喪われた玉響 3
会議にはマッキンリー大総統をはじめ、5名の副総統、少将以上の階位の全員が参加していた。
議題はもちろん、【セリム・ブラッドレイ】について。
南方司令部の門衛に、突然話しかけてきたのは、身なりも決してよいとはいえない、男だった。
南方特有の訛りもなく、男は礼儀正しく現在の南方司令部司令官が誰かと尋ねたという。門衛は不審に感じながら、司令官はハクロ中将であると伝えている時、ちょうど横をハクロ夫人が通りかかった。男は夫人を呼び止め、家族、特に娘さんは元気かと親しげに問いかけた。
士官の家族は、自分たちがテロリストの標的になることを判っているから、外に出る時は警戒心を解かない。だが、南方司令部だったこともあってハクロ夫人は相手に既視感を覚えながら会話をした。娘が去年結婚したことを言うと、自分よりも2歳年上だったが早くも結婚したのかと驚く男に、名前を聞くと男は応えた。
『お忘れですか? セリム・ブラッドレイです』
ハクロ夫人は卒倒し、門衛が介抱しながら、ハクロ中将に急を知らせた。
そして、
セリム・ブラッドレイは発見されたのだった。
医師の診断では、頭部に古い傷があり、それが原因で記憶障害を引き起こしているのではないかということだった。
【セリム・ブラッドレイ】は、自分は3年前からの記憶しかなく、助けられたのはアメストリス最大の湖エルンガーの畔であり、長いこと病院で過ごし、傷の治療と記憶の恢復を図ってきたが、先日古びた日刊紙に書かれていた『マッキンリー大総統就任式』の情報を見たことで、朧気ながら記憶の断片を取り戻したのだという。
『疑わしいではないか』
会議に参加していた誰もが、そう声をあげる中で、数人が否定する。
『もし本物のセリム・ブラッドレイだったらどうする? もしや、ブラッドレイ大総統も生存しておられるかもしれない』
会議は紛糾したが、結局大総統の一声で決した。
『さて、本物か偽物かはここで論議しても判らぬ。とりあえずは呼ぶことが大事かの。今相応しい者を選出しておるからのお』
そして准将以上しか参加できない会議に、マスタング少将の背後に控えるように立っていたエルリック大佐を手招きして。
『エドワード・エルリック大佐だね』
『はい』
『そして、【鋼】の錬金術師…間違いないね』
何を言い出すのだろう。エドも、そして少将も意図が分からず。
だが、続いた言葉に理解を強制された。
『セリム・ブラッドレイ氏の身元調査と、中央への移送。これらを君が責任者として遂行してくれるかな?』
『え?』
もちろん大総統直々の命令なのだから否を唱えるつもりなどエドにはなかったのに。
『お待ちください、大総統!』
異を唱えたのは、マスタング少将で。
『何故、エルリック大佐に?』
『実はな、セリム・ブラッドレイ氏が思い出しているのは数名の将軍とあるいは将軍の家族、そして【鋼の錬金術師】なのだそうだ。よって、エルリック大佐が迎えに行けば、何かまた思い出すのではないか…と期待してなのだが?』
まだ異があるのか。
問いかける大総統に、少将は続ける。
『でしたら、広域司令部の誰かでは』
『やれやれ。恋愛経験豊富と言われるマスタング少将も形無しですなぁ』
当てつけの声。
エドは何とか怒りを殺して、言い出した中将を見る。
『お二人が婚約したのはめでたいが、それを仕事に持ち込むのはいかがなものかと思うが?』
嫌みたっぷりの言葉を完全に無視して、少将はなおも大総統に何か続けようとしているのを見て、エドは背筋を伸ばして最敬礼する。
『む?』
『エドワード・エルリック大佐、拝命いたします!』
そして、執務室での【錬金術バトル】となったわけで。
こまめに床の歪みを直しているアルを、手袋をはめたアレクが手伝い。
その横で、結局【夫婦げんか】が始まっていた。
「だからなんで、拝命したりしたんだ! エドの南方行きなんて間違いなく嫌がらせに決まっているだろう!」
「じゃあ、何か? あんなに嫌みたらたら言われながらも、行けません! 拝命できませんって、言い張ればよかったのかよ!」
「そうだ。そのぐらいの権力、私にだってある!」
「権力の意味をはき違えるなよ! こんなところで使う権力なんて、自己欺瞞なだけだろ! そんなことで嫌がらせするようなちっちゃい…ちっちゃい奴らにつけいる隙をくれてやる気かよ!」
全身全霊で叫んでみて。
2人は肩で息をしながら、それでも続けようとするのを書類を見ていたヒューズ大佐が止めた。
「ちょっと待った」
「なんだ」
「あのさ、これ。セリム・ブラッドレイの資料だろ? おい、アレク。これどっかで見た名前じゃないか?」
だいたい床の修復が済んで、アレクは手袋を外しながら、ヒューズが見せる書類を覗き込む。
「ん?」
「これだよ、この病院」
それは、セリム・ブラッドレイが意識喪失のまま担ぎ込まれ、傷を癒し、しかし名前すら思い出せずに『ジョバンニ・トリアーニ』という名前を与えられ、記憶の恢復を計りながら生活していたという、病院の名前。
サンク・アスールー総合病院。
アレクはその名前を確認して、すぐにヒューズの差し出すもう一冊の書類をパラパラとめくる。
「えっと、この辺この辺…これ!」
エドが覗き込む。
サンク・アスールー総合病院。
「同じ名前じゃないかよ」
「これって…どういうこと?」
「さてな…先に言っておくけど、お前は絶対に動くんじゃないぞ。アレク」
もうそれは最終示達。アレクは溜息をついてソファに座り込む。
「わかった。もし、あたしたちが予想しているとおりなら、あたしは動かない方がいいわね」
「む?」
「どういう、意味だ?」
その場にいた、アレクとヒューズ以外の誰もが、アレクの言葉の意味を理解出来なかった。
いいか。これは、極秘事項だ。
ヒューズが前置きし、ブレダが警備と称して執務室の外で待機する。
その場にいたのは少将、エド、アル、そしてアレクとヒューズだ。アレクはヒューズに促されて、説明を始める。
「きっかけは、医療系特許に関する特許許可期間の短縮についての見直しだったの」
「医療系、特許って…」
「簡単に説明するとね。あたしたち国家錬金術師は常に何かを研究してるでしょ。そして、それには結果が生まれる。それが査定の審査対象になるわよね?」
アルが頷く。
「査定の審査対象は、結果でも過程でも構わないけどね」
「ええ。もし結果が、『成果』と呼ばれるに相応しいものかは、国家錬金術師機関の特許局が決める。だけど国家錬金術師資格が軍部管理になってから特許局は人員不足で、成果の審査には時間がかかる。軍直轄の特許とするか、あるいは民間にある程度まで使用を認める特許とするか、民間に特許権を売り渡してもよいものか、審査するのに…平均で4年から6年。ましてそこから民間企業がその使用による製品を生み出すまでに平均で2年てところかしら。つまり、6年〜8年かかってるのよ」
「そうか、だったら人命に関わる医療系の特許だけでも優先的に」
アレクの望みを理解して、エドが頷く。
「そうするつもりで、特許局の特許課に民間企業からの特許買収申請を受けてから実際買収されるまでの期間を、書類にして出してもらったうちにとんでもなく、時間が短いものを見つけてね。普通は6年かかるのに、なんと1ヶ月」
「いっ!」
あまりの短さに、一同が絶句する。
「だから、調べてみたわけ。1ヶ月で買収許可を受けていた会社。製薬会社のメディケム・フォーレンって会社なんだけどね。その買収申請してから許可が出るまでの期間、平均で半年。明らかに異常なのよ。特許課の課長さん、ファナ…」
「ファナ・ブルームだな」
ヒューズの助け船に、アレクは助けられて。
「ずいぶん問いつめたんだけど、書類の不備だって言い張るわけ。そんな特別待遇などしたことがないってね。で、このメディケム・フォーレン。もうちょっと調べてもらったんだけど…ジリード中将が絡んでた」
執務室の空気が、ざわめいた。
「ジリード中将って…あの?」
エドの反応も、かつてのヒューズの反応と変わりない。
「ああ。ジリード中将の従兄弟にあたるラルフ・フォーレンって奴が社長だ。で、このメディケム・フォーレン…本社はノース・シティにあるらしくってな。製品化される前に、薬ってのは人体実験されるんだろ? で、害がないのを認められて、初めて世の中に出る」
「いわゆる、治験ね…治験で、異常がなければお墨付きをもらって製薬会社は大手を振ってその薬を売れるわけ。メディケム・フォーレンは新種開発では名前が知れているそうよ。それと、いつも治験をしてメディケム・フォーレンの新薬にお墨付きを与えているのが」
「サンク・アスールー総合病院だって?」
「ええ」
アレクは力強く頷いた。
「何か、あるのよ。南で」
「判った」
エドも力強く頷く。
「なおさら、俺が行く理由が出来たな」
「エド」
「そうだろ? 少将。これはあんたの為だけじゃない。俺のため、アルのため、アレクのため、それから…アレクの子どものためだ」
「え?」
きょとんとしているアレクの頭を軽く叩いて、エドは鼻で笑う。
「自分で動きたいのに、行けないんだろ? 落ち着かなくて、いらいらしてるんだろう? だったら、俺がアレクの手足になってやる。なんか見つけてきてやるよ」
「ですから、しばらく控えた方がいいと思うのです」
ひそひそと、ファナ・ブルームは受話器に囁く。
「ええ。そうです。ミュラー大佐が不審に感じているようです。今なら書類不備で片づけますけど。これまでのようには…え? ああ、そうですね。おそらく、期間は非常に短縮されるでしょう…はい、わかりました」
受話器をおいて、ファナ・ブルームは小さく溜息をついて。
ふと、考えた。
自分がしていることは、本当は何を指しているのだろうか。
結果は、決してよいものとは思わないけれど。
あの人を助けるためだと思っていたけれど。
何か、違う気がした。
ボタンの掛け違いを気付かないでいるような、奇妙な感覚を覚えた。
ここ何日か、何かしていると記憶が戻る。
ただ、その記憶は夕暮れであったり、夜中であったり。
あるいは幼い時の記憶であったり、【セリム・ブラッドレイ】だったり、【ジョバンニ・アリトーニ】であったり。
時間の、感覚がおかしくなる。
自分が立っているのか、座っているか……。
ここにいるのか、存在しているのか……判らなくなる。
そして時折思い出す、目映い存在。
かつて自分があこがれた、少年の姿。
黄金の双眸、黄金の髪。
『ああ、大総統の息子さんね。よろしくな、俺、エドワード・エルリックね』
まるで自由奔放に生きているように見えた。
だから、自分は憬れたんだ。
ああいう風に、生きたくて。
自分の意志で飛び立てる、鳥のようになりたくて。
「だ 、あつっ苦しい!」
「む? いやいや、エルリック大佐、今は4月。良い季節ではないか」
穏やかに切り換えされて、エドは深くふか〜く溜息をつく。
自分は気温のことを言ったつもりはない。
あつっくるしいのは、自分の横に座る、この筋肉の山なのだが。
「見たまえ、エルリック大佐。南方では既に夏の花が咲き始めているではないか」
アームストロング中佐の言葉に、しかし言われたように視線を送るエドは、輝く水面を見つける。
「ん? あれって?」
「おお、エルンガー湖だな。これは…私も初めて見たが、雄大な風景だな」
中佐の絶賛も、確かにその通りと思えるほど、エルンガー湖の湖面は穏やかなのだが、車窓から見る湖面はキラキラと陽光を受けて輝いて見える。
「綺麗だな〜」
思わず、魅入ってしまう。
エルンガー湖。
アメストリス最大の湖にして、最大深度を誇る。それ故に、その湖面は蒼く澄み陽光を受けて輝く様は、エドが思わず黙り込んでしまうほどの、横に座る筋肉の山の鬱陶しさをも忘れさせるほどの、美しさだった。
「中佐」
「む?」
「エルンガー湖って、深いからあんな青さが出るんだよな…」
その筋肉質の身体に対して、知性的な視線をアームストロング中佐はエドに投げかけて。
「うむ。一度沈むとなかなか上がってこないそうだな」
かつて。
南方視察に訪れたブラッドレイ大総統は、妻子を連れて運転手を含む4人でこのエルンガー湖を訪れ。
二度と帰ることはなかった。
翌年、エルンガー湖で漁をしていた漁師が、腕時計を一つ網から見つけた。
裏には、サキヤ・ブラッドレイの銘。それはブラッドレイ大総統夫人の名前で、大総統夫人の持ち物に間違いないと、知己が証言した。
運転手の死体は、失踪の翌週エルンガー湖から流れ出る支流で見つかった。
その二つしか、『大総統の死亡』の物証となるものはない。
だが、その二つしかエルンガー湖は、差し出してくれなかったのだから。
美しい景色とは正反対の、厳しい自然。
エドがぼんやりと、車窓にあごを乗せて見つめていたが、
「大佐。電信、届いてますよ」
届けてくれたのはフュリー准尉だった。エドは礼を言いながら受け取って、思わずうんざりした表情を浮かべる。
「うえ、まったくあいつ…」
「む?」
「中佐、少将からのラブレターですよ」
フュリー准尉が苦笑しながら、席に着いた。エドはざっと目を通して、
「准尉…見たな」
「見たって仰るけど、自分が受信したんですから。仕方ないでしょう?」
フュリーにさらりと流されて、エドはもう一度『少将のラブレター』を見直して。小さく折りたたみ、胸ポケットにしまいこんだ。
毎日顔を合わせないと、電話をかけて来るのだ。
まさか、電信を使うなんて。
『鋼の。がんばりなさい』
たった1行の、電信。
だけど、今のエドには少し嬉しかったりもする。
再び、エルンガー湖に視線を戻したエドだったが、すぐに声をかけられた。
「エルリック大佐ですね」
呼ばれて振り返ると、そこには憲兵の黒の軍服に身を固め、穏やかな微笑みを浮かべている40代だろうか、男性が立っている。エドも立ち上がり、応じた。
「そうですが…」
「憲兵中佐、ハロルド・マイオニーと申します。よろしくお願いします。この移送作戦の責任者はエルリック大佐と伺っておりますので、よろしくご指導下さい」
「はぁ」
明らかに年上の、男性にここまで畏まれたことがないので、エドは困惑しながらマイオニー中佐に言う。
「じゃあ、よろしくお願いします」
「はい。自分は南方司令部にいたことがありますので、土地勘があります。それに、ハクロ中将も存じ上げていますが…恐らくはすぐにでもセリム・ブラッドレイ氏の移送を望まれるでしょうから、そのように手配させていただきます」
にこにこ。
しかし、その微笑みの下で言われた言葉に、エドは首を傾げて。
「調査も行うように、と拝命しているので、移送はそのあとになりますね」
「そう、ですか…では、数日後に?」
「えっと、日にちは決めずに。いつでも移送できるようには準備をしておいてください。資料が少ないので、少し調査を行わないといけないでしょうね」
「ほう、大佐は熱心ですね。ですが、何か起こらないとも限らないので、お気を付けてください」
その言葉の真意を測りかねて、エドはマイオニー中佐の蒼い双眸を覗き込む。
「どういう、意味ですか?」
「南方は大佐がいらした東方よりも、テロが多いんですよ。たとえば、『南の鷹』」
マイオニー中佐の言葉を受けて、アームストロング中佐がのっそりと立ち上がる。気付けば、フュリー准尉も眉を顰めてこちらを睨んでいる。
「南の、鷹?」
「ええ。謎のテロリスト集団ですよ。なかなかしぶとく、潰せないんです。名前の通り、このあたりにアジトがあると考えられるんですが…まあ、お気を付けなさい」
中佐の蒼い双眸は、その口元に浮かぶ微笑みと違って、あくまでもさめざめとしていて。
表情と感情が一致していないのがすぐに判った。
「では、失礼します」
敬礼に敬礼で返して、エドは振り返る。同じように敬礼している中佐に、
「中佐。南の鷹って?」
「む? ああ、大佐が北方戦に行っていた頃に、南の鷹の一員と思われる人物によるテロ事件が中央であったのだが…それ以外に、南の鷹が実在する集団か、それすらも判らないのだ」
「なんだよ、それ」
曖昧なアームストロングの言葉に、エドが問う。
「存在しない、テロ集団って…」
「ああ。なにせ事件を起こしたのは一人で、南の鷹だと叫びながら爆死したもので、調べようがないんだよ」
『こんにちは、僕、セリム・ブラッドレイです』
にこにこと話しかけてきた、少年。
淡い蜂蜜色の、柔らかそうな巻き毛の髪。
灰青色の眸が真っ直ぐに自分を見つめていた。
あの頃、自分は『鋼の兄弟』として、ブラッドレイ大総統にどちらかというと優遇されていて、中央に来た時は大総統府に顔を出すように言われていて。
そのとき声をかけてきたのは、『大総統の息子』だった。
いかにも、おぼっちゃまとして育てられたのか、疑う様子もなく、エドに声をかけてきたのだ。
正直、エドの方が驚いた。
『ああ、大総統の息子さんね。よろしくな、俺、エドワード・エルリックね』
素っ気なく返事をしてみせて、ひらひらと手を振ってその場を去った。
『また来てくださいね 』
何の苦労も、悩みも、不満も、ない。
無条件で愛されている。
首だけ振り返って、鎧姿のアル越しに手を振るセリム・ブラッドレイを見遣った時に不意に思った。
だけど、そう思ったのは自分にはないものをセリムが持っていると感じたからだろうか。
車窓に額をコツンと当て、エドは深く嘆息する。
確か最後に会ったのは、賢者の石を生成する前年だった。
「…7年か…」
15歳だったエドは、22歳に。
ということは4歳年下のセリムは18歳になっているはずだった。
車窓の向こうに輝くエルンガー湖を見つめて、ただそのことだけをぼんやりとエドは考えていた。
「なんで、お前がここにいる」
不機嫌極まりない少将が、冷たい視線をヒューズ大佐に向けた。
へらりとヒューズは笑ってみせて。
「なんでって、調査報告」
「…メディケム・フォーレン関係は私ではない。アレクだろうが」
「まあいずれ来るんだから、どこでやっても変わんない、かわんない」
「…ヒューズ、貴様は軍法会議所の者で、私は中央司令部所属、アレクは国家錬金術師機関長だぞ」
何を当たり前のことを言う、といわんばかりの視線を少将に送って。ヒューズは応接ソファに大量の書類を投げ出した。
「そういうことを言ってるわけじゃないだろが。これは、お前さんの手柄になるんだから」
「…意味が分からない」
「判らなくていいさ」
ヒューズが口笛を吹きながら、応接ソファの上で胡座をかいて書類の整理を始めた。少将は深い溜息とともに、手元の書類に目を落とすがすぐに、ファルマンが声をあげた。
「少将」
「なんだ」
「ミュラー大佐からの内線です」
「…回せ」
少将が受話器を上げると、騒々しい声が響いた。
『ちょっと、中尉!』
『すいません』
「おい、何の騒ぎだ」
低い声で問うと、アレクはすぐに応える。
『ごめんごめん、ちょっと査定が気に入らなくて直接合成獣(キメラ)を連れてきたお馬鹿国家錬金術師がいてね…ちょっと、何を食べてるのよ。燃やすわよ』
アレクの脅しに続いて、羊のような声。それだけで完成度の低い合成獣だと判る。
「おい、アレク。私のところで合議をするのは止めてくれないか」
『なんで? 上から何か聞かれた時に、ロイが絡んでるって印象を与えやすくなるでしょ?』
あっさりと。
その意図を説明されて、少将は溜息をつく。
続くアレクの言葉も、少将の心情をついていて。
『まったくエドがいないからって、機嫌悪すぎ。少しは仕事してよ。それに、出世することしっかり考えてね』
「……」
『あ、マースに伝えてくれる? 今日はすごいドタバタしてるからそっちに行けないのよ。でも、一つ情報っていうか、噂をハフレード少尉が見つけてきたのよね』
書類の整理をしていたはずのヒューズが机の前で、注目しているのを見遣りながら、少将はメモと鉛筆を用意する。
「よし。なんだ?」
『特許局の特許課…ああ、言いにくいったら!』
「特許局特許課の…なんだ」
舌を噛みそうになって、少将は眉を顰める。
『だからファナ・ブルーム課長のことなんだけど…ちょっと曹長、この合成獣』
『はいは〜い』
「ファナ・ブルーム?」
『そう、女性軍人の情報網ってバカにならないわねぇ、ファナ・ブルーム課長、もう何年も愛人しているみたいなの。アトラス・ジリード中将の。それも、これはあたしの調査だけどそれも、メディケム・フォーレンに出された特許申請許可の全てが、ブルーム課長によって出されてるのよ』
「なんだと?」
書き殴ったメモを見て、マースが眉を顰め、少将から受話器を取り上げる。
「おい、アレク。これ…ああ、なるほどなぁ…判った」
ゆっくりと受話器を置いて、ヒューズがにやりと笑った。
「おい、ロイ。ちっと話が見えてきたな」
「ああ…そうだな」