喪われた玉響 4






「ようこそ! 南へ」
南方司令部司令官執務室。
そのあまりにもわざとらしい出むかえに、エドは呆気に取られた。
「久しぶりだね、エルリック大佐」
「お久しぶりです…ハクロ中将」
エドの手を取り、感涙を流さんばかりの歓迎ぶりに最初こそ少しは照れはしたが、すぐにうんざりさせられた。
「それはそうと、マスタング少将は元気かね? 少し前に噂を聞いたが…大佐と婚約したと」
「はあ」
「そうか、それは目出度いな。しかし、大佐。よりによってなぜ、マスタング少将なのだ?」
それはある意味、自分も自分に聞きたい。
よりによって。
あの男と。
「しかし、少将も人が悪い…いや、私の気の所為ならいいのだが」
ちらりと零すハクロ中将の言葉に、エドは首を傾げた。
「なんですか?」
「ほら…いつぞや、私がトレインジャックに巻き込まれたことがあっただろう?」
それは、確かにハクロ中将との唯一の接点といってもいい事件だった。南方に向かうと決まって、南方司令官がハクロ中将だと知った時、エドの脳裏をよぎったのは、確かに『青の団』と名乗ったテロリスト集団と、間抜けにも東部にバカンスに出かけていたハクロ『少将』のことだった。そのトレインジャックを抑えたのが『エルリック兄弟』だったので、ハクロ少将はエドのことを『よく』知っているのだ。
第一。
あのトレインジャックはハクロ少将をねらったものであり、決してハクロ少将が巻き込まれたものではないのだが。
あえて追求せず、エドは聞き返す。
「あのテロ事件がなにか?」
「あの事件の処理をしたのは、確かマスタング少将…当時は大佐だったかね?」
「ええ、そうですよ」
バルドと名乗った首謀者が、一度はエドとアルに抑えられたのに、仕込み刀で暴れた挙げ句、イーストシティ駅に待ちかまえていたマスタング大佐に消し炭にされたことを言っているのだろうか?
「いや、まさかな。あの頃から、マスタング少将はエルリック大佐に対して特定の感情を抱いていたのではないかと、杞憂したまでのこと」
「……そんなことはないとは思いますけど」
そのところ、エドも何度も聞いたが、双黒の男は『さあ、どうだったかな?』と笑むばかりで、応えないのだ。
「大佐には?」
「ないですよ!」
全力で否定して。エドは深く溜息をついて。
「ないですよ…」
あの頃、まだ『賢者の石』を探し求めて、それだけを追い続けていた。
兄弟2人で、旅を続けることはある意味辛かったけど、楽しみもあって。
ハクロ中将の言葉も、嫌みに近い疑念も、理解は出来るけど、そんなこと考えたことはなかった。
ただ、『マスタング大佐』はあくまで『エルリック兄弟の庇護者』でしかなかった。
そう、そのはずなのに。



「ところで、だ」
「?」
にこにこ、満面の笑みでハクロ中将は宣う。
「セリム・ブラッドレイ氏は、明日発つのかな?」
「は?」
「急いで、中央に移送することになるのではないかな?」
にこにこ。
その微笑みは、早く面倒ごとを自分の所轄外に出してしまいたいという意図が見え見えで。
エドは気付かれないように、小さく息を吐き出して。
「ハクロ将軍。申し訳ありませんが、実は移送だけでなく、セリム・ブラッドレイ氏かどうかの調査を現地で行うように、軍令を受けています。よって、しばらくの間滞在させていただきます。そののち、中央にブラッドレイ氏の移送となると考えていますが」
「…それはいつ頃の話になるのだね?」
ちらりとハクロの苛立ちを感じたけれど、エドはあえて反応せずに続けた。
「調査の進み具合にもよりますが」
「…こちらも忙しいのだよ。さまざまなテロ集団が活発に動いていてね」
それは南方に限らず、四方司令部共通の悩みだ。そして、広域司令部に所属するエドにだって、テロ捜査は任務に入っている。
「私は広域司令部の人間です。南方のテロ集団もある程度は把握していますよ」
短気なエドにしては、そして上位の軍人に接していることを決して忘れていない口振り。これ以上ない譲歩をしているのだ。だが、ハクロは気付かない。
「だが、忙しいのだよ」
「…判りました。こちらで調査をさせていただきます。人員は必要ありません。調査が済みましたら、すぐに中央に移送します」
ハクロは最初の歓迎ぶりはどこへ行ったのか、眉を顰めてエドの話を聞いていたが、近くの受話器を上げ、
「私だ。執務室に今すぐ来てくれ。ああ、今すぐだ」
誰かを呼ぶと、深く溜息をついて。
「頼むから、南方で面倒は止めてくれないか」
「面倒、ですか? 面倒は何もありませんよ? 私が調査するだけです。将軍は通常の軍務を続けて下さい」
「……」
エドの言葉に将軍は口をへの字に曲げて、続いて何か言おうとしたが、その勢いを殺すようにドアをノックする音が響き、将軍は小さく鼻息を吐いて、
「入りたまえ」
「失礼します」
入って来たのは、マスタング少将と同じ年頃の男。着ている軍服の徽章は中尉。
ハクロの前まできびきびと進み、敬礼する。
「お呼びでしょうか」
「エルリック大佐。こちらがミンツ中尉。確か…大佐と北方で一緒だったミュラー大佐、大佐の麾下だった者だ」
エドは一瞬、言葉を飲み込んだ。
【義妹】の洞察力の深さに。
そんな思いも知らずに、将軍は言う。
「南方司令部で最も優秀な者だ。使ってくれて構わない。構わないから…早く調査を終えてくれたまえ」
「わかりました」
「では、私は会議に…そうそう、ミンツ中尉。4号会議室をエルリック大佐の執務室に使っていいから」
「はい」
そそくさと姿を消すハクロ中将を敬礼で見送って。
エドは嘆息して。
「…あのオヤジ、変わってないや」
「そうなんですか? いつでも、ああなんですけど」
あっけらかんとエドに返すミンツをちらりと見遣って。エドは続けた。
「中尉。あんたのことは、アレクから聞いてる。多分、俺につけるとしたらミンツ中尉だって言ってたからな」
「アレクサンドライト・ミュラー大佐ですね。え? でも、北方で一緒だったくらいなんじゃ…」
エドはにやりと笑って。
「いずれ判ることだろうけどさ。アレク結婚したんだよ」
「え? そうなんですか?」
それは知らなかったようで、美形とはいかないまでもそこそこの顔貌のミンツ中尉は明らかに残念そうな表情を浮かべて。
「誰ですか? お相手は?」
「俺の、弟。だから、アレクは俺の義理だけど、妹になるんだよ」
「…………え?」
あまりにも率直な返答に、さすがのエドも眉を顰める。
「おい、それってどういう意味だよ」
「いや………あの、話聞いたことあるんですけど……鋼の兄弟の弟さんって、鎧姿、でしたよね……」
「昔はな。今はちゃんとした身体してるぞ?」
当たり前の事実を告げられても、ミンツ中尉はきょとんとした表情のままで。
なので、エドは意地悪くとどめを刺すことにした。
「あのな、結婚するのも既成事実ありでさ。アレク、妊娠してるんだよ」
「………ええぇぇぇぇぇ               !!!」
予想以上の大絶叫に、エドは自分の鼓膜が破れた。そう思ったほどだった。



「さて。情報の整理から始めようか。今ある情報で判ることを整理するんだ。で、セリム・ブラッドレイにあって、それからサンク・アスールー総合病院だな。やることはたくさんあるからな」
「うむ」
「はい」
エドは用意してもらった円卓を見渡した。
アレックス・ルイ・アームストロング中佐。
エヴァンド・ミンツ中尉。
ケイン・フュリー准尉。
たった4人だが、その4人で今回の『セリム・ブラッドレイ』について調べなくてはならない。
「えっと…セリム・ブラッドレイが南方司令部に来た経緯は判ってけど…そのセリム・ブラッドレイはどこにいたんだよ?」
「はい。自分が」
ミンツが立ち上がり、書類を何枚か全員に配った。
「3年前です。エルンガー湖畔で漁をしていた漁師が、波打ち際で意識を失っていた男性…というより少年を発見。保護しましたが、あまりにも怪我がひどく、近所のサンク・アスールー病院に担ぎ込みました」
頭部挫傷の怪我は、出血もひどく。一時は命も危ぶまれたが、その若さ故の快復力か、すぐに危機を脱した。
しかし1週間以上意識は回復せず。
10日目に意識を回復したものの、少年は記憶どころからしゃべることすら怪しかった。
呂律が回らず、身体能力も著しく悪くなっていた。
医師は外傷性身体障害と診断した。それでも少年はなんとかリハビリによってその身体を常人と同じように動かし、同じように話す程度まで恢復したのだ。
だが、記憶だけは戻らなかった。
身元不明者が発見された場合、引き受けた病院は必ずその地域の憲兵司令部に届けを出すことになっている。憲兵司令部では失踪した者のリストがあるから、その身体的特徴などで身元不明者が誰かを捜し出す。
だが、少年らしき名前は見つからなかった。
そして病院関係者によって【ジョバンニ・アリトーニ】の名前を与えられ、その生活費なども関係者の援助を受けながら、少年は青年になり、ある日、日刊紙の見出しを見た。
ジェームズ・マッキンリー中将、大総統就任のニュースの見出しを。
そしてジョバンニ・アリトーニは病院から消え。
次の日、南方司令部の前でハクロ夫人を失神させたのだった。
「…だいたいは判った。でも、中尉」
「はい?」
エドは中尉が差し出した書類をひらひらとさせて。
「これで、全部?」
「いや、もうちょっとあるはずなんですけど…」
「全部、出してくれないと困るんだけど」
「あの…一応、これ拾い出しなんですけど」
「?」
聞き慣れない言葉に首を傾げるエドに書類に目を通していたフュリー准尉が声をあげた。
「つまり、持ち出し禁止の書類を出来るだけ暗記、あるいはメモすることですよ」
「…持ち出し出来ない?」
それこそ重大事だった。ミンツは天井を見上げながら、
「憲兵司令部に、全部あるんです」
「全部?」
「ええ、全部」
「…中尉。アレクは、ミンツ中尉がすごく動いてくれるから、すっごい優秀な部下だって言ってたけどなぁ」
エドが思い出すようにポツリ言うと、中空を彷徨っていた中尉の視線が降りてくる。
「ほんと、ですか?」
「ああ。なんでも、アレクの下には何人も部下がいたけど、何より頼りになるのは中尉だって言ってたような…」
がばっ。
力強く、勢いよく立ち上がったミンツ中尉はびしっと敬礼をして。
「とれるだけの資料、憲兵司令部からかっぱらってきます!」
「俺の名前出していいから」
「はい!」
それに続いて立ち上がったのは中佐で。
「中佐?」
「ここの憲兵司令部に私の同期がおりましてな。挨拶がてらせっついてみましょうか」
「よろしく」
2人が姿を消して、初めてエドは苦笑する。それをフュリーは見逃さず、
「なにか?」
「ん? アレクがさ、ミンツ中尉のこと言ってたんだよ」



『多分、ハクロ将軍のことだから、セリム・ブラッドレイを早く追い返したくて、エドをせっつくと思うんだよ』
かつて共に北に旅だった、中央駅のプラットフォーム。
あの時、見送ったのはアルだけだった。
だが今日はアルと、身重のアレクが見送ってくれる。
しかし少将は仕事のために、見送りはできないと前日から言われていた。
『あ〜、想像つくわ』
『でね。きっと、エドに優秀な副官ってつけるんだと思うのよ』
『副官?』
正直、足手まといにならないだろうか。エドは眉を顰めるが、アレクは微笑んで、
『ほら、私に電話してきたミンツ中尉。あの人をエドにつけると思うの。ミンツ中尉はね〜、優秀だよ。一人でなんでも出来ちゃうくらい』
『へえ』
そこまではミンツにいったとおりだった。だが、その先をエドはあえて言わなかった。
『優秀なんだけど、おっちょこちょいで、時々意味のない暴走して、あとで一人でいじけてたりするけどね。根はいい人だよ』
褒め言葉か、貶しているのか、少しわかりにくい評価を聞かされたことを思い出して、思わず苦笑するエドだった。



受付で名前を告げると、緊張した面持ちの30代半ばに見える若い軍医がすぐに迎えに出た。
「お待ちしておりました…」
「ブラッドレイ氏の容態はどうですか?」
自己紹介もそこそこにすぐに切り出したエドの言葉に、軍医は小さく頷き、しかし足は止めずに、
「やはり外傷性記憶障害と、運動障害の可能性があります。時間感覚に少し瑕疵があるのと、平衡感覚に問題があるようです」
「そう、ですか…」
通されたのは小さな診察室。採光を考えた部屋は明るく、小さいけれど閉塞感を感じさせない。エドの後ろでは運転手としてついてきたフュリーが立った。
軍医がカルテをエドに差し出した。
「大佐は、生体錬成を専門とする錬金術師だとお聞きしたので、カルテを見ていただいた方が早いかと」
「私は生体錬成で、医療錬成ではないので。軍医どのの説明をお聞きした方がいいと思いますよ」
穏やかなエドの言葉に、軍医の緊張していた表情がほぐれた。
「では……説明させていただきます。頭頂前部に古い傷跡が見られました。記憶障害と運動障害はここに起因していると思われます。入院していた病院のカルテによると相当量の出血があったそうですから、深い傷だと認識しています」
「そうですか…現在の入院は何のためですか?」
エドの言葉に、軍医は片方の眉だけを上げる。
「入院理由は、憲兵司令部にも報告してありますが?」
「それは…失礼しました。連絡網がまだ混乱しているようですね」
柔らかく答えを返して、エドは微笑む。
自分の微笑みが、人によっては安心感をもたらすことを知ったのは、ごく最近。とはいえ、少将が意図的に使うことを非常に嫌うし、【喧嘩】になるので普段は使わないのだが、今、少将は遠く離れた中央にいる。
軍医も、美女の微笑みには弱かったらしく、自分の疑念を拭い去った。
「大佐までお話が行っていないとは、よほど混乱を来しているようですね」
「こういうことは…二度とないように気をつけないといけないですね」
「ええ、そうですね」
穏やかに軍部批判をしてみせて。エドは軍医に続きを促す。
「ああ、そうでした。実は彼にはひどい薬物中毒が見られまして」
軍医がさらさらと紙に鉛筆を走らせる。
「ゴルドリン…それが薬の名前ですか?」
「彼に話を聞いたところ、記憶回復の活性剤として用いられた可能性があるし、血中からもゴルドリンの主成分がかなりの濃度で検出されました…」
「本来は記憶回復に用いるとお考えですか?」
エドの問いかけに、若い軍医は少し悩んで、言いよどむ。
「正直、言ってよろしいですか?」
「はい」
「あくまで…私見でしかありませんが」
「構いません、仰ってください。ここだけの話にしますから」
軍医はコホンと咳払いをしてみせて。
「ゴルドリンは、ある製薬会社から出されている薬です。薬効はかなり高いと思われますが…効能が現れる早さから麻薬成分が含有されているためと思われますが、多量に服用すると命の危険もあります。そのため、軍病院ではゴルドリンは使用禁止となっています」
「使用禁止」
「はい。わかりやすく言うと、麻薬服用時の酩酊状態に、常時何かを呟かれ続けると、人はそれを真実だと思いこんでしまうという実験結果を書物で読んだことがあります。それを防ぐために禁止しているのですが…」
それはエドも読んだことがある。
そして、その呼称も。
「洗脳」
「ええ、そうです。有りもしない事実を、真実だと思いこませる。それが洗脳です…」
とするならば、【セリム・ブラッドレイ】は創られた人物、あるいは創られた人格である可能性もある。だが、それは会ってから判断しようとエドは思った。それよりも気がかりなことが一つ。
「ゴルドリン…と仰いましたね」
「はい」
「どこの製薬会社から出されている薬ですか?」
軍医は言いよどむことなく、その名前を告げる。
「メディケム・フォーレンです」
「……」
予想外の名前に、エドは黙り込んだ。
「では…サンク・アスールー総合病院で治験を行って?」
エドの明確な答えに、軍医は少し驚いた表情を浮かべて、
「大佐殿はご存じなんですね。ええ、そうです。ゴルドリンはここ1年で承認された薬ですから、承認前、治験の段階から彼は服用されていた可能性は高いですね」
エドがある程度の知識があったためか、軍医はここだけの話、私見だと繰り返し言いながら、
「国家錬金術師機関の特許を得ているとは言え、その急成長には瞠目を禁じ得ません。その製造する薬はあまりにも効果が強すぎて、正直使いづらいものばかりです」



次に通された病室は、おそらくこの軍病院でもっともいい部屋なのだろう。少し前少将の入院に付き添ったエドには見慣れたものだが、それでも普通の病院にしては豪華なものだった。
軍医は何の遠慮も感じさせない歩みで、奥のカーテンを開け、穏やかな口調でその奥に鎮座するベッドに向かって声をかけた。
「セリムくん。お客さんだよ」
「…おきゃく? だれですか?」
軍医はさらに最奥に進み、窓際のカーテンを勢いよく開けた。
明るい日差しが差し込み、ベッドから身体を起こす姿が見えた。
エドは思わず目を細める。
「起きられるかい? 手を貸そうか?」
「だいじょうぶです」
年頃は弟のアルフォンスより幾分年下だろうか。とはいえ、アルは年令の割には大人びて見える。
そうだ。もう父親になるのだから、あたりまえなのだが。
不意に笑みがこぼれそうになって、エドは口元を強くした。
セリム・ブラッドレイなら今、18歳。年頃は同じだ。
だがなんだか違和感を感じた。
「私は外しましょうか?」
軍医がこっそりとエドの耳元で告げて。エドは小さく頷いて、フュリー准尉に目配せする。
軍医は憲兵司令部に全ての書類を渡したと言ったが、先ほどの【手違い】の件もあるから、改めて提出して欲しいと頼むと、仕事熱心なのだろう、軍医は一つ返事で応えて、すぐに準備すると言ってくれた。軍医が同席すればそれだけ書類を受け取る時間も遅くなる。フュリーはそのことをすぐに理解して、敬礼して軍医に続いて病室を出て行った。
エドは近くにあった椅子を指差し、ベッドから上半身を起こしている青年に声をかける。
「この椅子、そっちに持っていってもいいかな?」
「はい…かまいません」
了承を受けて、エドは軽々と椅子を持ち上げて、ベッドの傍まで持って行き、ゆっくりと座った。
青年はそんなエドの一挙手一投足を見つめていたが、あえて何も言わず、エドが話し出すのを待っているようだった。
「さて。挨拶が遅れたな。俺、エドワード・エルリック。階級は大佐。国家錬金術師でもあって、異名は鋼。君が…セリム・ブラッドレイだったら会ったことがあるはずだよな」
「はがねの…?」
「ああ」
続いて青年が口にした言葉は、エドを愕然とさせた。
「鋼の錬金術師にはじめて会ったのは、大総統府です。鎧の弟さんと一緒に…そのあと、中央司令部でお父様と一緒にいた時に。あのとき、お父様が笑いながら言いました。鋼の錬金術師みたいになってはいけないよ。あっちこっち飛び回って、お母様が寂しがるからって」
「!」
エドは思わず黄金の双眸を見開いた。
『なんだよ、それって』
『いやな、うちの奥様は寂しがり屋さんなんだよ。私が忙しく走り回っているのに、セリムまであちこちに出かけては泣いてしまうからね』
不意に。
優しかった、隻眼の初老の男を思い出した。
エドを見る目がいつも優しかったのは、なぜだったのだろう?
だが、とにかく今は。
あの時。
大総統執務室にいたのは、エドとアル。あとはブラッドレイ大総統と、セリムだけだった。
ということは、目の前の青年はセリム自身かあるいはセリムの話を聞いた者だけだ。
「でも…」
まだ続けようとする青年の口元を思わず見つめていたエドは、
「あの…鋼の錬金術師は、確か男の子だったし…それにこんなに美人なお姉さんじゃないし…そんな背が高くなかった…」
ピキリ。
思わずこめかみが、音を立てた。
昔、背の低いのがコンプレックスだった。
鋼の手足が生身の手足が変わってから、エドの身長は急激に伸びた。かつては遙かに背が高かったアレクやホークアイと同じくらいになっている。とはいえ、間違いなく男であるアルフォンスの方が身長は伸びているのだが。
「ほぉ       
「だって、お父様が鋼の錬金術師と話をする時は【ちっちゃい】とか」
ぴき。
「【お豆ちゃん】とか言ってはいけないよって」
ぴきぴき。
あの隻眼の男は、ガハハと笑って、よく自分のことを呼んでいた。
『あ〜、そこのちっちゃい、お豆さんや』
『だ〜れ〜が〜〜〜、ミジンコ豆粒ドチビだって〜〜〜』
『ハハッ。全く君という存在は、楽しいね〜』
それまで、脳裏の片隅にあった【セリム・ブラッドレイ】の偽者かもしれないという疑念は、行き先のない怒りととも吹き飛んだ。
間違いない。
こいつは間違いなく、【セリム・ブラッドレイ】だ。
淡い蜂蜜色の巻き毛。真っ直ぐにエドを見つめている灰青色の双眸。
だが、この憔悴しきった表情は。
それにエドは聞いてみたかったことがあった。
「あのさ。俺のこと、なんで覚えてたんだよ?」
「…鋼の錬金術師は、自由なんですよね?」
答えにならない答えに、エドは戸惑う。
「は?」
「自由で、いつでも楽しそうで、お父様といつも笑ってたから」
「…セリム?」
この青年は何を言いたいのだろう?
エドは眉を顰める。
セリム・ブラッドレイは小さく溜息をついて、穏やかに微笑んでみせてから。
「お父様のこと、思い出した時に。お父様と一緒に笑ってた人を…思い出したんです。金色の髪と金色の目で。お父様が言ってました。あれは自由に飛べる翼を持っているけれど、自分でカセをつけているんだって。だから少しでもカセを外してやりたいって」
「……」
「それがどういう意味かは分からなかったんですけど。でも、あの頃の僕にとって、【鋼の錬金術師】は、自由の象徴だったから…だからかな…」



また来るから。
そう言って、【エドワード・エルリック】と名乗った女の人はいなくなった。
僕は少し高ぶった気持ちを抑えようと深呼吸をする。
ここのお医者さんが、そうしたら気持ちが落ちつくって教えてくれたから。
…あの人は、もしかしたら【エドワード・エルリック】かもしれない。
だって、昔、お父様の一言一言に反応して、笑ったり怒ったりしてた【鋼の錬金術師】。
それと同じように、僕が言うことに笑ったり怒ったりしてた。
…あの人なら、僕を助けてくれるのかな?
誰もたすけてくれないよ。

…あの人なら、僕を、お父様をもう一度元に戻してくれるかな?
だれもたすけてくれないよ。

…誰か、助けてほしい。
…誰か、僕を…
南の鷹にしないで…
ダレモタスケテクレナイヨ。
ミナミノタカニナッテシマエバイイノニ。



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