輝石 06
前日は夜勤だった。
アレクはずいぶんと文句を言いながら、夜勤をこなした。
准将ほどの高位になれば、夜勤をしている意味はほとんどない。緊急事態における責任者代行という理由故の夜勤なのだが、実際アレクが准将になってから夜勤で緊急事態に陥ったことは一度もない。
絶対に、将軍クラスの夜勤をなくして貰おう。
アレクは心に堅く誓って、曙光を浴びながら帰宅の途につき。
ヘンリエッタに少し夜食兼朝食を作ってもらって、アルの出勤を見送って倒れるようにベッドに潜り込んで数時間。
アレクは激しい音に目が覚めた。
何か金属が倒れるような音。
なんだろう。
まだ眠りから覚めない重たい身体を、なんとか叩き起こして激しい音がした1階に降りていけば、どこからともなく激しい言い争いが聞こえてきて。
それがナタリアと、テオの声だとすぐに分かった。
「二人ともいい加減にしてよ」
止めに入るレオの声も聞こえた。
言い争いの声はリビングから聞こえてきて。アレクは夜着のまま、リビングに入った。そして僅かに瞠目する。
アレクの目に飛び込んできたのは、倒れた車いすと投げ出されたハリム。それを起こそうとするレオと。
明らかに違う世界で対峙していたのはテオとナタリアだった。仁王立ちの二人はハリムの様子も目に入らず、互いをにらみつけていた。
「………これはどういうこと?」
「あ、母さん」
アレクの、すぐに低くなった声にレオはあからさまに困った表情をして。投げ出されてしまったハリムを起こそうとする。ハリムもアレクを認めて、慌てて倒れている車いすを右手を伸ばして、引き寄せようとするけれど上手くいかず。
アレクがハリムの前に出て、倒れた車いすを直し、レオの手を借りてハリムを車いすに戻して。
振り返りながら、静かに言う。
「どういう、こと? 説明しなさい」
「………あのさ」
「准将、僕が自分で転んだだけですから」
ハリムが何とか言い訳しようとするけれど、アレクはぴしゃりと言った。
「自分で転んだのに、レオがなんで慌てたの。ハリム、こんな時の嘘は誰の為にもならないよ」
「……すみません」
「テオ、ナタリア。説明して」
聞き慣れないアレクの低い声と、鋭い眼光にナタリアは思わずたじろぐが、それを助けるようにすぐ側にいたテオが声を上げるが、その内容は決して助けるという内容ではなく。
「ナタリアが、我が儘言っただけだよ」
「我が儘?」
「紅茶が飲みたいって言うから、レオが入れてやったんだよ」
レオを見れば、その言葉に同意するように頷いている。アレクは話の続きを促した。
「それから?」
「安い茶葉使ってるだの、カップが暖まってないだの、文句言ってさ。だから自分で淹れろって言ったんだよ」
「淹れたことなんて、ないんだもの。だからもう一度ドラクマ風の紅茶を淹れてって頼んだじゃない」
「頼んだぁ? あれは命令したっていうんだよ」
「……………じゃあ、なに? 頭を下げて言えばよかったわけ?」
所謂子供のケンカだ。
アレクは深々と溜息をついて。
再び舌戦を繰り広げ始めたテオとナタリアをそのままにして、ハリムに問う。
「けがは?」
「ないです。ホントにちょっと転んだだけで」
レオを見れば、
「ナタリアを止めようとして、手が当たったんだよ。思った以上に勢いがついて、転んだみたいなんだ」
「そう…だけど、まったく」
ぎゃいのぎゃいの賑やかな二人を、アレクは手招きする。
「おいで、おいで」
「?」
先ほどまでの低い声ではないことに、少し安心してテオとナタリアが促されるまま近づき。アレクは拳を握りしめてテオの頭上に振り下ろした。ナタリアには幾分優しく。
「い!」
「なんで…」
「ホントに、つまんないことでケンカするんじゃないの。お互い気に入らないことは気に入らないって言いなさいって言ったけど、それはケンカしていいってことじゃない。まして、ハリムまで巻き込んで」
『一緒に住むってことは、もう家族だからね。気に入らないことは気に入らない人に直接言いなさいね』
そう言ったのはアレクで、ナタリアとハリムがエルリック家に来た日に、わが子たちに言ったことは間違いない。
思わず力が入ってしまったのだろう、頭を抱えているテオの眦には涙が浮かんでいて。
「ケンカ両成敗って、いい言葉もあるしね」
頭を撫でているナタリアも、少し鼻をすすりあげているけれど、涙までは見せていない。アレクはそんなナタリアの頭を撫でて。
「だけどね、ナタリア。出来るだけ自分でしないと。あなたたちは侍女の一人も連れて来なかった。連れて来なかったのには理由があるでしょ? ドラクマであたしに言ったじゃない」
『私たちは、侍女を連れて行きません。だって、自分たちで生きていけるようになりたいから』
常に身の回りの世話をしてくれる人物を置かないことが、二人にとっての決意の証だった。
だったら、自分たちのことは自分でしないと。
ナタリアの頭を撫でながら、アレクは言う。
「ハリムには、自分で荷物の準備をするように言ったでしょ。ナタリア、あなたもそうだよ。これからは普通の女の子がしていることは、みんな出来るようにならないといけないわよ。大変だけど…あなたたちがそれを選んだのだから。だけどその前に」
アレクは低い声に戻って言う。
「少なくとも、ハリムを巻き込んで車いすから突き落とした事実はあるから。ちゃんと二人で謝りなさい」
「ちょっと母さん、俺は倒してない」
「原因を作ったという意味で、同罪」
「………………わかった」
「ハリム、ごめんね」
「………………ごめんな」
謝罪を聞いて、ハリムはにっこりと微笑んだ。
「はい、大丈夫」
アレクは小さく息を吐いて、慌てた様子で飛び込んできたヘンリエッタに、
「ヘンリ、美味しい紅茶を淹れてくれる? レオが淹れてくれたけど、少し量が少なかったの」
「はい、アレク様」
アレクの言葉に、ナタリアは一瞬瞠目する。
そうか、これが大人なんだ。
あっさりと、レオもテオも、そしてハリムもナタリアの気持ちまでも和ませる。
すぐに並べられたティーカップを口に運びながら、アレクはようやく気付いたようにレオに問う。
「そういえば、今日、学校は?」
「創立記念日。確か、先週話したけど?」
「………………あ、そうでしたか」
パタンとトランクケースの蓋を閉めて、ハリムは少し苦労しながらロックをかけた。
「よっし」
小さな片手のガッツポーズを背後から見ていたナタリアは、声をかける。
「出来たの?」
「うん。荷物って大変だね。姉様、今まで僕の分もやってくれてたんだ。ありがとう」
「どういたしまして」
ハリムが閉めたトランクを、明日一緒に持って行く荷物の上にぽすんと乗せて。ナタリアは振り返る。
「ホントに、大丈夫?」
「ん?」
「あたし、たったの2週間で帰ってきちゃうんだよ? 多分、まだ起きあがれない頃に。アルフォンスさんも一緒に帰って来るって言ってた…」
「姉様、僕は遊びに行くんじゃないよ」
穏やかな弟の言葉に、ナタリアは一瞬何を言い返そうとしたけれど、すぐに笑顔に押し隠す。
「そう、だね」
「姉様。姉様は中央で錬金術の勉強するんでしょ? ね、整備師の技術に必要かも知れないから、時々教えてくれる?」
「…もちろんよ」
明日は早いから、早く寝ておいてね。
アレクの言葉を思い出して、二人は早々にベッドに潜り込んだ。
深更。
ふと目が覚めたナタリアは薄いカーテンの窓の向こうに、真円の月が浮かんでいるのを見た。
だが、すぐに睡魔の羽に瞼を撫でられて再び眠りについた。
「アレク」
ベッドの中で研究書に目を通していたアレクは、横で眠っていたはずのアルの声に慌てて答えた。
「ごめん、ライトがまぶしかった?」
アルは答えず、慌ててライトを消そうとするアレクを抱き寄せる。
「ちょっ、アルってば」
「アレク〜」
背中から抱きすくめられてはアレクも動けない。ライトに手を伸ばすのを諦めて、言う。
「夢でも見た?」
「…違う」
「じゃあ、明日、ラッシュバレーに行きたくなくなった?」
「違う」
「ってことは、両方なのね」
相変わらず察しのいい妻の、背中に顔を埋めながらアルはまったく違うことを言う。
「アレクは、お肉つかないね」
「………………は?」
「うちの、サモンマイヤーさんが今日言ってたんだ。女性は中年期になるとお肉がついて、ふくよかになるって」
ちなみにアンジェリカ・サモンマイヤーはアルフォンスの秘書で、アレクよりも10歳ほど年上のはずだ。
一体、何が言いたいのか。
アレクは眉を顰めたが、それをおくびにも出さずに答えを返す。
「うん、そういう人もいるんだろうけど。3回お産しても、3回ともこれって言うほど太らなかったからね。そういう体質なんでしょ。でも、母様も父様もそうだったのかなんて、今となってはわかんないけど…ってそんな話をしてるんじゃないでしょ?」
「うん」
「アル?」
「………………昔のこと、思い出した。姉さんが機械鎧をつけた時のこと」
「うん」
「………………痛いんだよ、見てる方も。ああ、でも僕の場合は鎧だったから感じなかったけど」
「……」
「ごめん、暗い話だね」
「いいよ」
背中から抱きしめられたまま、アレクはアルの話を促した。
何度も聞いた話。
アルも話したことを忘れているわけではない。だけど分かっていて、話すのだ。
忘れるわけにはいかないから。
アルにとっては、アレクに話すというより、自分の中での教訓の確認作業なのかもしれない。
「音だけが、聞こえるんだ。金属があたる音だと思う。時々、姉さんが悲鳴を堪える声も…忘れたくても忘れられないんだよ」
「うん」
「……忘れちゃいけないんだよ。僕らが…犯した、罪の証拠なんだから」
「そうだね。でも、アレク。忘れないことが大事なんじゃないよ」
これも何度も言った台詞だ。だがアレクも分かっていて、告げた。
「続く者を生まないこと。それが大事、なんだよね」
「うん……」
「うちの子や、フェルや……ハリムが、同じ道に踏み込まないように、してあげないとね」
「うん…」
少し震える声は、アルの後悔を示しているようで。
アレクは重さと暖かさを伝える背中に、あえて何も言わずに時を過ごした。
それが、時折訪れる、アルの【罪】を昇華する方法だったから。
交わされた別離のキスに、エドはまたしてもリオの視界を隠しながら顔を背けた。
「まったく、お前らは…」
「父さん、リオにもリオにも」
エルリック家の子供たちは、両親のスキンシップを日常見ているから慌てることもないのだが。
「いいじゃない、減るものじゃないし。それに、家に帰れば自分だってロイとしてるくせに」
「………………そういう問題か?」
「うん。そういう問題」
あっけらかんと返されて、エドは全身脱力する。
その隣に、アレクは少し緊張した様子のナタリアに声をかける。
「ナタリア、渡した本は持ったわね?」
「はい」
「必ず、帰ってくるまでに熟読しておくこと。そうすれば、少しは錬金術について分かるようになっているはずだから」
エルリック家を出発直前、アレクはナタリアに一冊の本を手渡した。
【錬金術入門】。
それは錬金術師を目指す者ならば、必ず一度は読むという初歩的な入門書で、アレクが急遽ドラクマ語に訳されたものを取り寄せたのだ。少しうんざりした表情のナタリアに、アレクはあっさりと告げたのだ。
『はいはい、勉強勉強〜、双子に聞くのがいやなら、自力で分かるくらいにならないとね』
ぎょっとした表情をナタリアが浮かべたことで、アレクが論外で双子を家庭教師につけることを考えていることが分かったようで。
「ハリムは、機械鎧のことだけ考えてなさい。あんまり無理してリハビリを励まないようにね」
アレクの言葉に、ハリムは穏やかに微笑んで。
「ええ」
一方で姉弟の漫才も始まっていた。
「アル、ウィンリィによろしくな」
「最近全然連絡してないでしょ。ウィンリィが電話で怒ってたよ。自分で連絡しなよ」
「いやだよ。だって、お前行くじゃないかよ。元気してますよ〜って一言伝えるだけじゃねえかよ」
「うわ、そういうの責任転嫁って言うんだよ」
「あ〜る〜〜〜〜」
エルリック家の一同はあまりにも見慣れた光景に、特に感慨もないのだが、ハリムは珍獣を見るように目を見開いて見つめていた。
エルリック家では良心の権化のような、アルフォンス。
大総統夫人で、ハリムの間隔では王妃のような存在であるエドワード。
その二人がハリムでも他愛のない、と分かる会話で【漫才】を繰り広げているのだから。
しかし、漫才は出発の汽笛にかき消された。
「ほら、いってらっしゃいくらい、言いなさいよ」
母に促されて、レオが声を上げる。
「気をつけて」
「はい」
「て〜お〜〜〜」
優しい母の呼びかけに、テオはわざとらしく溜息をひとつついて。
ハリムに言った。
「頑張れ、な」
「はい」
「きをつけて、行って来い」
視線をそらせながら言ったその台詞は、どうやらナタリアに向けられたもののようで。
ナタリアも視線を外しながら、応える。
「ええ」
短い会話だったけれど、それがリビングでハリムを巻き込んで以来の、二人の会話だと気付いたのは、レオだけだった。
走り出した汽車にエドが穏やかな表情を向けて、アルに言う。
「帰ってきたら、仕事がたくさんあるからな! 何より、あれを壊すから」
「え?」
あれを、壊す。
その言葉が意味するものを、アルフォンスは知っている。
プラットフォームから流れるように走り去ろうとする汽車の中から身を乗り出して、姉を見た。
穏やかに微笑む姉の表情からは、何も読み取れなくて。
「姉さん!」
「帰ってきたら、な!」
「………………いいの?」
「ん?」
振り返れば、穏やかとは言えない表情で義妹が見つめていて。
エドは少し胸焼けを感じる胸をさすりながら、
「なにが?」
「さっきの、壊す話よ」
「………決めてたことだよ。それに、時期だって最初から決まってた」
「いいの、ね?」
「ああ。後悔は…するかもしれないなぁ」
不意にプラットフォームの天井ガラス越しに見た空は、見事なまでに青かった。
『いいの?』
20年前。
さっきのアレクのように、エドに問いかける女性がいた。
黒い髪は緩やかに靡いて。黒い眸はまっすぐにエドを見据え。
絶世の美女と呼ばれておかしくないその姿を、しかしエドは同性故に特に感慨も覚えないまま、応えた。
『ああ。後悔するかもしれないけど、後悔しない』
『ま、なんて矛盾した応え』
ころころと笑いながら返されて、エドは渋面のまま、
『アルの身体を取り返すことで、どんな手段を使っても構わないと思ってる。だけど、方法では後悔するかもって、意味だ』
『なるほどね』
形の良い唇は朱で彩られ、女性は幼いエドに問う。
『いいわ、気に入ったわ。あなたの応え。あなたに、あげましょう。好きに使えばいいわ。でも、一つだけ約束して』
『なんだ』
柳のように細く白い指でエドの顎をさらりと撫でて。
『子供を、生みなさい。そして、命の意味を知りなさい。ずっと先でもいいのよ』
『……約束出来るか。そんな相手、いないのに』
エドが眉を顰めると、再びころころと彼女は笑って。
『大丈夫よ、あなたが愛し愛される相手は必ずいるわ。世界に一人だけ、ね』
「おっし、問題なし」
検査結果書をパタンと閉じて、ウィンリィ・ロックベルはにっかりとハリムを見つめて笑った。
「明後日くらいから、手術出来るけど…どうする?」
「早ければ早いほどいいです」
「そっか…う〜ん……」
ウィンリィはちらりと壁のカレンダーを見て、それから付き添っていたアルに言う。
「アルはいつ帰る?」
「ん? 再来週にはナタリアを連れて帰ろうと思ってるけど…不都合?」
ウィンリィは少しだけ深刻そうな表情を浮かべて、
「う〜ん…不都合っていうか…どうせなら手伝って貰おうかなって言うか…あのさ、ハリムくん」
「はい」
「ジョイント手術が、すっごく痛いってことは分かってるよね?」
「はい」
「だけど…もし、一気に全部一緒にやっちゃったとき、大丈夫?」
「全部、ですか?」
言われている意味が分からず、ハリムは首を傾げる。
「えっと、その意味が」
「うん、つまり予定では右足、左足、左手の順番で手術していくことになってたでしょ?」
ハリムは頷いた。4日ほど空けて手術を繰り返すことになる、体力を維持させながらの手術方法だと、アルからも説明を受けていた。
「そう、体力の問題もそうなんだけど、手術する人間がいないっていう理由でもあってね。だけど、今君を見たら、意外に体力ありそうだね。それにアルがいるからね。医師免許を持っているアルなら、手術を行うことに問題はないし」
「そうなんですか?」
ハリムに話を振られて、アルは苦笑する。
「まあ、出来なくはないと思うけど。執刀はあくまでウィンリィだから」
「いいかな。一気にやっちゃえば、確かにハリムくんの身体にすごく負担はかかるよ。でもその分回復は早いと思う」
「やります。お願いします」
あっさりと答えを返され、少しウィンリィは言い淀んだけれど、すぐに力強く頷いて。
「じゃあ、明後日。今日明日はゆっくり身体を休めるんだよ」
『1年だ』
少女は、力強く宣言した。
隣にいた祖母が呆気にとられたことを、ウィンリィは今でも覚えている。
手術、リハビリで3年はかかる機械鎧装着を、幼馴染みの少女は『1年』と宣言して、その通り一年後には、国家錬金術師となって村を出て行った。
「……23年、か………………」
我が家の屋上から見えるラッシュバレーの街並みは、まもなく夕暮れを迎える時間となっても、灯りと音が途絶えることがない。
夜を徹しての灯り、常に金属を打つ音が響いている。
それが機械鎧の聖地とよばれるラッシュバレーなのだ。
エドに機械鎧を装着して、23年。
ウィンリィが機械鎧整備師を目指すことを決めて、22年。
23年という年月は、長かったのだろうか、短かったのだろうか。
「綺麗だね、ここから見える夜景は」
気付けば隣にアルが座っていて。
その気配のなさに、ウィンリィは一度吠えてみて。
「…まったく」
「ごめん、脅かしたみたいになって」
「いいよ。相変わらず、直らないんでしょ?」
「そうなんだ」
ぽりぽりと頭をかいてみせるアルフォンスを見遣って、ウィンリィは苦笑する。
アルが密やかに気配を隠して動くのは、巨躯の鎧にその魂をとどめていた時の名残だ。どうしても歩くだけでも音を発する鎧を速やかに動かすために、アルは苦心して音を出さない動き方を編み出したけれど、それはすなわち気配を消す方法で。
「アレク、何も言わない?」
「慣れた、って言われた」
「そう」
「何を、考えてたの?」
アルに問われて、ウィンリィは苦笑しながら言う。
「エドに機械鎧をつけたのが、23年前だなぁって」
「そんなになるの?」
「うん。なるんだな、これが」
ウィンリィは密やかに吹く風を頬で感じながら、
「身体を取り戻したのが、20年前」
「そんな昔のことなんて、おもえないのに」
「うん」
今思い出しても、後悔してるよ。
ぽつりと告げられた幼馴染みの一言に、アルはゆっくりと瞠目する。
「後悔って…?」
「エドに機械鎧をつけたこと、よ」
辛い苦痛を味わわせたことじゃない。
ただ、そのあとに続いたエルリック姉弟に降りかかる災厄を思い出せば、もし自分と祖母があのとき、エドに機械鎧の身体を与えていなければ、と思うのだ。
何度も、何度も、悔いた。
自分たちが喜び勇んでつけた機械鎧を、エドは喜んで受け取ってくれたけれど。
手足が動いてさえいなければ、エドが軍の狗になることも、さらなる罪を重ねることはなかったはずなのに。
「……もしかして」
今までずっと、後悔してきた?
アルの問いに、ウィンリィは小さく頷いた。すぐ隣で深い深い溜息をはく音。続いて苦笑しながらアルが言う。
「参ったな。後悔なんて、僕と姉さんの専売特許だと思ってたのに」
「………いいじゃない、あたしはあたしで」
「そうだけどさ。姉さんはきっとウィンリィがそういうことで悩んでることを知らないだろうし。知ったら…怒ると思うよ」
夕暮れから夕闇へ。
空は色を変えている。
なのに、ウィンリィの気持ちは23年前から止まったままだったのだ。
「誰も、ウィンリィが悪いなんて………………思ってないよ」
少しずつ寒さが伴い始めた微風を頬に感じて、ウィンリィは顔を上げた。
空に浮かぶのは、満天の星、そして繊月が浮かんでいた。そのどれもが地上からの灯りで霞んで見えて。
「分かってる。誰も、エドも言わない。だから…なおさらね」
それは、誰の罪、なのだろう。
アルは何も言わず、ウィンリィの横顔を見た。
ウィンリィが罪を背負う必要はないのだ。
かつて、愛する者が言った。
『アル。罪は一人で背負うものじゃないの。アルとエドだけで、背負うものじゃない。だったら、少しだけでも分けてね。あたしもロイも、二人の手助けしたいんだから』
これは姉弟の罪、だったのだ。
そして知らぬうちに、ウィンリィへ渡してしまったのだろうか。
「ウィンリィ」
「あたしは、後悔してる。だから、二度と繰り返さないようにしたいって思ってるよ」
幾分遅れて、アルが反芻するように呟いた。
「繰り返さない」
「うん。しつこいくらい、機械鎧が必要なのか、何度も何度も聞くよ。自分でその人に機械鎧が必要かどうか、調べて。自分が納得できて初めて、機械鎧をつけるの。慎重すぎるって、仲間たちにはよく言われるけれどね。でも、あたしはそうしたい」
アルは目を見張って、そしてゆっくりと微笑んだ。
「そっか…」
「うん」
「ここの月は、ずいぶんと存在感がないね」
「………………アル、話飛びすぎ」
あははと笑って、アルフォンスは思う。
自分の幼馴染みが、こんなに深く自分たちのことを考え、思い、そして過ちを繰り返さないことを決めていることに。
「………………ありがとう」
「ん?」
部屋に入ろうと立ち上がったウィンリィは、微風に消えたアルの独り言をとらえられず。
アルはにこやかに笑って、
「ん? なんでもないよ。あのさ、姉さんから伝言。よろしくって。それからアレクからも。えっと、【エドの機械鎧】と【賢者の石】については他言無用」
「わかってるって」
ウィンリィは小さく頷いた。
続いたアルの言葉に、一瞬瞠目する。
「近いうちに、壊すことになるけど」
「え? あれを?」
「うん」
「そう…ようやくね」
「うん」
アルの応えに、ウィンリィは微笑んで。
「言わないよ。いくらあたしでも、それくらいは分かるからね」
「だよね…」