比翼連理 3
翌朝。
渡す書類があって、アレクは少将の執務室を訪れた。その前にすぐ隣の雑務室を覗くと、明らかに異様な重たい雰囲気がのしかかっていて。
「こんにちは〜……って、この重たい雰囲気は何?」
「ミュラー大佐〜」
振り返る少将の部下たちの、救いを求める滂沱たる涙にアレクは思わず雑務室の扉を閉めようとするがハボックがそれを許さない。アレクが必死で閉めようとするのを、ハボック、続いてブレダまでが扉にしがみつく。
「何、なに! あたし、帰るってば!」
「帰しません!」
「助けてくださいよ、ミュラー大佐〜」
扉の隙間から並ぶ顔は、どれもこれも憔悴しきった亡霊のようで。
アレクはあきらめて手を離すと、勢いがついた2人は扉を全開にして、その場に崩れ落ちた。
「いって〜」
「おい、ブレダ。どけって」
「……ファルマン少尉、何があったか教えてくれる?」
アレクが選んだのは一番憔悴していないファルマンで。ファルマンは軽く敬礼してから、深く深くため息をついて、
「少将のご機嫌が最悪なのです」
「……で?」
「朝から、その、一言もしゃべらずに一心不乱に書類に目を通しておられて」
いいじゃないか。
思わず言いたくなったけれど、それはある意味異常な事で。
「……ホークアイ大尉は?」
まだ転がっているハボック中尉に聞くと、今日は非番だと答えが返ってきた。
「なるほどね、大尉がいないからなおさらコントロールがわからないわけだ」
「助けてくださいよ」
「助けるもなにも、それはやっぱり原因は一つしか考えられないでしょ?」
アレクの言う通りで。
全員の頭上に、一人の顔が浮かんでいた。
エドワード・エルリック・マスタング。
だが、機嫌が悪いからなだめてもらえないかと呼び出せば、逆にマスタング夫人の方が、そんなつまらん用事で呼び出しやがってと咆吼するのが目に見えて、アレク以外の一同は深いため息をつく。
そんな中動いたのはアレクだった。
「大佐?」
「書類、渡してくるから。まあ、あたしで何とかできることなら、なんとかしてみるわ」
「よろしくお願いします!」
一同は直属の上司にもしたことのないほどの、感謝の念を込めた敬礼をアレクに見せた。
ノックには返事もなく。
アレクは柄にもなく、『ミュラー大佐、入ります』と一声かけて、こっそり扉を開けた。
扉からまっすぐ奥に少将の執務机がある。覗くと、執務机で脇目もふらずに書類に取り組む少将の姿があって。
アレクは思わずため息をついた。
こんなに熱心に仕事をしているのは、フェリックスが生まれるのに2週間の有休をもぎ取るためだった時以来だろうか。
結婚してからこの方、少将は定時で帰宅する。だが、そのほとんどが書類の期限を無視して、なのだが。大体は有休を取るために、1週間前から鬼気迫る様子で仕事に励んでいる。だが、今日の様子はどこか違っていた。鬼気迫る、というより淀んだ空気が少将の上に渦巻いているのが、まるで見えるようで。アレクは仕方なく声を上げた。
「ロイ」
「……なんだ」
「頭の上、怖いことになってるよ」
「……」
頭上を見上げても、アレクの言葉の意味を理解できず、少将は憮然とした表情で入室してきたアレクをにらみつける。
「何だ、双域の」
「…うわあ、その呼び方久しぶりに聞いたなぁ」
持ってきた書類の概略を述べて、アレクは手近のソファに座り込み。
「で?」
「なにがだ。私は見ての通り忙しい。邪魔するなら」
「エドとケンカしたんでしょ? 何があったの?」
ずばりと切り込まれて、少将はなおのことアレクが憎たらしく、睨むことしかできない。
この鋭さ。
なんとかならないだろうか。
時々、腹立たしく感じるのは、きっと夫であるアルフォンスもあるだろうに、アレクに指摘したことはないのだろうか。
いや、それが八つ当たり的発想なのは、少将は何より理解していた。なぜなら、アルよりもアレクと長い時間を過ごしたのは【兄】である自分と、マースだけなのだから。
「昨日ね、中央駅で」
アレクは続ける。
「皇太子に話を聞かれているとき、エド、あたしのこと見てたんだよね。それが…助けて欲しいって目だったのか、よくわかんないんだけど」
「あれに助けなど、いらないだろう」
決済済みの書類を、書類入れに落としながら、少将はため息混じりに言った。
「鋼のは、自分で考えて応えたんだ。たった一言だけな…自分の名前を」
「は?」
今度はアレクが悩む番だった。
ただ名前を応えただけなのに、なぜ少将は怒りのオーラを立ち上げているのだろうか。
「あの〜、ロイ?」
「鋼のは、エドワード・エルリックと応えたんだよ」
「……それが普通じゃない?」
「あれの名前は、エドワード・エルリック・マスタングだろうが」
ようやく。
ようやく、少将の怒りの原因を見て、アレクは1割の安心と9割の脱力で嘆息する。
「……それで怒ってるわけ?」
「夕べ、鋼のに聞けば思わず出た、と言った。つまり思わず出るほど、マスタングをはずして自己紹介をしていることになる!」
立ち上る怒りのオーラを、アレクは少し冷めた視線で見つめて。
ソファから立ち上がった。
「帰る」
「アレク?」
「バッカじゃない。だって、それってすごく大事なことかもしれないでしょ?」
「……なんだと?」
少将はアレクの言葉が理解できない。アレク説明する。
「マスタングの名前を出さない方がいい時だってあるの。軍内部ではロイとエドのことを知らない人間なんていないけど、軍以外、まして国外の人間に、全部内情をさらすことが正しいなんて、絶対に言えない。それにロイはラフォーヌの一件で名前が知れてる。だからもしものことを用心して、エドは名前を出さなかったんじゃないの? まったく、これだから男はこんなところで独占欲出してどうするのよ」
「アレク…」
全く怒りのオーラが失われた少将。
代わりに怒りのオーラが立ち上るアレク。
アレクは幸せモードに切り替わってしまった少将をにらみつけて、
「わかった?」
「あ、ああ」
「じゃあ、エドに電話して謝りなさい。どうせ夕べ、ケンカしたんでしょ」
「はい!」
受話器に飛びつく少将をそのままに、アレクは執務室を出た。
廊下では部下一同が待ちかまえていて、アレクに拍手をしようとしたけれども、アレクの怒りのオーラに手が動かず。
「これでいいでしょ」
「あ、はい……」
「じゃあ、帰る」
『そんなことだろうとは思ったけどさ』
「まったく、ロイがあんなにバカだったとは思わなかったよ」
珍しく執務室にエドから電話が入って、アレクは珍しく電話に向かって愚痴をこぼす。電話の向こうで、エドが大爆笑しているのが聞こえた。
『夕べ、それはそれは機嫌が悪くてさ。聞いたら、皇太子への自己紹介が気に入らないって言うから、思わず言ったって言ったのが悪かったんだよな。まったく、俺が自己紹介するところになんて出会すから、こういうことになるんだけど』
「まあ、確かに。面倒くさい時はあるけどね」
アメストリスでは、結婚した女性の戸籍は旧姓、あるいは新姓、旧新両方を使ってもいい。決まりがあるわけではないのだ。戸籍には家族としての戸籍はなく、あくまで一個人としての戸籍だから、いつ誰と結婚し、子供が生まれたと書かれるだけだ。
エドやアレクのように、軍籍に名前があるものは特に変更などしない。自己紹介の時も、旧姓のみで自己紹介するのが普通なのだが、それではおかしいと考える頑固偏屈な老人将軍もいるようなのだが。
『そうだ、忘れるところだった。あのな、さっき大総統に呼び出されてな。昨日来た皇女の一人に、メイ・チャンっていただろ?』
エドの話の先が見えずにアレクは首をかしげる。
「えっと…派手な方? 地味な方?」
確か、金糸銀糸を織り込んでいかにも重たそうな服装で侍従に手を引かれていた皇女と、もう一人あまりにも身軽な服装の皇女がいたはずだ。アレクの応えに、エドはまたひとしきり笑ってみせて、
『アレクのたとえで言うなら、地味な方だよ。留学する皇女の一人が、錬金術習得ってあったの覚えてる?』
1月ほど前、アレクはエドとともに大総統に呼び出され、皇女の一人が錬金術取得を目指すためにアメストリスに留学するために便宜を図ってやってほしいと言われたことを思い出した。それに目指してもちろん準備は整えているのだが、
「うん。覚えてるよ」
『そのメイ・チャン皇女、今ここにいるから連れて行くよ』
「は?」
突然の言葉に、アレクは眉をひそめる。
「ここにいるって?」
『ああ。さっき、大総統に呼び出されて、頼むよって渡された』
渡されたって、仮にも皇女じゃないのか。
アレクは思わずエドにも、大総統にもツッコミを淹れたかったけれど、ため息を一つついて、
「わかった。待ってるから連れてきて」
『おう』
受話器を置いて、エドは手近のソファに座らせていたメイ・チャン皇女の側に行く。
芳紀16歳という。
その割に黒髪黒目に、童顔が重なってもっと幼く見えるが、大きな目がエドを見つめている。
アメストリス語が流ちょうに話せるのは、大総統府で知っている。ここまでいざなったものの、さてどこまでの敬語で話せばいいのだろうか。エドはコホンと咳をしてみせて、
「えっと…皇女?」
「メイでいいでス」
すぐの切り返しに、エドは慌てて、
「じゃあ、メイさん。では国家錬金術師機関へ行きましょうか?」
「ハイ」
促されて国家錬金術師機関に向かいながら、エドの背中にメイが話しかける。
「あの、大総統閣下にお聞きしたんでスけど、あなたも国家錬金術師なんですカ?」
「ああ、異名は鋼をもらってます。専門は金属錬成ですけど」
「金属錬成……そんなことができるんですカ?」
予想もしなかった応えに、エドは首だけ振り返り、
「え? どういう意味、ですか?」
「シンの錬丹術では、金属錬成することは滅多にありませン。なぜなら、錬丹術では新しいものを生み出すことではなく、再生すること、そのために流れる気を利用することこそ、大事なのでス。もとの物質から違う物質を生み出すことは、考えられていまセン」
幼く見える皇女は、微笑んだ。
「だからこそ、錬金術を知りたいのでス。誰もなし得たことのないという、錬丹術と錬金術、両方の習得ヲ」
「正直、言わせてもらっても?」
「ハイ」
「それ、かなり難しいわよ」
突然のタメ口に、正直戸惑ったのはエドの方で。言ったアレクも、言われたメイも動揺する様子は見えなかった。
執務室に通すと、アレクは一通り錬金術学校入学に必要な書類を提示した。
用意したのは、最難関最高峰と呼び声の高い、中央の錬金術学校。かつては軍が運営していたけれど、アレクの国家錬金術師組織の改革で経営権は軍から民間に変わってはいるけれど、国家錬金術師資格合格率はかなり高く、この錬金術学校自体への入学も難しいと言われている。だが、アレクはあえてそんな学校をメイに紹介した。
錬金術をそれほど簡単にとらえて欲しくないという気持ちと、
学ぶなら最高機関で、という気持ちから選んだものだった。
そんな書類を渡しながら、冗談交じりにエドが言った台詞に反応したのはアレクだった。
「理由は…わかってると思うけど」
「エエ」
頷く少女は、16歳よりももっと幼く見えて。
黒い髪、黒い眸は兄によく似ていたけれども、それよりもずっと幼く見えるのは、シン人の特徴なのだろうか。昨日見た皇太子も、24歳という年齢の割に幼く見えたのだ。
「構成要素が違うんですよネ」
「ええ」
「おい、アレク」
「大丈夫、彼女はこのくらいじゃ動揺しないわよ」
エドの制止を振り切って、アレクは語る。
錬金術の錬成構成要素は全部で3つ。
理解し、分解し、再構築する。
再構築するためのエネルギーは再構築する物質の中から得る。
そのために、物質が1のものからは1、10のものからは1から10のものを生み出すことができる。一方で1のものから100を生み出すことはできないのだ。
だが。
錬丹術には、錬成構成要素から違う。
理解し、流れる気を読み、利用して再生する。
本来あるべき姿に戻すことしかしないのだ。
それは理解の段階で、錬金術は物資の構成分子を理解しようとするのに対して、錬丹術は物質に流れる【気】を読むのだ。そして気の流れを読むことで、再生を促す。
「昔ね…私も錬丹術を学ぼうと思って」
「え?」
それはエドにとっては初耳だった。
「でも、理解の段階でダメだった。人間、そうそう簡単に頭を切り替えられないみたいで。止血なんかの簡単な錬丹術まではできるけど、そうなると今度は錬金術ができなくなる…だからあきらめたのよ」
「そうなのか?」
「うん。それに手取り足取り教わったわけじゃなくて、本で読んだだけだからね」
「でも…何か、できることがあると思うんでス。たとえ錬丹術と同じように錬金術を使えないとしても、何かワタシにしかできないことがあるんじゃないかっテ」
そう告げる少女の眸は、何かをつかまなくてはいけないと、必死の様子で。
それはかつて少女の隣にいた、黄金の双眸に浮かんでいたものによく似ていた。
『俺は……アルを元に戻さなくちゃいけないんだ。そのためだったら、何でもするさ……軍の狗って貶されるくらいは、たいしたことじゃないから』
アレクは思わず、苦笑を浮かべて。
「いいわ。やれることを模索して試行錯誤するのも、若いうちにしかできないから。あたしで手伝えることがあったら、何でも言ってちょうだい」
「お?」
「本当ですカ?」
「当たり前でしょ! 双域の錬金術師と、鋼の錬金術師に任せておきなさい」
とんと拳で胸を叩いて、エヘンと胸を張るアレクの側で、小さな抗議が一つ。
「なんで俺の名前まで」
「何か言った?」
「………いいえ」
「大総統だと?」
「はい、ちょうど昨日中央駅にいた副総統が行き会って。すんなり入って行きましたので、とりあえずご報告にと帰ってきましたが」
よろしかったでしょうか。
自分の足下に跪くランファンの続いた言葉も聞かず、リンは手にしていた紙を握り込む。
窓の向こうに困ったように辺りを見回している侍女がいる。それは少し前にリンに紙を届け、メイの姿が見えないと半泣きだったメイの侍女で。リンは立ち上がり窓を開ける。
「おい」
「あ、殿下」
「メイは大総統府だそうだ。安心しろ。今から迎えに行く」
リンは自分が握り込んでしまった紙に書かれた内容を思い出す。
錬金術のことについて知りたいので、大総統府に行ってきます。
侍女には『大総統府』が何かわからなかったようで、リンに泣きついたのだ。そんな時にちょうど、ランファンが帰ってきたのだ。
リンは深くため息をついて。
「出かける」
「どちらへ」
「……大総統府だな」
握り込んだ紙を近くのテーブルの上に置いて、リンは思わず苦笑する。
「まったく、とんだお姫様だね」
「エ?」
「……ちょっと待った、そのえ? はなんだよ」
エドが軽くにらみつけると、メイは慌てて両手を振って、
「いえ、深い意味はなくっテ…」
「怪しいねぇ」
意外に詮索するエドの前にアレクはティーカップを置き、
「怪しくないよ、普通エドが結婚してて、子供がいるなんて思わないもの」
「お、ありがと」
かぐわしい湯気を感じながら、エドはしかしにっかりと笑ってみせて、
「まあ、確かにメイぐらいの年頃だったら、今の俺なんか想像つかないけどな」
いつの間にか敬語をかなぐり捨てた義姉をちらりと見遣って、アレクはティーカップをメイにも出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございまス」
「こっちでは紅茶にお砂糖入れる人もいるけど…いるかしら?」
「いりませン」
「ん」
女性3人集まれば、秘密会議が始まる。
そう言ったのは、マースだった気がする。
ちょうど、女性3人が話し始めたのはしかし、明らかに一般的な女性の話題とはかけ離れた【錬金術】で。しかし数時間経って、ようやく女性らしい話になってきたのだ。
「おこさん、おいくつですカ?」
「ん? もうすぐ3歳。男なんだけど、おとなしくてな…まあ、いつも一緒にいる双子にやられっぱなしなのかな」
「失礼ね、どうせエドのやんちゃと、ロイのやんちゃが遺伝してるんだから、間違いなく1年遅れでやんちゃになるに決まってる」
「あの〜」
メイがティーカップを抱えたまま、アレクに問う。
「ミュラー大佐モ?」
「アレクでいいわよ。うん、あたしの旦那はエドの弟。だから、義理の姉妹ってことになるかな」
「そうなんですカ…」
「こいつん家は双子の男の子でさ、なかなか見るのもパワフルなんだぜ?」
「すごいでス!」
ティーカップを抱えたまま、メイが立ち上がる。ゆっくりと紅茶を楽しんでいたアレク、メイにいろいろと吹き込んでやろうと体勢を整えていたエドをメイは見つめて、力強く頷いた。
「働く、女性! これぞ女性の鑑でス」
「えっと……」
「そんな大層な者じゃないわよ」
「そ、そう。全然、皇女さまするよりも、働く方が楽だと思うけど」
エドの珍妙な喩えに、アレクは肩から脱力するけれど、メイの弁舌さわやかさはとまるところを知らず、
「男性とともに、ましてや軍人という激務をこなしながら、子供を産み、育てることができるなんて、尊敬しマス! そして、そういう環境のアメストリスが羨ましく思いまス」
少し話の路線が逸れ始めて、エドは首をかしげる。
「メイ?」
「ワタシのチャン族は…大きい部族ではないんデス。でも、何代か前にチャン族出身の皇帝がいたおかげで、嬪を入れる名誉を与えられていまス…」
「ひん?」
「皇帝の側室よ。多民族国家のシンでは嬪を納めることができる名誉は50の部族だけで、皇帝は次代の皇帝をこの嬪に生ませた子供から選ばなくてはいけない決まりらしいの」
さらりと説明してくれたアレクの言葉に感謝の意を示して、メイは続ける。
「ですガ嬪を納め、これを維持させるには大変な出費で、皇帝の後継者として兄の名前が挙がっているけれど、そのためにもやはり出費が嵩むので、兄は辞退するつもりなんデス……ですから、皇女であるワタシが降嫁するお金もないので」
「おいおい、どうなってるんだよ?」
「どうもこうも、それが多くの部族の現状だよ。富める部族だけが権力を得て、更に皇帝を生み出すことに専念する。だけど、そうでない部族は自分たちを守ることに精一杯にならざるを得ない…そういう意味で言うなら、今のリン・ヤオ皇太子は富める部族から見れば、決して望んだ皇太子ではないんだよね、メイ」
「ハイ…リンが皇太子に選ばれた時、多くの部族が両手を挙げて喜びまシタ。ですが、そのために一部の部族から非難が続出したんでス」
エドに分かるように、メイの話に解説を加えながら、アレクはおそらくその【非難】が何を意味するのかすぐに理解してため息を吐く。
「どこでも権力闘争は、結局最後は命のやりとりになるわけだね」
「ええ。リン自身も武術の遣い手ですけド、何よりヤオ族は武芸の部族。今もリンの側に仕える人は武芸の嗜みがないとダメだそうでスヨ」
「ふ〜ん」
エドの生返事に、アレクがからかう。
「エドならいけるんじゃない? 体術、できるじゃない?」
「まあな。でも、やっぱりフェル生んでからこの方、アルとも組み手をやることがめっきりなくなったからなぁ…きっとよわっちいとは思うけど」
「錬金術があるよね〜、鋼の?」
「おぉ、それを言うなら」
珍しくアレクの揶揄に、エドが反論する。
「双域のだって、やれるだろ?」
「やっぱり威力が違うと思うけど? 金属物錬成と、空気変成では」
にやり。
アレクの笑いにエドも笑ってみせるけれど、遠方より現れた少女だけが理解できない。
「えっト…どういうことですカ?」
「お、すまない。アレクはね、錬成陣を写し取った手袋はめて、両手を合わせるだけで空気変成するんだよ。専門は空気変成と医療錬成、二つあるから双域の錬金術師なわけ。で、俺は」
「手袋もはめず、手を合わせて、錬成したい元のものに触れれば、そこから槍だろうと、壁だろうと、水道管だろうと、作っちゃうのがこの鋼の錬金術師なのよ」
あっさりと説明されるが、その意味の深さに、この少女が気づくだろうか。
「……陣を描かないんですカ?」
「俺は頭の中でイメージする」
「イメージって言うか、錬成に必要な錬成陣を使うから。あたしのは応用の利く錬成陣付き特製手袋を3セット、常時持ってるわね」
「……それって、すごいことなんジャ」
「多分ね」
アレクの手袋は、完全にオリジナルだった。
両手を合わせることで、自分の身体を錬金術に必要なエネルギーを循環させる。そこまでは理論的に完成されていたけれど、それを錬成陣に如何にうまくエネルギーを無駄なく無理なく伝えることができるか、ということを考えた結果、手袋の掌側に錬成陣を描き、それを合わせることで、エネルギーを錬成にうまく利用できることを最初に始めたのは、アレクだった。
とはいえ、錬金術師は錬成陣を素早く、なおかつ使い分けることでその能力を遺憾なく発揮できるのだ。
そして両手を合わせることで生まれる錬成の力は、実は使える錬成陣の数の少なさで、応用範囲が少ない。結局は、錬金術師の能力に依存するところが大きく、アレクほどに所謂【掌底錬成】を使いこなせる錬金術師はいない。アレクは3種類の錬成陣を描いた手袋を使い分けることで、双域の錬金術師として名を馳せたのだ。
「まあ、これは結局理解の部分が大きくなると思うのよ。錬成陣によって生まれるエネルギーを如何に途中消費させずに、分解に使えるか…それは錬丹術でもそうでしょう? 如何に気の流れをうまく利用するか? になるんじゃないかしら」
「ハイ、そうですね」
そのとき、アレクの執務机の電話が鳴った。アレクがソファから立ち上がり電話に出る。
少し眉をひそめながら、電話に耳をそばだてていたけれど、小さなため息とともに受話器を置いて。
「メイ」
「ハイ?」
「……あなた、置き手紙でホテルを抜け出して来たの?」
「あ、ハイ…」
「リン皇太子が迎えに来ているって。大総統府に行きましょうか」