跡が残された黒板を見た。
そして、思う。
授業の最後に、母が言った言葉を。
『最後に。私は幼くして国家錬金術師になった。得たものも大きかったが、無くしたものも大きかった。あなたたちも特級資格を目指す過程で得るもの、無くすものもあるだろう。だが私は言いたい。決して無くしたものが大きいから、望む物が手にはいると言うことではない。とはいえ、努力を惜しんではならない……特級資格は、人のために使わなければならないのだから、自己犠牲を恐れてはならない』
だが、等価交換の大原則を持ち出すのは感心しないけれどね。
母はそう言って、笑顔で教室を去っていった。
レオが問う。
「テオ?」
「なあ…母さんが無くしたものって、なんだろうな?」
「?」
「授業の最後で言ったじゃん。得たものも大きかったけど、無くしたものも大きかったって」
「うん」
テオはばたばたと帰宅の準備をして、立ち上がる。
「帰ろ。で、母さんに聞こう。すごく気になる」
「ん」



「やられたよ----------------リンドバーグの狸じじいに」
「双子に聞いていたけれど、やっぱり相変わらずひねくれてるんだね」
アレクの休日であることを把握していたように、エルリック家にかかってきた電話。
懐かしい名前に、しかし双子が問題を起こしたのかと気になってでかけてみたものの。
「………………よく考えたらさ、あたしを指名したのとか、私服で来いとか、変だったんだよね」
「僕はそう言ったけど、アレク、珍しく僕に聞かなかったじゃない」
そういう妙なところでおっちょこちょいなんだね。
のほほんと告げる夫の忠告に、しかしアレクはそっぽを向いて。アルが促す。
「で?」
「ん?」
「狸じじいに言われるままに、授業してきたの?」
「………上級までしか持ってない連中に、100%理解出来るようには話さなかったから」
「うわ、いやらしいね」
ソファに座り込んで、ふてくされているアレクの額にお帰りのキスを降らせて、アルフォンスが言う。
「で、双子は?」
「………………久しぶりに、個別授業してる気分になったよ」
「そう」
かつて、錬金術の基礎を完全に理解する前に、父親のアルが巻き込まれた誘拐からの脱出のために力を暴走させてしまったことから双子の内在的能力の高さは分かっていた。加えて双子の理解度は明らかに早かった。教育課程の最中も独学で錬金術を学び、時にはアルがアレクが個人的に教えたりもした。
そのころは、幼い双子が熱心に書物と、ノートと、アレクの顔を必死に見ながら、アレクの授業についてきていた。
今日の双子は、そんな顔をしていたのだ。
「………………もうちびっと、子どもでいて欲しいけどねぇ」
「うん。それは僕だって同じだけど。僕とアレクの子どもだからね。早くから自立心が強かったし」
「………………特級受験資格、いじらないからね」
上目遣いに見つめられて、アルは苦笑する。
「うん。アレクなら絶対にしないね」
「………………」
「いいんだよ、それで。僕たちが得られなかったものを、あの子たちは選び取ることが出来るんだから」



アレクは4歳で父親を、母親を亡くした。
裕福だったし、兄と呼ぶべき存在が、祖父がいた。
それでも、心を病んだ母親の残した傷は、決して癒えることがなく。
12歳で祖父を亡くし、【兄】たちも戦場に姿を消して、財産を権力をと望む大人に囲まれて、アレクは自分を守るために戦うことを選んだ。
そして、16歳で自分の居場所を求めて、【兄】を追って軍に入った。



アルも4歳で母トリシャを亡くした。
父も生まれてすぐに失踪し、決して豊かではない生活でも姉と寄り添って生きていた。
禁忌を犯し、肉体を喪い魂だけの存在で巨躯の鎧にとどめられ。
再びの人体錬成で、身体を取り返しても、罪は残り。



親となった今、ジェームズ・マッキンリーが種を蒔き、ゲオルグ・クライバウムが水を与え、ロイ・マスタングが花咲かせつつある、【戦争のないアメストリス】に、そしてそれを自分たちが作っていることに、どれほど感謝し、どれほど守りたいと願うか。
幼い自分たちが選ぶことが出来なかった、ごく普通の平和な生活という選択肢を、自分の子どもたちは選ぶことが出来るのだという達成感。
それを喩え口にしたとしても、双子は理解できないだろう。
戦争を、命をその手で絶ちきる、あるいは目の前で近しい命が消えていくという、残酷で非条理な現実を知らないから。
アレクが特級資格に年齢条項を設けるように試案を出したのも、そのためだ。
もし。
考えたくないけれど、再び錬金術師が【人間兵器】として駆り出されることがあったなら、12歳で国家錬金術師になったり、16歳でテロリスト殲滅に立ち会わなければならないことにはしたくなかった。とはいえ医療錬成という命に関わる業務を理由に年齢条項をやんわりと組み込んだことで、まさか自分の息子たちに噛みつかれることになるとは。
「………………双子に、話すべき?」
「まあ、少なくても今のアレクの気持ちを伝えることは必要じゃないかな」
「………………わかった」
アレクが重い腰を上げた時、双子の賑やかな声が玄関で響いた。



ノックの音に、ロイは答えを返す。ホークアイ補佐官の声に、ようやく顔を上げた。
「来たか?」
「はい、いらしてます」
「………………中へ」
促されてとにかく広いばかりの大総統執務室に入ったアレクは形ばかりの敬礼をして、渋面のロイを覗きこんだ。
「大総統ぉ?」
「アレク」
「ん?」
「……ドラクマに、行ってくれないか?」
「………………は?」
突然の、唐突な話にアレクは首を傾げる。
「ドラクマって、あのドラクマ?」
「他にないだろう」
「う〜ん、大総統、よくわかんないけど何のために私がドラクマに?」
妙な敬語にロイは指摘もせずに、ロイは執務机の上に置いてあった書簡をアレクに渡した。
「……見ていいの?」
「問題ない」
「じゃあ、失礼して」
ぱらりとめくった書簡は、アメストリス語で書かれていて最後のサインだけが読み取れなかった。ただその前後から書簡の送り主がムサ・カムド2世であることに気付いてアレクは眉を顰めた。そして書簡の内容を理解する。
「………………つまり、停戦協定締結15周年を祝って?」
書簡ではこう記されていた。
来年は停戦協定締結15周年であるが、国王即位15年でもあるため、前年に記念式典を行いたい。そのための代表出席者をお招きしたい…。それは5年前もあったことだった。締結と即位がほぼ同時期であったために、記念式典は前年に行われた。それと同じだと分かっていたけれども、アレクはその【お鉢】が自分に回ってきたことに眉を顰める。
「えっと、私に回した理由をお聞きしても?」
「人が……いないのだ」
単純明快な答えだった。アレクは天を仰ぐ。
マッキンリー、クライバウム、そしてマスタングと、軍部は自ら軍縮を推し進めてきた。特に目立ったのが将軍職の人数の減少だった。若返りを図ったこともあって、かつてのブラッドレイ時に比べればその人数は半分ほどになっていた。つまり、人数が減れば、軍部が関与する外交に負担が出てくる。とはいえ若返りを図ったために、今月はアエルゴ、来月はクレタと、ハードスケジュールをこなす50歳の中将もいることなど、ブラッドレイ時代には考えられなかった。
アレクやエドは、女性ということもあり、特にアレクはここ10年、妊娠・出産が多く、外国に赴くことが少なかった。
「マースも…クレタだしね」
「主要な人間は出払っていてな…実はエドを行かせようかと思ったのだが」
「え?」
「大総統夫人として、だ。だがな」
ふぅと溜息を吐いて、ロイが言う。
「ここのところ、私の就任式のこともあってか、具合が良くなさそうだ。夜も、うなされている時もある」
「………………ねえ、それは違う理由でしょ」
アレクの言葉に、ロイは眉を顰めて、
「ああ。そうかもしれないが……あれは、認めようとしないだろうから」
ロイが大総統になって、やろうと決めていたことがある。
エドはおそらく、それに思い至っているのだろうけれど。
「………………正直、行きたくはないけど…人がいないなら仕方ないよね。行きます。ちょうど、双子の反抗期も落ち着いたから」
「反抗期、なのか? 我が家のフェルも最近、私と話をしようとしないのだ」
「それは、反抗期というより、時間がないだけでしょ」
ばっさりと切り捨てられて、ロイは今度こそ大きな溜息とともに執務机の上に撃沈した。
「ひどいぞ、それは」
「だってそうでしょ。フェルは大人しい子だもの、昔からね。反抗期というより、ちゃんと向き合って話が出来る時間がないだけでしょ。うちなんか、特級資格の年齢条項とっぱらえ! だからね」
撃沈していたロイが顔だけ上げる。
「エドから聞いたよ。なかなか、優秀だそうじゃないか」
「あたりまえ。だってアルの子どもだから。年齢条項ははずさない、優遇しないって突っぱねたら反抗期突入だよ? でもね……少し話、したんだ。そしたら、納得はしてないみたいだけど、あたしの言いたいことはわかってくれたみたい」
『急ぐことはないよ。誰も二人を追いかけたり、追い越したりしない。自分の、自分だけの人生だから、誰かに追われるように道を選ぶのだけは止めなさい。だから、18歳になったらすぐに受験できるように準備しておいてごらん』
それだけを言いたかった。
息子たちは答えを返さなかったけれど、短いアレクの言葉のどれかが琴線に触れたのだろう。
アレクを明らかに無視するような反抗は鳴りを潜めた。
子どもの時間をたくさん持てたとしても、それでも子どもはいつか大人にならなくてはいけない。
それは間違いなく、誰にも訪れるのだ。
アレクもアルも、そして双子も、上級資格を取得出来たときが双子が【大人】になる時だと、なんとなく理解していた。
だがそれにはまだ、時間があった。
アレクの子供としての、時間が。
「だから、時間をつくった方がいいと思うよ」
「………………あれば、いいんだがな」
そして、ロイは思い出したようにもう一枚の書簡を取り出した。
「これも、ドラクマからだ」
受け取って読むアレクに、ロイが言う。
「2人、留学生を受け入れて欲しいそうだ」



「ロイがおしつけたんだろ?」
エドの言い様に、アレクは苦笑する。
「仕方ないね、だって将軍、少ないから」
「まあ、そうしたのも元々はロイだからな。あいつが働けばいいんだ」
ばっさりと夫を斬ってしまった妻の顔色が幾分優れないのを見つけて、アレクが問う。
「気分、悪いんじゃない?」
「ここのところ、パーティーが続いていたからな。ちょっと休みたい………フェルとも話もしてない」
「ありゃあ…どっかのお父さんも同じこと言ってたわよ?」
エドは鼻で笑って、ティーカップを持ち上げる。そして口に運ぶ前に思い出したように言った。
「ロイの話だと、留学生が来るって聞いたんだけど」
「うん。一人は錬金術を学びたいんだって」
エドの顔が輝いた。
「メイみたいだな」



メイ・チャン。
シン国皇帝の娘であり、妹でもあった錬丹術師。貧しい自分の部族を【助ける】ために、錬金術留学という道を選んだ彼女が、5年に及んだ留学の後に、兄である枢弼ジエン・チャンに依頼という形で呼び戻され、シンの皇都アンティンにおいて、錬金術学校を開いたのは1929年のこと。遡れば5年前だ。
アメストリスに骨を埋めるつもりで、そしてアメストリスで婚約までしていたメイが泣く泣く乗り込んだクセルクセス鉄道のプラットフォームを二人は思い出した。
小さな小さな黒い髪の女性が、涙ながらに謝罪する。
大きな大きな、まるで筋肉の山のような婚約者が、微笑みながらその涙を拭ってやって。
あまりにもほほえましく、そしてあまりにも違和感のある見送り風景を思い出して、エドが呟く。
「………確か、娘、だったよな?」
「うん。エイファ・エリザベート・チャン・アームストロングだったっけ……」
メイがアンティンに帰って、1年後に送られてきた手紙と写真にエドとアレクは仰天する。
写真は小さなメイが幸せそうな表情で、かなり巨大な黒髪青目の赤ん坊を抱きしめている風景で。
赤ん坊の顔を見た瞬間に、誰もが理解した。
それが、アームストロングの娘であることを。
そしてアームストロングは急遽、アンティンのアメストリス国駐在の武官として慌ただしく赴任していった。アームストロング財閥をどうするのだと叫ぶ、ずんぐりむっくりな父親、ちゃんと子供の面倒は見るのですよと言う母親、お兄様お元気で〜と自分の背後に花をばらまいたような可憐な様子で、しかし兄の巨大な荷物を軽々と持ち上げる妹。なかなか見られない見送り風景を再び思い出して。
学校が軌道に乗ったら、子供も連れてアメストリスへ帰りマス。
そう手紙に書いてきた、エドとアレクの錬金術談義に参加できる数少ない女性の帰りを、エドとアレクは微笑みながら待っている。



「ね、覚えてないかもしれないけど、ブリッグズ山で戦った時の停戦協定の時に、捕虜引き渡しに来てたドラクマ南方司令官、覚えてない? カララト大公って」
「……俺、協定調印式に出席してないからなぁ…確か、ロイの看病してたんだっけ」
「そうそう」
「……そのカララト大公の子供なのか? 留学生って」
「うん。姉の方が錬金術を勉強したくって、弟は…機械鎧を勉強って言うか、自分に装着したいみたい」
それはロイから聞いてない。エドは目を細めて、
「どこが?」
「冬の湖に落ちて、凍傷で切断したみたいね。両足の膝下、左の手首から先が欠損、だって」



それはまさしく身体を裂かれる痛み、だった。
禁忌を犯した証であり、決して忘れるなと忠告された証であった。
エドは、思い出す。
かつて、自分が、機械鎧をつけていたことを。
きしむ関節の音を。
鈍く輝く金属の足を。
思うがままに動く、第2の腕を。
そしてそれを与えてくれた幼馴染みのことを思い出した。



「今、ウィンリィのこと思い出したでしょ?」
義妹の言葉に、思わず苦笑する。
相変わらず、鋭い。
「機械鎧って言ったら、あのヲタクしか思いつかないもんなぁ」
「ロイまで同じこと言ってたね……ああ、でも彼女、最近とても有名なんだよ。ラッシュバレーに腕の良い、女整備師がいるって」
だからね。
とアレクは続けた。
「預かるその子、ウィンリィに機械鎧をつけてもらおうと思って」
「え?」
「ロイの意見でもあるんだよねぇ」
華やかなバラのにおいを紅茶から感じながら、アレクが続ける。
「エドとアルが賛成なら、って条件つきなんだけどね」
「………なんで反対するんだ?」
「う〜ん…まあ、ロイにしてみればいろいろと配慮したつもりなんでしょ? でも、気の回しすぎの気もしないでもないけどね」
ぴくり。
エドの眦が少し上がったのを横目で見ながら、アレクが珍しく言い訳する。
「あ〜、でもね。ロイの気持ちも少しは分かるんだよ……ほら、あんまり過去をかき回したくない? みたいな?」
「……アレク、語尾が上がるのは何でだ?」
「………………ごめん、フォローしきれないや。でも、ロイが心配性なのは分かってるでしょ」
「ああ、すっごくな」
上がった眦はすぐに落ち着き、苦笑に代わる。
「もう、大丈夫だって言うのに」
「何回言っても聞かない……だったけ?」
「ああ」
苦笑は微笑みに代わり、エドはゆったりと紅茶を楽しみ、そして言った。
「大公の子供ってことは、公子か」
「ハリム・ナルルドって名前らしいよ」
「……ウィンリィに機械鎧つけてもらえば、少しは元気になるかな」
「そう、だね…………」



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