輝石 11
テオはげんなりした表情に変わって、
「あいつ、あんだけ出来るんだったら、俺たち教えることないじゃんかよ」
そうなのだ。
母が【合格♪】を出しただけあって、ナタリアの錬金術に対する基礎知識は完璧に近いほどになっていて。先日リンドバーグに頼んで受講させた初級の授業にも十分についてきていた。というより寧ろ身を乗り出して、興味津々で授業に参加していたことがあまりにも印象的だった。
ただ幾分、実践に弱い。つまりまだ練成陣を書くことに慣れていないのだ。
こればかりは慣れでしかない。
だから双子は毎日、いくつもいくつもナタリアに練成陣を書かせていた。
今日も練成陣の課題を出しておいたはずなのだが。
「今日は何にしたんだよ?」
「ん? 木材からの生地生成」
「…ちょっと難しすぎないか?」
「大丈夫だよ、ナタリアならきっと」
その時、部屋の外から双子が呼ぶ声がして、
レオが部屋の扉のノブに手をかけるのと、扉が勢いよく開くのはほとんど同じだった。
そこに開いた扉の向こう、肩で息をしながら立ち尽くすのは確かにナタリアだった。
胸の前で何かを両手で握り締めながら、ナタリアは何かを叫んだ。だがそれは双子の知らない言葉で、レオはすぐにナタリアが発したのがドラクマ語であると察した。
「ナタリア、アメストリス語で言ってくれないと」
「あ」
ナタリアはあわてて、アメストリス語で言う。
「あのね、見つけたの!」
「は?」
「何をだよ」
ナタリアが双子の机に駆け寄り、胸の前で大事そうに抱えていた何かを机の上に置いた。
「これを見て」
『近年における錬金術の研究』と書かれた本に押された紋章は、学校の書庫のもので。まだ学生ではないナタリアが書庫からそれを持ち出せる筈もなく。とすればレオは一つしか思い至れず、自分の片割れを見やれば明らかに視線を感じて、あらぬ方向を見つめている。
レオは苦笑して、必死な様子でページをめくるナタリアに視線を戻した。
「あった」
見るように促されたそのページには写真が載っていて。
一人の少年の、写真だった。
睨みつけるように、写真の向こうまで射すくめるような黄金の眼差し。
双子は一瞬考えて、
「なあどっかで見たことないか?」
「う〜ん……僕もよく知ってる人だと思うんだけど」
「当たり前よ!」
ナタリアはレオに、ページのある部分を指差して、そこを読むように促した。レオは素直に応じて読み始める。
「『1915年2月、中央の軍中央司令部第一研究所において、【鋼の錬金術師】エドワード・エルリックとその弟アルフォンス・エルリックが…』」
テオはようやく気づいた。
こちらを射すくめるようなきつい眼差しの少年だと思ったのは、
「なんだ、エドおばさんの若いときの写真じゃないか。そういえば、【鋼の錬金術師】をしていた頃に父さんと二人、ロイおじさんの特殊任務で全国をふらふらしてたって言ってたな」
「うん、そのぐらいの年の写真だね。父さんは写ってないけど…僕らよりも少しだけ年上ぐらいじゃないかな」
ナタリアは眉を顰めて、先を促す。
「そこじゃないの」
「はいはい…えっと『…アルフォンス・エルリックが、伝説といわれた賢者の石生成に成功したと発表された…』…え?」
レオは眉を顰め、テオはあっけに取られる。ナタリアはレオの読まなかった先を読む。
「『賢者の石は等価交換に基づかない練成反応の触媒として、その名前は古くから有名であったが、有名高名な錬金術師の誰もが生成に成功できずにいた。エルリック兄弟は賢者の石を生成し、等価交換の触媒として賢者の石を利用した練成を行った軍は続いて発表したが、詳細については軍の特級機密条項に設定されたために、不明である』…どういうこと?」
「………………どういう…」
少し前、ナタリアは同じように腕の中に書物を大事そうに抱えて、双子に言った。
『ハリムの手足を錬成すればいいんじゃないかしら?』
あまりにも素晴らしい思いつきでしょうと、満面の笑みのナタリアの夢を崩すのは忍びなかったけれど、双子は言ったのだ。
『それは、医療錬成の枠を越えているから…人体錬成になるんだよ』
『人体錬成は禁忌だ。錬金術の原則を越える』
『一の物は一、十の物は十。でも、無のものを有にはできない』
激しい理論の末に、ナタリアは項垂れて部屋を出て行った。
そのことを母に言うと、アレクはしばらく考え込んで、しかしやがて顔を上げれば、
『そうね、錬金術は万能ではないことを、ナタリアは知るべきかもね』
続いて同じように現れたナタリアは、最初の時のような満面の笑みで、告げた。
『賢者の石、というのがあるわよ。これを生成すれば』
再びナタリアは項垂れて部屋を出て行くことになる。
ハリムの手足を戻してやろうと、ナタリアが必死なのはよく知っている。だけど、錬金術で答えは導き出させないことを、錬金術にナタリアよりも遙かに長けている双子は理解していた。だから2度目のあと、そういう調査は止めるように言おうと思ったのだが、意外なことにアルがそれをとどめた。
『ダメだよ、レオ、テオ。こういうのは自分で調べて、自分で納得しないといけないんだ。決して他人からの強制で手段を知ったり、諦めては意味がないよ』
そして3度目に、ナタリアがもたらしたのは信じられない真実だった。
父が、伯母が【賢者の石】を生成し、等価交換に基づかない錬成を行ったという。
双子は混乱して、レオは考え込み、テオは首を傾げることしかできなかった。
未来を見つけたかのように、ナタリアの問いが朗々と響く。
「錬金術は等価交換の大原則を伴っていて、何かを得るためには代価が必要…そう教えてくれたのは双子でしょ?」
「あ、ああ…」
「人体錬成が禁忌であると理由は、何を代価として求められるか分からないから。錬金術師だけでなく、与えられる者にも影響が考えられるからだと、教えてくれたのも双子だよね」
「そうだよ」
双子は混乱していた。
錬金術を学び始めた頃、父が教えてくれたこと。
錬成するには必ず、大きいか小さいか、重要か重要でないか、違いがあったとしても、代価を要求される。決してそれを忘れてはならない。
「二人が何を錬成したのかなんて、興味はないけど、賢者の石を使わなくちゃいけないくらいの錬成をしたんでしょ。そして、成功したんじゃない! 人体錬成だって、もしかしたら」
「だから人体錬成は何を代価に求められるか分からないから」
「じゃあ、何のための【賢者の石】なのよ!」
テオは思わず口ごもる。
それまでの錬金術師として学んできた全てが、ナタリアの言葉で否定されているような、そんな気さえしていた。
「賢者の石を代価にすれば、錬金術師どころか、与えられる者に対する影響だってないかもしれない」
「だけど、ナタリア。賢者の石は、その父さんたちの錬成でなくなっちゃったんじゃないの? 父さんたちがそんなものを持っているなんて聞いたことが」
レオの言葉に、ナタリアは猛然とページをめくり、再びレオに読むことを促す。
「『前述の賢者の石においては、特級機密条項のために詳細不明ではあるものの、現在軍中央司令部技術研究局に厳重に保存されている』」
「あるじゃない! それも、准将のところに、アルフォンスさんのところに!」
勝ち誇ったように告げるナタリアのその眼差しには、幾分かの狂気さえ見えて。
双子は見てはいけないような気分になって視線を外した。
「軍のため? 国のため? そうやって使ってるんでしょ、賢者の石を! だから一度ぐらいハリムの為に使わせてくれてもいいじゃない」
「だけど、さ」
テオが声を上げた。
「だけどさ、隠してる、生成・利用方法を公表しないってことは、誰にでも扱えるものじゃないからだろ。初級を取ったばかりの俺たちでも聞いたことがないんだから、ナタリアに」
「使えるわ」
傲然と顔を上げるナタリアの表情は、まったく見たことのないもので。
「無理だって。そんなことに時間を費やすなんて馬鹿げてる、必ずリバウンドが起きる」
「何とでも言えばいい。私は答えを見つけたから」
一瞬の睥睨。
重くのしかかった空気を、一瞬で霧散させたのは低い声だった。
「無理だよ。それはナタリアの答えにはならない」
3人が慌てて振り返れば、部屋の扉にもたれかかるアレクの姿があった。
見慣れた蒼の軍服の、襟元だけをはだけて、気怠そうに3人を見つめている。小さく吐いた息は、少し辛そうで。双子は母の姿を見ただけで理解した。
いつもの、病気だ。
「母さん、座って」
「いいから」
「でも、熱が」
母が明るい気性とは反するようにかなりの病弱だと双子が気付いたのは、リオが生まれる前だった。時折寝込む母の容体を尋ねれば、父は苦笑して大丈夫だよとしか応えてくれず。双子は母から直接聞かされた。
『子どもの頃にね、背中に大きな火傷を負ってね。火傷は治ったけど、それが原因で体温調節が難しい時があるんだよ』
母は子どもだからといって、双子に難しい言葉をわざわざ噛み砕いて説明するようなことはしない。
自分で調べろ。
いつも、言下にそう教えてくれた。
双子は調べ、そして知った。
皮膚の中には、体内温度と外気温との調節をはかる機能がある。だが皮膚を一度に広範囲に喪うことがあれば、喩え皮膚が再生しても、温度調節機能は喪われたままになることもある。
母の背中を見たことはない。母は見せないようにしてきた。だから双子もそれを押し切って、見るつもりもないが時折高熱で倒れる母を知っているだけに、双子は椅子に座るようにすすめたのに、珍しくアレクははねのけた。
「要らない」
そしてナタリアに向かう。
「まったくお子様たちの会話とは思えない話をしてるわね」
ナタリアは明らかに表情を硬くして、
「准将たちが隠してなければ、こんな話しなくてすんだんですよ」
「…あたしたちが、子どもたちに賢者の石を知られるのが嫌だから、罪を犯したことを知られたくないから黙っていたとでも言いたい?」
「違うんですか?」
一方的な思いこみ。だが、子ども故の無知すぎる純粋さにアレクは嘆息する。
ある意味、ナタリアの言葉は間違っていない。
なぜなら人体錬成を繰り返し、賢者の石を手に入れたのはナタリアより幾分幼い少女、エドワードだったのだから。
第2のエドワードが生まれない、という保証などどこにもなかった。
アレクはナタリアの問いに応えず、レオを促して机の上に置かれた本をペラペラとめくって見る。
「………まあ、賢者の石を技術研究局が保管していることは隠すつもりはないわよ。神秘なるもの、脅威となりうるべきものは国家錬金術師という薄いヴェールに包み、対外・対内勢力に思案をもたらせればそれに越したことはない…3代前の大総統の言葉よ」
『そう言われて、僕は決めた。外には出さない、名前だけの脅威となるなら、それで構わない。賢者の石がそういう存在になるだけなら、僕は力を貸してもいい…軍の狗と呼ばれても。それが、僕が自分で選んだ、ジェザームとシレリアナから託された、けじめだから』
まだアレクも若く、そしてまっすぐにアレクを見つめて告げたアルフォンスも若く。
研究所長で居続ける意味を、アルフォンスはそう教えてくれた。
幼い故に、自分の欲望だけを追い求めすぎた、贖い。
夢とは、言えない。
だが夢とて薄皮を一枚外せば、それも欲望に過ぎないのだ。
大人は、しかし夢と欲望の境目に、理想という名の薄皮が存在していることを知っている。
だが子どもは?
幼い故か、その優れた錬金術師としての才能故か。
姉弟は越えてはならない線を越えた。
禁忌という線を。
そして、幾分時を経て、知ったのだ。
賢者の石が、いずれ生み出すかも知れない、混沌を。だからこそ、隻眼の男の提案を、呑んだ。
軍人になること。
国家錬金術師になること。
そして、時をはかることを。
そして、アレクは知っている。姉弟が待ち続けた時が、すぐ傍に来ていることを。時機を逸するわけにはいかなかった。
「ナタリア。リバウンドについての研究項目は読んだの?」
アレクの静かな低い声に、ナタリアは真っ直ぐに返す。
「はい。読みました」
「人体錬成が禁忌である理由も、双子が説明したでしょう?」
「聞いてます。だけど、それは代価が何か分からないからですよね」
「ええ」
「でも、代価として賢者の石を差し出せば」
「無理よ」
アレクはペラペラとほんのページをめくりながら、静かに続ける。
「あなたが賢者の石として認識しているのものが、技術研究局で厳重に保管されている、エルリック姉弟生成とされているものならば、人体錬成は出来ないわよ」
「どうして、ですか」
「………………」
数瞬の沈黙は、しかしアレク自身によって破られた。
「あれは、賢者の石は無限のものではないの」
「え?」
それは双子にとっても意外だった。伝承で聞く賢者の石は無限のもの、常に新しく紅く輝く石だと聞いたのに。
「それって」
アレクは周囲を見渡す。伝承を知らないナタリア、呆気にとられている双子。アレクは目を閉じて言った。
「伝承にあった賢者の石とは、少し違うのよ。第一研究所でアルが大切に保存しているものこそ、真実の賢者の石。おそらくは二度と作り出すことの叶わない、輝石よ。だけど…あそこにあるのは、力を喪った欠片と、僅かに力を残しているけれども、もう錬成の代価としては価値のないものでしかない」
「そんなこと!」
「誰が決めたのだと言いたいんだろうけど」
アレクはゆっくりと眼を開き、ナタリアをじっと見つめた。
「賢者の石自体が言ったのよ。もう、錬成の代価としては無価値だろうと。僅かな残滓でしかないと」
「わからないじゃないですか、使えないとは!」
無邪気と無知は、違うもののはず。
だけど、ナタリアの無邪気と無知は、少なくともこの瞬間、同じだった。
アレクは思わず叫ぶ。
「欲しい欲しいと、叫んで駄々をこねて、子どもだから、公女だから、全てが許されると思うな!」
聞き慣れない母の怒号に、双子は思わず身体を硬くする。怒鳴りつけられたことは何度もある。些細なことでは怒らない母だが、双子の悪戯が過ぎて、相手の命の危険もあった場合には、双子が心底反省して、二度としないと約束するまでみっちりと怒られた。だが普段のそれより遙かに語気も鋭く、母の怒りを表しているようで双子は顔を上げることが出来なくなっていた。
「賢者の石を望む者は多い。しかしそこに至った者は少ない! なぜか、分からないか!」
そう、望むは容易い。
それはあまりにも魅力的な謳い文句。
代価を必要としない。
無限の存在である、賢者の石。
だが謳い文句に隠されて、多くの人は真実を見つけられない。
等価交換の大原則は賢者の石を触媒にした錬成だけ、避けて通ってくれるわけではないのだ。
少し語気を和らげたアレクが言う。
「代価、無限の存在。矛盾を感じない?」
しばしの沈黙の中で、レオが口を開く。
「………母さん、僕疑問があるんだけど」
「どうぞ」
「………賢者の石は、何で出来てるの?」
ナタリアが瞠目する。一方でアレクは眼を細める。
レオは続ける。
「触媒だっていう賢者の石。でも、賢者の石は無限の存在。なら…賢者の石の構成物質は、何なの? もしかして、使っても使ってなくならないものがあるんだとしたら」
「使って減ったものを、足せばいい…ってことか?」
続いたテオの言葉に、アレクは頷く。
「だけど、触媒になれるだけの構成物質って…」
「はい、ここまで。ただヒントとして2つ出しておくよ。だけど、今ここで答えを出す必要はない。だって…まだ知らなくてもいいこともあるからね」
ふらりと踵を返して、アレクは背中を向けたまま3人に言った。
「一つ、同じものは存在しない。すべてが違う存在だから。二つ、レオ、テオ…ナタリア。そしてあたしも持っているもの」
「え?」
「ナタリア。ハリムの手足を望むのは構わないよ。だけど、賢者の石でハリムの手足を取り戻したとして、あるいは真実を知ったハリムが素直にそれを喜ぶかな? 少なくとも…心の何処かに傷を残すよ。大きくて…癒えない傷を」
「それでも…」
「アルなら言うでしょうね。全てを知った上で、ナタリアに選ばせろって。でも、あたしはさせない。なぜならナタリアはいずれドラクマに帰ることになるし、その年齢で癒えない傷を負う必要はないから」
無知は、いいこともあるんだから。
ふらりと去っていくアレクの背中に、レオが言う。
「母さん、休んで」
「うん。寝るから…お休み」
全てを知らせて、選ばせる。
その選択肢もあったけれど、アレクは出来なかった。
最後の最後で、自分が軍人であり、最高機密を知りうる存在であることを思い出したからだった。
賢者の石は、最高機密。
異邦人のナタリアに教える訳にはいかなかった。
そして、幼い彼女に、【賢者の石の構成物質】を教えることで、彼女が負う傷を思えば、言えなかった。
賢者の石は、その真実を垣間見るだけで、哀しみ、苦しみを呼ぶ。
それだけは、避けたかった。
哀しい、子どもはもう作らない。
「どう、して…」
ぽたりぽたりと落ちる雫に、テオがぎょっとした表情を浮かべてレオを見る。
「おい、レオ…」
レオはちらりとテオを睨んで。
「ナタリア。母さんは言えなかったんだよ。だって…賢者の石は最高機密なんだろ? だけど、ヒントをくれた」
「………私は、ハリムの手足を戻したいだけなのに。あんな、ハリムはハリムじゃないのに」
「じゃあ、今のハリムはハリムじゃないって言うのかよ」
明らかに不機嫌そうな声を上げたテオは無言のレオの制止も振り切って、言う。
「ハリムは頑張ってるって、ハインリヒおじさんも言ってたじゃないかよ。機械鎧のリハビリって二年はかかるのに、それでも歯を食いしばって一刻も早く自分の自由に動かせるように頑張ってるって、言ってた。そう頑張るのはハリムじゃないのかよ」
ナタリアはゆっくりと瞠目する。ポロポロと流れ落ちる涙もそのままに、ナタリアは呆然と言う。
「ハリム…」
「ナタリアは、間違ってる。変わらなきゃいけないのは、ナタリアの方だって思う」
「………………」
ナタリアは無言のまま、両手で顔を覆い、その場に崩れ落ちる。
レオが背中をゆっくりと撫でた。
ナタリアの静かな慟哭は、しばらくの間続いた。
何も、ない場所だった。
あるのは、目前に広がる草原の緑。
柔らかな緑が、ハリムの目をいやしてくれるようだった。
仮の義足と松葉杖で歩いていると、子犬が二匹まとわりつく。ハリムに追いついたカレナリアが声を上げた。
「オーリ、サーリ! ダメだよ」
「大丈夫だよ」
近くにあった木の根元まで松葉杖をついてゆっくりと歩き、木にもたれかかって松葉杖を外し、ずるずると腰を下ろしていく。あと10センチほどで義足が予想以上の負荷に耐えられなかったのか、かくんと跳ねて、ハリムは根元にしたたかに腰を打ち付けた。
仮の義足をつけてもらい、松葉杖を使うことでハリムは車椅子以外の移動手段を覚えた。
とは言っても、予想以上の体力的負荷がかかるので、やはり車椅子は手放せないけれど、出来るだけ義足と松葉杖で歩くことで体力をつけた方がいいと、ウィンリィの指示でしているのだが、座ることができるほどの段差がある場合はいいけれど、何もない場所に座る時は先ほどの方法しかなく、腰をしたたか打ち付けてしまうのが現状だった。
『それでね、歩く時に…』
『ウィンリィ、それ以上は自分で覚えなきゃいけないんだから、言わんほうがいいさ』
ぷかりとタバコの煙を吐き出して、老女は言った。
ピナコ・ロックベル。
このリゼンブール、ロックベル家の主である。
「ふん、なかなか面白いじゃないか」
ぷかりと吹かす様子は、昔と少しも変わらず。ただその髪はすっかり白くなってしまって。
「おもしろいって、ばっちゃんね…」
「お前、あの子がエドに似てると思ったんだろ?」
ウィンリィは祖母の言葉に、視線を宙に漂わせた。それは認めたくない、ウィンリィが感じたことで。
もちろん、そうではないことを知っている。それを祖母はずばり言う。
「あの子はエドじゃない」
「……わかってるわよ」
「いや、お前は分かってないね。子どもに、機械鎧をつけることに怖さを感じてるんだ。エドの時に、失敗したと思っているから」
「………………」
「エドは、失敗だなんて一度も思ってないな」
「わかってる」
「そう、お前はわかってる。でも、理解できないんだよ。心の片隅で怖がってる」
ウィンリィは小さく溜息をついて。
「ばっちゃん」
「認めたくないならそれでいいさ」
遠くでカレリアナと子犬たちの声が響いて、ピナコは分厚いメガネの奥で、にっこりと笑んでみせて。
「エドとハリムは違う。それをいつかお前は知るだろうよ」