螺旋調和 5
「……私がロイ・マスタング。父はロナルド・マスタング、母は……エレノア・ハーミッシュ」
少し高まっていた緊張は、自己紹介を聞いて少し静まる。ランドルフはひとつ深呼吸をして、
「僕は、ランドルフ・バレンタインです。父は一応ジョン・バレンタイン、母は間違いなくエレノア・ハーミッシュです」
「一応?」
ロイが眉を顰める。ランドルフは小さく頷いて。
「あの、母は僕を妊娠したころ何人かと関係があって…特定できないので、でも自分が父親になってもいいって言ったのがジョン・バレンタインという人で…でも、俺が物心ついた時にはもう、違う人が家にいて…」
たったそれだけで、義理の兄は母のことを理解したのだろう。
いっそう細められた目は、ゆっくりと閉じられた。
「あの人にも困ったものだな…」
「…すみません」
母のことではなく、自分が非難されたような気分になったランドルフを、しかしロイ・マスタングは慰めるように微笑んでみせて、
「いや、君が謝ることではない。あのような…いや、母を非難するのもやめておこう。いまや故人なのだから」
小さな、小さな木箱。
さっき話しながらランドルフはその木箱を、ロイに差し出した。
「いいのかね?」
「はい。それが…僕の手元ではなく、あなたにお願いするのがいいと僕は思います」
ランドルフの言葉に、ロイは小さくうなずいて、木箱の蓋を開けて。
言葉を、失う。
「これは…」
「え?」
背後から覗き込んだエドワードも、首をかしげる。
ロイは眉をひそめて、つぶやくように言った。
「なぜ、これが?」
母と暮らすのがいやで、14歳で家を出た。
自動車の整備工として、工場に住み込みで働いた。
2年前。
『おい、ランドルフ。電話かかってんだけど。エレノア・ハーミッシュの知り合いっていえばわかるってさ…誰だよ?』
代わった電話は、母が亡くなったことを知らせるもので。
ランドルフは、特に悲しみも憎しみも浮かばない葬式を、たった一人であげて、母を埋葬した。
残されたのは、儲けたとはいえなかった母の商売で、唯一手に入れた持ち家。
だがランドルフはそこに一人で住むことがどうしてもできなくて。
今年の春。
結婚することになった。
だが、住むところが思い浮かばず。母の家のことを思い出した。
婚約者も賛成してくれて、2年ぶりに家を訪れ、片付けていたときだった。
『ねえ、ランド』
『ん?』
『これって、軍の紋章じゃないの?』
小さな木箱を、婚約者のマリアが蓋を開けながらランドルフに見せる。
『まさか、軍の紋章なんて』
あるはずがない。そう言うつもりが、言葉をなくした。
覗きこんだ小さな木箱の中に、大事そうに布にくるまれて保存されていたのは。
磨かれたことのないような、くすんだ鈍い輝きを示す、銀時計。
その蓋には、軍の紋章。そして、彫りこまれた名前。
『ロナルド・マスタングって書いてあるね』
その名前に、聞き覚えがあった。
幼い頃。
泥酔して帰ってきた母親がまだ小さなランドルフに抱きつき、一晩中つぶやき続けた名前。
『ロナルド・マスタングって男がいてね〜、どうしようもない研究馬鹿で〜、しゃべらなかったら一日中無言でいられるよ〜な男がいたんだよ〜』
あの時は、この銀時計が何を意味するかなんて、わからなかった。
わかったのは、軍用の自動車を整備していたとき。
同じ紋章を、自動車の後部座席に置かれた書類用用紙の箔押しに見て。
『これ…』
『あれ、ランド。知らないか? こいつは国家錬金術師の紋章だよ。軍の紋章に似てるけど違うだろ? なんだっけな…国家錬金術師になったらもらえる銀時計の蓋にでかでかと書かれてるの、前に見たことあるぞ?』
物知りな同僚に教えられた。同僚はもうひとつ、教えてくれた。
『なんでもな、昔銀時計ひったくられた国家錬金術師は、それだけで国家錬金術師をやめさせられたって聞いたぞ?』
そんな大事なもの。
じゃあ、なんでうちにある?
かすかな驚きと混乱で、ランドルフは決めたのだ。
かつて母から聞いたこと。
『軍にね、あたしの息子がいるんだよ。名前はロイ・マスタング』
返した方がいい。
マリアも賛成してくれた。
『大丈夫、あなたが何か悪いことをしたんじゃないってことはみんなわかってるし…お兄さんも、きっとわかってくれるから』
「大丈夫だ。このせいで君が何か被害を受けるようなことはない」
強い口調でロイが告げて。
ロイは、そっと木箱の中から銀時計を取り出す。
「…父は研究バカで、夢中になるとすべてをほうり出す。そういう人間だと聞いていた。銀時計も紛失したことがあるとは聞いていたが…こういう形で帰ってくるとはな」
感慨深げに、『ロナルド・マスタング』の刻印を撫でる。それから蓋を開けようとするのだが。
「む?」
「蓋、壊れているみたいで僕もあけようとしたんですけど、開かないんです。振ったら何か軽い音がするんですけど」
ランドルフが困りきった表情で言う。
そのとき、エドワードが言った。
「少将、貸してみ?」
「む?」
「こりゃあ、錬金術で開かないようにしてるな…ちょっと待ってな」
エドワードは静かに両手の掌を合わせ、蓋と本体の継ぎ目を指でそっと撫でた。途端に小規模な練成光が輝き、思いもしなかった状況に錬金術など身近で体験したことのないランドルフは言葉も出ない。
音もなく、銀時計の蓋は開き。
「…これ」
エドワードが蓋にはりついていた何かを、少将に手渡した。
四つ折りにされた分厚い紙を少将が慎重に開けると。
「あ、この写真…」
エドワードはその写真に見覚えがあった。
穏やかに微笑む女性と、胸に抱かれた赤子。
赤子はにこやかに手を女性に向かって差し出し、女性はその覚束ないほど小さな小さな手を、握りかえしている。
長い間、四つ折りにされたまま銀時計の中に入れられていたせいか、写真は変色は免れていたけれども、折れ目からポロポロと崩れた欠片が落ちている。
そんな写真を少将から受け取り、ランドルフは、
「間違いないですね…母だと思います」
「赤子は私のようだな。同じような写真がある」
少将は穏やかに言って、いつも持ち歩いている家族写真を見せた。
赤子も、女性も同じ服だ。おそらく、少将の持つ家族写真を撮影した時に同じように撮った一枚なのだろう。
「少将、裏に」
エドワードが指差した先にはほとんど見えないほど薄い字で、何かが書き込まれている。少将は目を細めて、読む。
「…我が愛をこめて。エレノアとロイに……」
少しの沈黙がその場を覆ったけれど、その沈黙を破ったのは、少将だった。
「ランドルフ…くん」
「え?」
思いもしなかった呼び方に、ランドルフは瞬間戸惑うけれど、すぐに立ち直って言う。
「あの、できれば呼び捨てにしてください。だって…」
弟、なのだから。
ランドルフの言外の懇願に、少将も気付く。
「そう、だな。ランドルフ。母の…エレノア・ハーミッシュについて、教えてくれないか?」
「それはいいですけど…」
少しだけ上目遣いに、ランドルフは『義理の兄』を見つめて。
「あの、ホントに尊敬できるような人じゃないんですよ?」
「尊敬できるような母なら、私を捨てて姿を消したりはしないだろう?」
少し自嘲しながら少将が言うと、少将の背後に立っていたエドワードが無言のまま、右手を少将の右肩に乗せた。
少将は僅かにそれに反応したけれども。
「大丈夫だ。教えてくれないか…私は母を知らない。母も私のことを知らなかっただろうが…やはり、これからの将来、自分のルーツについて語る時、母のことを知らないのは…残念な気がするのだ」
「…いいんですか?」
ランドルフの言葉に、少将は頷く。
そして、自分の右肩に手を置いた。
「ああ。自分の過去を知らないのは、ある意味不幸だ」
右肩には、エドワードの右手が乗せられていて。
なんだろう。
この、穏やかな雰囲気は。
穏やかな、だけではなくて。
優しさの中に、強さもある。
そんな強い絆を、少将の右肩に見たような気がして。
ランドルフは、ふわりと微笑んで。
「本当に…いい母親じゃなかったんです。母親というより、女であろうとしたんじゃないかって、今は思えます」
静かにランドルフは語り始めた。
「母は…場末のバーを経営してました。だけど、それなりに儲かってたんじゃないかな…僕は、生活費がなくて食べさせてもらえなかったという思い出はなかったから」
だけど、行った学校では必ず陰口を叩かれた。
それは聞くに堪えないほどの母の悪口で。母が理由で、ランドルフは何度も虐められたけれど、決して喧嘩に弱い方ではなかったのでやがてランドルフを虐めるものはいなくなった。
だけれども、ランドルフは虐めたものは許せても、母は許せなかった。
アルコールと化粧の匂いを漂わせて明け方に帰ってくる。
ランドルフが見た母はいつも、寝ているか酔っぱらっていた。
少し儲けて持ち家を買って。
ランドルフと、母と、そして入れ替わり立ち替わり、母の相手である男性が住んだ。ランドルフの記憶だけでも10人以上はいるはずだ。ランドルフの父親も、そんな形で母の家に居候し、そしてやがて出て行ったのだ。
母の相手は、長くても4年ほどで、いなくなった。
家のことは何もしない、母だった。
家事全般をランドルフがやった。お金が足りなければ、母に言えば出してくれたけれども、ランドルフはお金が欲しかったわけではなかった。
母のぬくもりを感じたかっただけ。
だけど。
母は、ランドルフが物心ついてから、ランドルフを抱きしめることはなかった。
一度、泥酔してランドルフの小さな背中に乗りかかったことはあったけれど、それだけで。幼いランドルフはそんなことで母のぬくもりを感じることしかできなかった。
母の相手は、ほとんどの人間がランドルフを家政婦としてしか見ていなかった。
だがある時、母の相手、今では顔も名前も覚えていないけれども、泥酔して家中を破壊し、ランドルフに暴力を加えた。
近所の者が数人がかりで相手を押さえ込み、ランドルフを病院に運んだ。
翌朝、目を覚ましたランドルフに母は言った。
『あんた、何やったのさ。あいつが捕まったじゃないか。お前がなんか仕掛けたんだろ?』
男は、黙っていたランドルフをその目つきが気に入らないと、殴りかかったのだ。ランドルフに非はない。だが、母は息子が男を挑発したと、信じていた。
愛する者の為に、愛した者を捨てる。
母の冷たい視線と、母の冷たい口調に。
ランドルフは、家を出ることを決めた。
「それから…母の友人から死んだという連絡が来るまで、母とは一度も連絡を取っていません…母はおそらく、僕が働いているのも、住んでいる場所も知っていたんだと思うんですけど、連絡してきませんでした」
「そうか…辛かったな」
投げかけられた、何気ない慰めの言葉に。
ランドルフは今までの緊張が解けるのを感じて。
思わず目頭が熱くなるのを感じた。
無理矢理微笑んでみせて。
「もっと…優しかった母の話をしたかったんですけど…その写真みたいに、すっごい優しいお母さんだったて…でも」
でも。
ランドルフの幼い頃の写真もある。
だがその写真では、自分に名字を与えた、ジョン・バレンタインがランドルフを抱いていて、母は演技か本当か分からない微笑みで、ランドルフの手を取ろうとしている。
これが意味する真の理由を、何度思いを巡らしたか。
だが、母亡き今となっては、母が真にランドルフを愛していたのか、かつて生んだ最初の子を、思い出すことがあったのか。
分からないのだ。
自分の過去を知らないのは、ある意味不幸だ。
さっきの少将の言葉。
あれは、自分も同じだ。
母が死んだ。
自分の知らない、自分の過去を、母は持っていってしまった。
そして。
自分は聞く機会がこの父違いの兄よりもあったはずのに、聞かなかった。
だから…もう、誰も知らないのだ。
ランドルフが顔を上げる。
その両頬を、涙が伝う。
「僕も…知らないんです。僕は、愛されていたのか…」
「そうだな。それは、もう誰にも分からない」
少将はランドルフにハンカチを差し出す。
「だが、一瞬でも自分が幸せであったことを、願いたい。そうじゃないかね?」
ようやくおちついて、ランドルフは笑顔を取り戻す。
「すみません、たいしたお役にも立てず」
「いや。ランドルフと話ができてよかった。これは」
少将は木箱を軽く持ち上げて、
「国家錬金術師機関に返しておくよ。ランドルフ、君は覚えているかい? ここに来るように言った、銀髪の女性佐官を。アレクサンドライト・ミュラー大佐というが」
「あ、はい」
「あれが、私の部下なのだが。国家錬金術師機関のトップだ」
「え?」
少し青ざめた表情をしていたけれど、確かに少将にそれを直接渡してくれと言っていたのは、『アレクサンドライト・ミュラー大佐』だった。
「あの…」
「アレクのやつ、銀時計をここまで持って来させる必要なかったじゃねえか!」
背後で吠えているエドワードを完全に無視して、少将は話を続ける。
「だから、もちろんだがランドルフに何かあることはありえないのだ。まして、銀時計をなくせば国家錬金術師資格を剥奪されるということもない。エドワードも一度、銀時計を紛失しているがそんな処分を受けたことはない」
「ないよ」
何かイヤな記憶でもあるのだろう、エドワードはぶすりと答える。
「そう…なんですか」
ランドルフは安堵の溜息をつく。
民間人のランドルフにとって、軍と関わること、ましてや処分の対象となるようなできごとに触れてしまえば何があるかなんて想像もつかないから、見えない恐怖で、ここ数週間熟睡もできなかったのだ。
「よかった〜〜〜〜〜」
豪奢なソファにへたりこむ弟を見つめて、少将が言った。
「ところで、ランドルフ」
「はい?」
「私に名前を呼び捨てさせるのに、君が敬語というのはなんだか変ではないかね?」
「え?」
「直したまえ。ああ、それから私のこの口調は癖なので、誰に対してもこうだから」
「そういうの、いやみったらしいって言うんだよ」
エドワードのツッコミにもめげずに、少将は話を続けた。
「結婚すると聞いたが?」
「あ、はい。母の家が片づいたら一緒に住もうと思っているので」
「ほう。それは羨ましいな。私もそういう相手が早く欲しいな」
ちらり。
いかにも思惑ありげに自分を見る、少将の視線に隠された、というよりあまりにもあけすけな意味にエドワードは溜息をつく。
「少将」
「なんだね、鋼の」
「…ランドルフ・バレンタイン氏への結婚祝を考えないといけないですね」
エドワードの言葉に、ランドルフは思わず手を振る。
「いや、そんな、気にしないでください! そんなたいしたことではないので!!」
「たいしたことだろう。結婚というのは、一生涯での大事だ。なあ、鋼の」
ぴくり。
切れ長の眥が上がるのを、目の端で感じながら少将はほくそ笑む。
「それほどの大事、たいしたことないとは決して」
「そう、だな! 全然、たい、した、こと、じゃない、か?」
ランドルフには、ただ何かがエドワードの逆鱗に触れたことだけは分かった。
「あ、あの。少将」
「兄さん、でいい」
「あ、兄さん…エドワードさん、すっごく怒ってますよ?」
「ああ、いいんだ。実は昨日プロポーズしたのだが、返事がないから。返事を寄越せと言ってるんだよ」
どう考えても、2人のやりとりはプロポーズの返事を待つなんて、甘いシチュエーションではなく。
明らかにエドワードは戦闘態勢に入っている。
「あの、あの、兄さん…」
「む?」
「返事寄越せって、そんな言い方したら上手くいくものも、いかなくなるんじゃあ…」
少将は少しだけ、空を見上げて。
極上の笑顔で答えた。
「大丈夫だ。エドワードには、私しかいないから」
新婚間近の『弟』よりも、窒息しそうな甘い台詞を吐く『兄』。
ランドルフは脱力しきって、小さく溜息をついて。
「そう、ですか…」
「結婚式には呼んでくれたまえ。私と、エドワードで参加するから」
「だ〜れ〜が〜、少将となんて行くか! 第一、いつまでも待つとか、死ぬまでには答えを聞かせて欲しいとか悠長なことをぬかしてたのは何だったんだよ。話が違うじゃねえか!」
怒りのオーラは、ランドルフが身を竦めるほどで。
「まあ、エド。落ち着きたまえ」
「やっぱり、あんたとは結婚なんか考えられねえ」
「な、なんだと!」
普通考えれば、エドワードの反応が普通なのだ。
だからちゃんと忠告したのに。
ランドルフは頭を抱えたかった。
「そうだろ! 一生涯の大事なんだろ! それを、返事寄こせだと〜〜」
「エ、エド」
怒りに震える、エドワード。
狼狽える、少将。
そんな2人を見て、ランドルフは思わず苦笑する。
こんな『兄夫婦』も、面白いかな?
「へえ、面白いお兄さんだったんだね」
穏やかに話を聞いてくれる婚約者に、ランドルフは言った。
「うん。いい、お兄さんだったよ。いつでも、何かあったらおいでって、言ってくれた」
『決して恵まれた家庭環境とは言えなかったけれど、これからいい家庭を築けばいいだろう? ランドルフ』
夕刻、どうしても早く帰ると言い張るランドルフをウォルフェンブルグ駅で見送ってくれた兄は、微笑みながらそう言ってくれた。
そうだ。
僕は、マリアと幸せになる。
いずれ子どもが生まれたら、自分のこと、母のこと、兄のことを話そう。
少しだけ不幸だったけど、それをかき消すほどに、今が幸せだろうと、教えてあげよう。
それが、次へつながっていく子どもたちの幸せになりはずだから。
かさ。
足下に響くのは、散歩道を覆い尽くす紅葉の名残。
だがアレクはそれを気にすることなく、歩を進める。
研究が煮詰まると、考え事をしながら研究所内の散歩道を歩くのが、アレクの習慣だった。
国家錬金術師機関の長となっても、アレクは本来錬金術師である。
錬金術師、それはすなわち研究者を意味する。
『双域』の異名は、決して飾りではない。
当時最年少記録を樹立した、アレクの研究を見てブラッドレイ大総統は豪快に笑って言った。
『まさしく、双域の字に相応しい!』
双域。
二つの領域を表すその言葉こそ、アレクの研究分野、空気変成と医療錬成を表す。
大佐の地位を得て、戦闘に参加しても、あるいは国家錬金術師機関の長となっても、アレクは研究者である。
普段の軍服の上に羽織った白衣がかすかに寒さを含んだ秋風に揺れているが、アレクはいっこうに気にした様子もなく、歩を進めながら、何かを呟いている。
「構築式はこれでいいとしても、変成させる元素量を安定させないと、爆発物を形成することになっちゃうわね…安定した元素量を得る為の構築式をもう一つ入れたほうがいいかな…」
「アレク」
「…構築式を組み込むと、錬成陣はやっぱりシルフィを2重に入れないといけないかな…」
声をかけたアルフォンス・エルリックは、独り言に夢中なアレクの背中を見て、苦笑する。
こんなところが、自分の姉に似てるなんて。
「だけど、シルフィの配置場所が問題だよね〜」
「アレク」
ようやく。
呼ばれたことに気付いて、アレクは顔を上げた。
笑顔で立っている青年の顔を見て。
「アルくん」
「ここんところ、仕事続きじゃないの? 発作、大丈夫?」
「うん、大丈夫。あれは…疲れてるから出るってものじゃないから」
2ヶ月前。
父の蔵書を、自分の研究室に持ち込んでいたアレクは、初めて開く蔵書の中に、若き父と母の写真を見つけて、発作が起きかけた。
その場にへたり込むように座ったアレクを、偶然にも研究室を訪れていたアルが発見して、初めて発作を見つけた時のようにしっかりと抱きしめて、『大丈夫だから、大丈夫だから』と囁いて。
一度起こり始めた発作は、止められない。
アレク自身がそう思っていたのに、発作は止まってしまった。
そしてそれ以来、母の写真を見つけたりと、発作のきっかけになりそうな出来事はあるものの、発作は起きないのだ。
「そっか…」
「アルくんのお陰だね。発作が軽くなったのも、途中で止まったのも、最近出ないのも」
穏やかなアレクの微笑みに、アルも微笑み返す。
「そうだと嬉しいんだけど」
「うん。きっとそうだよ」
アレクのそんな一言が、アルは無性に嬉しくて。
けれど、照れ隠しに話題を変えた。
「昨日、姉さんから電話があって」
「エドから? 東方は最近落ちついているから、エドもゆっくり仕事ができてるんじゃないの?」
「それが…電話が毎日かかってくるんだって」
「毎日?」
それが誰からの電話から、言うまでもなく。
アレクは眉をひそめて、
「まったく、仕事もしないでそんなことしてたら、ホークアイ大尉に脅されるの、わかってて」
「あ、でも。先週から、大尉とハボック中尉、お休み取ってるでしょ?」
ホークアイ大尉とハボック中尉の結婚は、ほとんどの周りの者ですらつきあっていたことすら知らずに、復帰してきた少将もあまりのことに呆気に取られて、優秀な『部下』にしっかり結婚休暇を出してしまって。2人が笑顔で執務室を出たあとに、少将は呆然とアレクを見て、
『これは何かのいたずらかい?』