Collapsed Family 05
占い、って信じる?
あたしは信じない。
信じてもいいことなんて、あった記憶なんてないから。
うお座のあなたは、恋愛運がいいでしょう。
未年のあなたは、今年一年水難に気を付けて。
……どれくらいの人間が『占いは当たる』って思って、どれくらいの人間が『占いなんて当たるはずないじゃん』と思っているんだろ?
とりあえず、いつも池袋西口公園入り口に、夕方から真夜中まで机と椅子を並べて座っている、手相見のオジサンはニヤッと笑って、
「瑞穂さん。あんた、女難の相が出てる」
「は?」
「オジチャン、瑞穂は女だぜ?」
マコトの言葉に、手相見のオジサンは首を横に振って、でもあたしの手は離さない。
「女でも女難の相って、時々出るんだよ」
「はぁ」
「気をつけな、女に」
「ほう、女難の相ね」
と、不意に横山さんが顔を出した。手相見のオジサンが目をぱちくりさせて、
「おたくも見て欲しいのかい?」
「いや、オレは結構だ」
本日付で、山内瑞穂を、横山探偵事務所の正式な社員として認めます。
手書きの辞令書を受け取って、あたしは仕方なく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いいや、礼はいいよ。名刺は作らないとね」
「……いや、自分で用意しますよ」
大物代議士・朝宮健多郎の孫娘を捜し出したことで、あたしの『探偵見習い』は『探偵』に昇格した。そのお祝いに、横山さんいきつけのバーに連れてきてもらったわけで。
ジャズやクラシックが流れる中で、横山さんに勧められるまま、カクテルを飲んだ……というより、飲み過ぎた。
で、横山さんの誘いにのっちゃった。
「マスター、あそこのピアノ、充分弾けるんでしょ?」
「もちろんですよ。ボクが趣味程度に弾くぐらいなんですけどね」
ヒゲのマスターが、カクテルグラスを慎重に拭きながら言った。
横山さんがニヤッと笑って、
「瑞穂くん。弾いてみたら?」
「おい、瑞穂が弾けるわけないじゃん」
マコトの言葉は……ほとんど聞こえてなかった。気持ちよくなってたあたしは、にこやかに言ったんだ。
「いいよー、ショパンのポロネーズでいいかな?」
「お任せするよ」
「はーい、じゃ、幻想ポロネーズ弾きますー」
で、見事にショパンを弾き上げて。
そのあと、何曲かクラシックを完璧に弾き上げてから、ぐっすりと眠りについたらしい……。
覚えてません。
ごめんなさい。
あたしの名前は、山内瑞穂。
23歳。
本職は、フリーのカメラマン。
内職で、探偵をしてます。
あたしに、お客が現れたのは、ある週末の西口公園だった。
その日、ボンバーヘア兄ちゃんの銅像の下に、同じ顔の兄ちゃんが仁王立ちしてた。
「ひとつっ。G-guardiansは、フクロのチアンとセイケツを守ることっ!」
ボンバーヘアは、昔の話。
今は少しだけ抑えてる。タカシの言葉を繰り返す、同じジャケットを着た兄ちゃんたちは、公園の中でも異様な雰囲気を見せていた。
「ふたっつ。G-guardiansは、フクロのチアンをイジするために、ケーサツにゼンメンキョーリョクすることっ!」
いくつかG-guardiansの規約を声に出して呼んで、タカシはそれから、にっこり笑って、
「じゃ、お仕事始めるナリ!」
……確かに、あたしだよ。タカシにアメリカのスラムで、ずいぶん悪いことしてたストリートギャングが、自分たちが大きくなって、スラムの治安を維持するために、巡回を始めた。これをguardianって呼んでいるって教えたのは。
……フクロで、始めるとは思わなかったなぁ。
西口公園からバラバラと散っていく、背中にG-guardiansと白抜きした黒いジャケットを着たメンバー。全員が姿を消しても、タカシは自分の銅像の下から動かなかった。
「タカシ」
「うっす」
マコトとタカシがハイタッチ。二人なりの挨拶。あたしは口をとがらせて、タカシを見ていた……抗議してるつもりだったんだけど。
「やだな、瑞穂姉さんたら。そんなに見つめたら、穴が開いちゃう」
「はい?」
あたしの話を聞く気はないタカシが、でもあたしの顔を見て、ニヤリと笑ってから、マコトに切り出した。
「最近さぁ、ヤクの値段が下がってるらしいね」
「お、タカシも知ってた?」
「どうでもいいけど、フクロで流すのだけは、勘弁してもらいたいったら」
タカシの深い溜息に、マコトが苦笑する。
「やっぱお前って……」
「?」
「フクロのキングは、お前だな」
週末の西口公園……もとい、マコトの抗議で言い直します、ウエストゲートパークは、一番賑やかな顔を見せる。
ゆずの歌を歌ってるギターの兄ちゃんの隣で、MBXを器用に走らせる小学生、その向こうにはどうやって運んできたのかわからないくらいデカいスピーカー。でも、周りのやつらにメーワクかけない程度の音量なんだから、あんまり意味はない。
そんなスピーカーの前で、10人近いダンサーが踊ってる。
そんな様子をぼんやり見てたんだ。
「おい、ブラックでいいか?」
とマコトが、缶コーヒーを投げて寄越す。
「サンキュ」
「ほい、タカシも」
「あーい」
「ところでさ、最近お前んところの、ジェシーとキャシー、見かけねえけど、どうかしたか?」
「ジェシーは、用事でチェチェンに行ったみたいね。キャシーは、ハワイに行ってくるって行ったまんま、帰ってこないもん」
「……おやぁ? キングが振られたか?」
「いや、別にいいんだけどねぇ」
あっさりしたタカシの口調に、あたしはニヤニヤしながらタカシを見てた。
その時、ふと視界の隅っこに飛び込んできた。
楽しんでる、ワカモノたちの人の流れをかき分けて、進んでくる人影。
かなりの長身、軽い身のこなし、隙間なく着こんだスーツ。
……どっかでみたような。
思わず、視線が釘付け。あたしに話を振ろうとしたマコトもタカシもその時、ようやく気づいた。
「あ? どうした?」
「姉さん?」
「……いつでも、スーツなんだぁ」
「は?」
その壮年の男性は、あたしの前でぴたりと止まって、聞き慣れたセリフを言ったんだ。
「……元気、そうだな」
「まったく……親子の会話の出だしが、いつもこれとはね」
「親子!」
マコト一人が、のけぞって驚いていた。
いつもの週末、いつもない光景が、ウエストゲートパークにあった。
最近は名刺なんか、使う機会が減ったからな。
とぼやきが入りつつ、オヤジは二人に名刺を渡した。
「……えっと、山内政臣さん……」
「マジかい、YMGCの会長さん?」
「やまのうち、まさおみです。やまうちじゃないからね」
こういう奇妙な細かさは相変わらずだ。
「はぁ……」
「で? 何の用なのよ。ここまでやってくるとは、よっぽどの用事なんでしょ?」
待ちきれなくて、あたしから切り出した。
いつだって、そう。
このオヤジ殿は、あたしから切り出すのを待ってる。オヤジどのから、なんらかのアクションを受けた記憶なんて、ないに等しい……待ってるっていうのも、ちょっと違うような気がする。とにかく、放任主義なんだ。
好きなように、すればいい。
いかにも仕立ての良さそうなスーツを、別に見せびらかすカンジでもなく、オヤジ殿はほとんど気にならないようすで、薄汚れた公園のタイルの上に、どっかりと座り込んだ。マコトが嫌そうな顔をする。
「えっと……汚れますよ」
「いいんだよ」
「じゃなくて、周りが嫌なのよ。せめてハンカチでもひけば?」
細かいようで、実は大雑把。名前はこだわるけど、細かくないところだってたくさんある。そんな性格なんて、身近な人間しか気づかない。
白い絹のハンカチを敷いて、その上にオヤジ殿は座り直した……絹のハンカチはどうなるんだよ。
「話があって、来たんだが」
「でしょうね。忙しいオヤジ殿が、ヒマもてあましているようなあたしのこと、追っかけたりしないだろうから」
「ほう? 追っかけるとは?」
今にも笑い出しそうな、オヤジ殿の横顔を見るのも嫌で、あたしは下を向いたまま、
「昨日から、フクロの中でYMGCのバッチつけた若い兄ちゃんを何人も見かけるから。オヤジ殿がここであたしがいるのを確信しているみたいに、歩いてきたから」
「……さすが。最近探偵をしているって聞いたが。少しは、ものになっているようだな」
「……で、何よ。用事は」
「ああ、紗江子のことだ」
「あのさ……」
マコトが申し訳なさそうに、声を上げた。あたしとオヤジ殿、同時に顔を上げる……多分、そっくりな表情で。
「親子の話なら、俺たち、席外すけど」
「構わない。つーか、オヤジ殿がここまで話を持ってきたってことは、話が二人に伝わることを前提で話をするってことなんだから」
「お? 少しは勘が良くなったな」
「……いいのか?」
タカシはあたしに確認を取ってる。あたしは大きく頷いて、
「あたしも気になることがあって。それも、このフクロでのことだから」
「……分かった」
「気になることっていうのは、松本組か」
というのは、オヤジ殿。あたしはもう一度頷いて、
「どっかで見た顔が、ここ何日か、そうだね……YMGCのメンバーより先遣されてるカンジだったけど」
「松本組って言ったら、関西だろうが。関西がこっちまで手を伸ばしてるって?」
タカシの銅像の前で、あたしとオヤジ殿は情報交換をした。
一人訳がわかんない、というかタカシもあんまり分かってなかったんだけど、一番分かんなかったマコトにわかりやすいように説明すると、だいたいこんなカンジになる。
あたしの母親、名前を山内紗江子と言います。
京都の元華族で、遡れば天皇家につながるって、自慢しているようなそんな旧家、東四条家のお嬢様。理由があって、オヤジ殿と結婚した。
で、あたしを生んだわけだけど。
この紗江子お嬢様の一番下の妹、友紀子叔母がちょっとした『問題児』だった……関西一円を取り仕切る松本組の若頭で、末は組を嗣ぐっていう、男と駆け落ち同然で結婚した……東四条家は勘当したんだけど、既に社長夫人になってた、一番上のお姉さん、紗江子さんだけが、友紀子叔母を庇った。
やくざの世界は、義理の世界。
だから、松本組5代目になった友紀子叔母の旦那と、友紀子叔母は、未だにあたしの母親に頭が上がらなくて。
「お前に、見合いの話が出てる」
「……どうせ、どっかの元華族か、幕臣か、大名の末裔ってヤツでしょ」
「ああ、北一条家の三男らしいな。紗江子の話だと」
こーんなに『親の思う』路から外れた娘でも、違うな、娘だからこそ、名家に片づけてしまえば、そこで子供なんか産まれて普通に生活していければ、『汚点』は消せる。
あたしの母親は、そう思ってるんだ。
……だから、何がなんでも、というより、誘拐まがいのことをしてでも、京都に連れ戻そうとしてるんだ。
「で? 帰るか? 帰るなら、一緒の便がいいだろうが」
「まさか」
あたしは、きっぱり断言した。オヤジ殿はそれを当然のように受け入れて、
「というと思ったから、紗江子にも言ったんだがな……あいつは、聞く耳持たんからな」
ま、伝えたからな。
で、オヤジ殿はあっさりと引き上げていった。雅紹が心配していたぞ、連絡してやれ。と言葉を残して。
来たときのように、背筋をのばしてスタスタと去っていくオヤジ殿の背中を見て、あたしは小さく呟いた。
「ま……昔より、話してくるようになった……かな」
「会話、なかったんかい」
「そ。ちょっといろいろあってから、ようやく親子らしく会話するようになったかな」
「……今のが、親子の会話か? 誘拐つーのが?」
マコトのぼやきを、あたしは苦笑で受け流した。
雅にいへ。
お元気ですか。
ごめんね、しばらくメールもしてなかったね。こっちは元気だよ。先週、出版社に池袋の自然ってテーマで撮り貯めた写真を持ち込んだけど、今度写真集というか、エッセイみたいなので、出版されることが決まりました(ブイサイン)。
また送るから、見てね。
今日、父さんが来ました……母さんがあたしのことで、友紀子叔母さまに何か頼んだのかもしれないって、言ってました。多分、だけど、お見合いであたしを片づけたいんじゃないかって。仕方ないとは思うけど、そういうカタチで結婚するなんて、あたしは考えられない。もしかしたら、母さんがまたあたしのことを嫌いになるようなことをしてしまうかもしれないけど、あたしはそういうことでしか、意思表示が出来ない、かわいそうな人間です。
って、愚痴を言ってしまいました。
また、メールします。
それでは、お休みなさい。
メールを送った次の夜、返事が来ていた。
瑞穂へ。
元気そうで、安心しました。写真集、期待して待ってます。瑞穂のことだから、良い写真を撮ってるんだろうな。
父さんから、だいたいの話は聞いています。瑞穂はかわいそうな人間なんかじゃないよ。瑞穂は、素直で真っ直ぐ、正直者なだけなんだけど、母さんとは根本的に違うんだよ。でも、それは不幸なことじゃないと、ボクは思うよ。むしろ、幸せな人間だよ……瑞穂がうらやましいな……いろんな意味で。
来月、東京に行きます。
その時にでも、会いましょう。
聞いて欲しいことがあるから。
ではまた。
あたしには、兄が二人いる。
雅紹は、2歳上の兄だ。
生まれた時から、極度の難聴で、1歳の時にはもう何も聞こえなかった。声帯には問題ないけれど、音を聞き取ることが出来ないから、話すことにも不自由する。
だけど、あたしの知ってる誰よりも、賢かった。
今は京都大学の大学院にいる。
文化人類学って、あたしには見当もつかないような勉強をしてるんだ。
雅にいとあたしは、兄妹のなかで一番仲がいい。
……瑞穂はかわいそうな人間じゃないよ。
語ることのない、雅にいの声を聞いたような気がして、あたしは思わずにっこり笑ってしまった。
「聞いてきた」
いつも通りの夜中のデニーズ。
マコトの電話で呼び出されて、あたしはコーヒー一杯で粘って、マコトが来るのを待っていた。テーブル3つ向こうで、和範くんが相変わらずパソコンをいじってる。時々ニヤニヤ笑ってるのが、見える……なにやってんだか。
どっしりと座りこんで、マコトは深い溜息をついた。
「なにを」
「何をって、羽沢組によ」
羽沢組というのは、池袋一帯を取り仕切ってるやくざだ。とはいっても、クスリを扱わないことを信条としている、どっちかというと、昔気質のやくざ。前になんか事件を解決してあげたらしくて、マコトは羽沢組に顔が利く。
「だから、何をって」
「ああ、松本組が出っ張ってくるって、話よ」
「なんだ、そういう話なわけ?」
「……つーか、ぶっちゃけた話。かなりやばいらしい」
「やばいっていうのは、松本?」
「瑞穂さぁ、ちょっと前にフクロで流行った、クスリ覚えてるか?」
「ファルコンだったけ?」
「……羽沢の話だと、あれな。松本が資金調達で一時的に売り出したらしい」
「ホントに?」
「ああ……それで資金を作って」
「フクロの内定調査をしてたわけだ……」
気づかなかった。
言い訳すると、『朝宮一家』に振り回されて。
「困ったなぁ、内輪もめがこんなに広がるなんて」
「……内輪もめ、じゃあすまないレベルだな」