比翼連理 4
「すぐ、来るとのことです」
「そうか、分かった」
大総統補佐官の言葉に、ジェームズ・マッキンリー大総統は鷹揚に頷いて見せて、自分の前に座る青年を見遣った。
「お聞きになったかな」
「忝ない。とんだおてんば娘デ」
リン・ヤオ皇太子は軽く頭を下げた。マッキンリー大総統は苦笑して、
「メイ・チャン皇女とは、仲がおよろしいのかな?」
「……かつて武術一辺倒のヤオ族にあって、錬丹術を極める一家がチャン族を切り開いた。よって父だけでなく、母方にあっても遠戚にあたりまス」
「ほお」
意外な話を聞けて、大総統は目を細めて、
「メイ・チャン皇女は留学目的を、錬金術習得とされていたが。皇太子殿下は反対かな?」
「イイエ」
リンは首を横に振って、
「それは、メイが決めたことでス。私が言いたいのは、侍女に無断でホテルを出たこと。上に立つ者であるならば、下の人間がどれほど上の者に振り回されるか、理解する必要があるかト」
皇太子の言葉に、大総統は一瞬言葉を失ったがすぐに呵々と笑ってみせて、
「なんと、私よりもずっと心構えがよろしいようだ」
ただの青年ではないと、マッキンリーは昨日、ホテルで初めて会った時、そう思った。
自分は中央駅に迎えに出るだろうと思っていたのに、肩すかしを食ったのだ。きっと抗議があるだろうと思っていた。だが、抗議したのはゴオ枢弼と呼ばれる重臣で、皇太子は一度も大総統を咎めることもなく、ただ穏やかに、
「ご苦労でス、出迎えの多さに驚きましタ。私は皇太子にすぎまセン。あれほどの出迎え、無用にしていただきタイ」
と告げたのだ。
出迎えの多さは大総統が気にした点ではあったけれど、やんわりとした応えに、マッキンリーは舌を巻いたのだ。
今日の受け答えも、24歳の青年と言うより、老獪といったイメージを受ける。
老獪、かつ、峻烈。
かつて、その相反する雰囲気を内包していた男がいた。
マッキンリーは思わず苦笑する。リンはそれを見逃さない。
「何カ?」
「いや、リンどの。あなたの受け答えは、なにやらかつての我が国のブラッドレイ大総統を思い出しますな」
「はァ…」
促されるまま大総統執務室に入ると、奥のソファにマッキンリー大総統が座っていて、メイを認めるとにっこりと微笑んだ。
「メイ皇女、お待ちしていたよ。さっき、なぜ言ってくれなかったのかね?」
アレクとメイに背中を向けて座ってリンが振り返ると、リンが口を開くより前に、メイが勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさイ!」
これ以上は無理というほどに、メイは頭を下げた。
「あの、どうしても錬金術師の人に会いたかったし、学校のこと、話をしたかったし……」
頭を下げたまま必死で言うメイを横目で見て、アレクも言う。
「皇太子殿下、国家錬金術師機関長のアレクサンドライト・ミュラー大佐です。私どももお引き留めしたことになります。どうぞ、皇女を叱責なさらぬように」
軽く頭を下げるアレクに、リンは目を移した。
伏せがちの濃紺の双眸、何よりリンの目を惹いたのはその銀色の長い髪だった。頭を軽く伏せているので細い銀糸のような髪がさらさらと首元に流れていくのが見えた。リンは少し苦笑して、大総統に振り返った。
「大総統」
「……何かな?」
「よい部下をお持ちダ」
好々爺はにっかりと笑ってみせて、
「自慢の人材でな」
「しかし、メイ。侍女が探し回っていたことを忘れないでくレ。彼女はお前の行き先を探して、私にまで泣きついてきたのだかラ」
「でも、書き置きヲ」
「侍女には、大総統府が何を意味するのか、わからなかったらしイ」
「あ」
メイは顔を上げて、口元を手で押さえた。そういえば、侍女は何も知らないのだ。
「彼女に説明をしておくべきだっタ」
「ハイ…」
項垂れてしまったメイを見下ろして、それでもリンは苦笑を浮かべたまま、
「だが、このような外出が今まで以上に多くなるだろうガ…大総統、もしよければメイに護衛という名の案内人をつけていただけないでしょうカ」
「ん?」
「彼女はこのアメストリスに骨を埋めるつもりで留学してきましタ。ですが、彼女の手伝いは、私たちでは限界がありまス。どうでしょうカ?」
マッキンリーは首筋をぽりぽりと掻きながら、
「ふむ、それは構わないが…ミュラー大佐。君が推挙できる人材はあるかね」
突然の話で、アレクも『そうですね…』と言いよどんで。
「では、軍法会議所のヒューズ大佐とアームストロング中佐ではいかがでしょう? ヒューズ大佐ならば、中央をよく知っていますし、アームストロング中佐は豪腕の錬金術師です。メイ皇女をお守りすることに力量不足ではないと思いますが」
「ふむ…いかがかな? 殿下?」
リンは力強く頷いた。
「お任せシマス」
「では、決まりだな。補佐官、すぐに軍法会議所に連絡。呼んでくれたまえ」
広い車内では奇妙な沈黙が続いていた。
大総統が好きに使っていいと貸してくれた大総統専用車は運転席と後部座席がガラスで仕切られており、後部座席からでないとガラスは開けられない仕組みになっていた。メイは運転席のヒューズ大佐と助手席のアームストロング中佐の背中を見て、ぼそりと言った。
「…リン」
「?」
「……ワタシは、錬金術を学びに来たんだよ。リンのように、調印式が終われば帰るんじゃない。だから…」
「少しぐらい、動いてもいいだろうと、言いたい気持ちは分かる。オマエにとっては、留学の役目も、自分の趣味も、すべて含んでいるのだからな」
異母兄の応えに、メイは思わずリンの横顔をにらみつけた。
涼しい表情で、前方を見つめていたリンはゆっくりと口を開く。
「メイ」
「……」
「俺は言ったはずだ。上に立つ者の自覚を持てと。それは残念ながら、喩えチャン族という弱小部族の出身であっても、オマエは皇女だ。それは一生ついて回る。自覚を持て」
「そんなもの、シンを出た時に置いてきたわ」
「……メイ」
「ワタシはもう、シンには帰らない。ここにいるのは…シン国皇女じゃない、一人の人間よ」
「…だが、侍女は残る」
「帰すわ」
明確な答えに、リンは目を細めた。
「そうか」
「そうよ」
「…よけいな、心配をしたようだな」
「でも、アメストリスでも暗殺が横行しているんだったら、話は別よね。リン、あなたを脅すためにワタシを誘拐するなんて考えるオバカがいるなら、用心しないといけない」
自分より幾分幼く、その容姿も童顔な異母妹は後宮の、悲しいまでの権力闘争に巻き込まれた経験があるだけに、ちらりと運転席と助手席を見遣って、
「あの二人は信用できると思うわ。運転しているヒューズ大佐は、国家錬金術師機関長のミュラー大佐の、お兄さんのような存在だって」
「そうか」
自分が大総統に良い部下だと言ったあの女性、確かミュラーと名乗っていた。
「アメストリスにはいろいろな髪や目の色の人間がいるのだな。あの大佐も見事な銀髪だったな」
「大佐の義理のお姉さんって、エドワード・エルリック大佐って人もきれいな金髪にきれいな金色の目だったよ」
まるで夢にあこがれる少女のような表情を浮かべるメイを苦笑しながら見遣って、しかしリンはすぐに思い至った。
「エドワード・エルリック?」
確か、アメストリスで降り立った駅で、黄金の髪、黄金の双眸をした女性士官がいた。彼女はまっすぐに自分を見つめて、確か同じ名前を名乗っていたような…。
夢見る少女に変身したメイの方は、小さく吐息を吐いて、
「ミュラー大佐とエルリック大佐とお話したけれど、二人とも軍人で、その上国家錬金術師で、またその上で結婚してらして、またまたその上お子さんまでいらっしゃるなんて、あこがれてしまうわ」
「…子どももいるのか」
今まで思い出しもしなかったのに、不意にそのまっすぐな黄金の双眸を思い出す。
「ええ。普段は子どもを預かるところがあって、そこに預けて働いていらっしゃるって」
「…なるほどな、賢いのか」
リンの答えに、何か奇妙に感じてメイは夢見る少女から皇女に再び戻って、
「リン?」
「ん?」
「何か?」
「いやな…賢く、見た目もよい、まして黄金の髪に黄金の双眸…次代の皇后にすれば見栄えがするな」
「リン!」
それは、リンがエドワードを妻として迎えるという意味で。メイは慌てて、
「結婚してるって」
「ああ、聞いた。離婚すればいいだろう」
「お子さんだって」
「皇后には皇位相続権はないのだし、もし子どもが生まれても皇后からの子どもは相続権は最初からない」
違うのだ、そういう問題ではないんだ。
それを言いたかったけれど、車はホテルに着いてしまって。
メイは安堵して泣き崩れる自分の侍女を慰めるのに手一杯になってしまい、リンの発した言葉の真意を、とらえかねてしまったのだった。
「ありがとうございましタ」
深々と頭を下げるメイ皇女に、ヒューズ大佐とアームストロング中佐は笑顔で返して。
「それにしても、大総統直々に護衛を頼まれちゃあ、出張るしかないかね」
「そうですな」
二人の所属は軍法会議所。罪を暴くのが仕事で、護衛ではない。
とはいえ、大総統に護衛を任じられたら勿論受けなくてはならず。
「どうせアレクが推薦したんだろ」
「そうでしょうか。しかし、ミュラー大佐だけでは」
「そりゃそうだ。俺はナイフ、中佐は錬金術。どういう相手が来ても、二人だったら何とかなる…てことだろうな」
だが、正直こんな仕事は憲兵司令部に回して欲しいと言おうとしたヒューズの目の前に、一台の軍用車が止まった。下りてきた軍人を見て、ヒューズは声を思わず上げた。
「おい、ロイ」
「む? マースか。どうした?」
マスタング少将に軽く挨拶をして、アームストロングは待機するためにホテルの中に入っていく。少将が聞いた。
「なんで、二人がここにいるんだ?」
「そりゃあな、お姫様の護衛を頼まれてな」
「…メイ皇女か?」
「ほかにいるのか?」
「…俺はミーファ皇女に呼び出された」
「は?」
予想もしなかった少将の言葉に、ヒューズは眉をひそめた。
「なんだよ、それは」
「正確にはゴオ枢弼になんだがな。なんでもミーファ皇女が話があると言っているらしい…あの手の女性は嫌いなんだ」
初めて中央駅で会った時、ミーファ皇女はちらりと少将に流し目を送っていた。エドの【自己紹介】で機嫌が悪かった少将だったが、その手の視線は数多受けてきたのだ。だかたこそ、苦手なのだ。
自分の美しさを鼻にかけて、必ず自分に興味を持っていると勘違いしている。
そんな女性が少将に言い寄ってきたことは何度もあり、少将はそれを【撃退】するのにどれほど無駄な時間、特にエドと過ごしたい時間を消費したと感じたことか。
「ははぁ…もし、エドに知れたら」
今度は少将が眉をひそめる。
「それは構わないが…私に疚しいことなど何一つないのだからな。だが、権力を持つ側の人間が、権力にものを言わせて従わせていることと好意を寄せられているとを混同して、とんでもない行動に出ないことを祈るしかないが」
「そりゃ、お前さんの今までの行い次第だろうな」
「…マース、燃やされたいか?」
これはどういう、状態なのだろう。
少将はかなり混乱しながら、自分の胸にしがみついてシクシクと泣く少女を見つめていた。
少しだけ時を遡る。
玄関でヒューズとアームストロングに会った。
ホテルに入ると、待ちかまえていたゴオ枢弼に捕まった。何かをまくしたてるけれど、勿論通訳に訳して貰わないと話は分からない。
「あれほど、あれほど皇女のことをお願いしておいたのになぜ、そうも無碍になさるのカ。皇女は、術を持たないのですヨ」
この通訳は。
いつもゴオ枢弼の通訳をする見慣れた通訳の男を軽くにらみつける。
ゴオ枢弼の感情をそのまま伝えようとしているのか、自分もなりきっているのか、なぜ通訳ごときにまでまくしたてられなくてはならないのか。内心だけで悪態をついてみて、少将は静かに通訳に言う。
「すまないが、全く話を理解できない。順序立てて説明してくれないか」
「ですカラ」
「まずは、ミーファ皇女のことで呼び出されたのだな」
「はい」
要約すれば、メイ皇女はちゃんと留学について準備が整えられているのに、自分は打ち棄てられている。きっと、このまま放置され、忘れられていくのだろうと、さめざめとゴオ枢弼に泣いてみせたという。慌てたゴオ枢弼がそんなことはない、きっとマスタング少将なら何とかしてくれると言ったことで、ミーファ皇女は涙に濡れながら、では少将に直接お願いしなくてはいけない、呼んで欲しいと言ったというのだ。
なんで、そこで、私の名前を出すんだ。
少将は思わずコートのポケットに入れてあった発火布を探したくなった。だが、相手はシンの高官。渋々促されるままに、ミーファ皇女の部屋まで来たのはよかったのだが。
「二人だけでお話させてくださイ」
意外と上手なアメストリス語で、ゴオ枢弼は通訳とともに姿を消した。
そして、突然ミーファ皇女は立っている少将まで歩み寄り、いきなり抱きつき、その胸の中でしくしくと泣き始めたのだ。
これは、危険だ。
少将の頭の中では、男としてとか、据え膳食わぬは…とかいろいろと走馬燈のように浮かぶのだが、最後に行き着いたのは。
『へえ、ロイ。相変わらずもてるんだなぁ』
『いや、そうではないと思うぞ』
『いや、これは、モテルって、言う、んだ、よ』
区切られた言葉は、愛妻の怒りを示していて。
その光景を思い出して、少将はどうしようかと迷っていた両手の行き先を決めた。
すなわち、皇女の肩に。
「ミーファ皇女、いかがされました?」
「……少将は、私がお嫌いですカ?」
涙で潤んだ眸。
アメストリスでも美女の類に入るだろう。芳紀18歳と聞いているが、その妖艶な雰囲気がミーファ皇女をもう少し年上に見せていた。おそらく、エドと知り合う前の自分だったら、こらえきれずに抱きしめていただろうと思いながら、少将は一定の距離を保つために皇女の肩から手を離さず、そのまま皇女を移動させ、手近にあったソファに座らせる。
「いいえ。皇女はお美しいですよ」
「でも、抱きしめてはくださらないのですネ」
ワタクシは、少将にお頼りするしか術を知りませんのニ。震える声も、男好きする手弱女で。だが、既にエドのことが脳裏に浮かんでいる少将にはその魔法は通用しなかった。
「皇女ほどの高貴な方が、私如きを頼らねばならぬという言い様はおやめください」
「……でも、メイは」
「メイ皇女は、自分で動かれたのですよ」
メイ皇女がしばらくの間アレクのところに居座って、エドと3人、錬金術談義をしていたことは少し前用事でアレクに電話をしたことで少将も知っていた。少将は苦笑しながら、
「活発な方のようですね」
「……ワタクシはどうすれば」
「ミーファ皇女は、留学目的をアメストリス語の習得とのことでしたね」
「エエ」
「では、アメストリス中央大学の語学学科にすぐに入学手続きを取ります。2週間ほどの時間がかかると思いますが、少しの間お待ちください」
淡々と告げられる事務的な内容に、最初は鷹揚に頷いていたミーファは飽きたように天井を見上げて。
「あとはお願いしまス」
「…わかりました」
あとは好きにしてくれという意味だろう。少将は部屋を出ようとする。だが、ミーファが呼び止めた。
「あなたは、女性がお嫌イ?」
何を言い出すのだろう。
思わず眉をひそめて振り返り、少将は言い放った。
「好きですよ。同性愛には興味ありません」
「ならバ」
「ですが、私には大切な妻と子どもがいます。その幸せを投げ捨ててまで求める愛情はありません」
強い言葉。
少将のその言葉に、ミーファは続ける言葉を失った。
部屋を出る時、入室するときに出て行った侍女が警備のように待ちかまえていて、ちらりと少将を見遣って、部屋に入り、乱暴に扉を閉めた。
少将は深くため息をついて。
「……なんなんだ、あれは」
「何のおつもりですか、アメストリス人を誘惑するなんて」
侍女の言葉に、ソファに座っていたミーファは眉を動かして、
「手足になるかなって…無理だった」
「あたりまえです。あなたのような手段では落ちません」
あっさりと告げられて、ミーファは嘆息する。
「だって、私のできることなんて」
「だから我々が動きます。あなたにはただ座って、人形のように着飾って笑っているだけで構いませんから」
「……」
あからさまに上下関係を無視されて、ミーファは反論しようとするけれど、自分はそんな立場にないことを思い出す。
「好きにすればいいわよ」
「リーティンさまの御為です」
「……」
実の兄、だと信じていた。
何をねだっても、笑顔で受け入れて与えてくれた。
なのに、あの日、急に兄は顔を変えた。
優しい兄から、見知らぬ男へ。
『これが何を意味するか、賢いミーファなら分かるだろう?』
リーティンの右耳で輝くその耳飾りは、母が肌身離さず着けていたもの。意味が分からず、ミーファは困惑する。そんな彼女に、兄は驚愕の真実を告げる。
同母兄妹、のはずだった。
『血筋でいえば、オマエは父こそ皇帝であっても、母は一介のカン族の民でしかない。病没した私の母によく似た女を、嬪と偽って後宮に入れたのだ。コトが皇帝にまで届けば、カン族は失墜する。いや、何よりオマエの母は無事でなど後宮を出させぬわ』
それは脅迫。
無条件に信じていた、兄からの脅し。
だから、ミーファは砂漠を越えた。
兄の求めに応じて、人形として赴くために。
リン・ヤオ皇太子を、暗殺するきっかけをつかむために。
数日後。
エルリック家の一室でもぞもぞと動く影、一つ。
その影が、穏やかに見つめているアレクに声をかける。
「なあ…やっぱり、ダメ?」
「ダメ」
「…だってさ……」
「1,着慣れない、なら着る機会が確実に増えるからいい機会。2,変だから、なら変じゃない。3,恥ずかしい、ならだから余計に。4、靴の具合が、ならオーダーで作ったんでしょ。さて、エドが私に言いたいのは?」
前もって全て言われてしまって、エドは言葉を飲み込んだ。
「…アレクみたいな、軍服がいいって」
アレクは軍礼服を身につけている。普段よりも長い上着はまだボタンもとめていないけれど、アレクは長くのばされた銀の髪をブラシ一本でポニーテールにして、かつて祖父レオナイトに送られたシン国の紺と銀の組紐を簡単に巻き付けた。
「あたしはできあがり。でも、エドはダメでしょ。ロイが困るんじゃない? 行かないのは」
「う 」そのとき、ドアをノックして少将の声が響いた。
「そろそろいいかね?」
「あ、やば」
「は〜い、いいよ」
アレクの返事に、一人パニックに陥るエド。
「ちょっと、アレク」
「いい加減、観念しなさいってば」
入ってきた少将は、アレクのさりげない視線の先にエドを見つける。そして、思わず相好が崩れ始めた。
エドはアレクが用意してくれたマーメイドスタイルのドレスを着ていた。ドレープのたくさん入ったストールをかけてあるのでエドが気にしていた肩口の傷痕も見えない。アクセサリーのほとんどは結婚3年間の中で、エドに何度となく『使わないから、買ってくんな!』とどやされながらも少将がプレゼントしてきたアクセサリーで。
「…参ったな」
「エドワード…」
「ああ、何よりこれがいやなんだよ!」
毒づくエドに、しかし少将は吸い寄せられるように近づいて。
「綺麗だよ」
「……」
「もしもし、お二人さん。時間があんまりないのをお忘れなくね」
「もう、しかたないな!」
ガシガシと歩くエドの後ろ姿と、それに引き寄せられるようについていく少将の後ろ姿を見ながら、アレクは苦笑する。
「姉さん、準備…うわ」
エドとぶつかりそうになったアルはエドの変身ぶりに驚きながら、その後ろをついていく少将の崩れきった顔にも驚く。
「すっご…」
「毎度毎度ながら、こういう席があるって分かってるのにね」
アレクは軍礼服を整えて、アルに問う。
「どう?」
「うん、いつもながら決まってます」
「ありがと。じゃ、子どもたちをお願いね。先行ってます」
お出かけのキスが背後で交わされたことを、姉夫婦は知らない。
大総統主催の、シン国大使一行歓迎パーティが行われることが決まったのはパーティの3日前だった。
将軍、つまり准将以上、機関長クラスの出席が義務づけられ、また既婚者は配偶者を同伴のこと。ドレスコードはもちろん、フォーマルだ。
『無理だ、俺、そういうの持ってない』
ため息混じりに、少将からの電話に告げるエド。そのとき、偶然にも近くにアレクがいて。
軍靴も高くエドに近づき、問答無用で受話器を取り上げた。
「おい、アレク」
「ロイ?」
『アレクか?』
「あのね、アクセサリー指定はなかったでしょ?」
『ああ。手元の書類にはドレスコードしか書かれていない』
アレクはにっこりと微笑みながら、見上げている義姉に、
「じゃあ、できるね」
「は?」
『アレク?』
「こういうこともあるだろうと思って、エドに用意しておいたドレスがあるの。確か、ロイ、エドに怒られながら真珠のネックレスを贈ったって言ってたよね?」
エドよりもロイの方が話を理解した。
『ネックレスだけではない。イヤリングも、ブレスレットもだ。靴はヒールの高いものをオーダーで作らせたものを一度も履いていない』
「色は?」
こちらではようやく話が見え始めたエドが、ぎゃいのぎゃいのと騒いでいるが。
話がまとまったアレクが受話器を置いて、おもむろにのたまった。
「大丈夫、出席できるよ。エド」
「…出席したくないってば」
エドの本音は、無敵の義妹には届かなかった。