Collapsed Family 06
……なりふり構わずって、カンジがしてきた。
思わず、頭痛。
「あー、頭痛いったら」
「……それが、瑞穂。話に続きがあるんだけどな」
「?」
テーブルにつんのめったあたしは、マコトの声に顔だけ上げた。
「なに?」
「その、ファルコンな。最近、供給ラインが安定しはじめたらしい。結構品質がいいし、意外に『安全』らしくってな……人気急上昇って」
あたしの中で何かがつながった。
母親の、見合いの話。
松本組。
安定したファルコンの供給。
……一つしかないわなぁ……。
「フクロに進出してくるつもりか? 松本組は」
「そうみたいね。なんとも、わかりやすいっていうかなんて言うか……」
「ま、瑞穂の周りにゲンテーしてなら、わかりやすいけどな」
友紀子叔母。
姿形は違うけど、性格は母親とよく似てる。
自分の都合の悪いことは、一切見ない、聞かない、言わない……つうか、意識の外に追い出す。
松本組の5代目は、どっちかというと、やくざのトップってカンジじゃない。田舎の商店街にいる、売れない洋装店の店主ってカンジの人。たぶんだけど、友紀子叔母に丸め込まれたんだ。
実質、松本組のトップは友紀子叔母だから。
……だけど、なんで?
「ね、マコト」
考え込んでいたあたしの言葉に、マコトは驚いたように顔を上げた。
「あ?」
「例え話なんだけどさ」
「……たられば話は、嫌いじゃなかったけ?」
ああしておけば、こうなってたら。
あたしは、そういう話、ホントは嫌い。
そんななりもしなかった過去の話をしたって、何にもならないから。
今度はちょっと違う。
「嫌いだけど、意見を聞かせて欲しいわけ」
「いけん、ね」
「うん。もしね。タカシの会社が」
「G-boysか?」
「そう。それが大きくなったとしよう」
ウェイトレスのお姉ちゃんが、二人のコップに水を注いでいく。
「関西まで進出って、あるかな?」
「そりゃあな」
「でもさ」
あたしは頬杖をついて、まるで独り言のように呟いた。
「最終的な責任者としての名前は残るよ、もちろん。でもね、実質的な指導者にはなれないじゃん」
「……会長はできるけど、社長は無理ってことか?」
「うん、そういうこと」
その時、さっきまで3つ向こうのテーブルでにやけていた和範くんが、気づくと目の前に立っていた。
「お、和範」
マコトは全然気づいてなかったみたい。
「ごめん、聞こえちゃった」
「いや、構わねぇけど?」
「瑞穂さん、さっきの話だけど」
「?」
「今は、どこもオンラインの世界だよ。マクドナルドが全世界チェーン出来るのも、ローソンが品質を一定水準に保てるのも、そういう情報網の構築のおかげだよ」
「……そうだね」
「ぶっちゃけ話、瑞穂、何考えてんだ?」
そういう例え話じゃ、頭の悪いオレじゃ分かんねえよ。マコトの言葉に、あたしは考え込んで、
「松本組の、こと」
「あ?」
「羽沢組のあるフクロに来て、ファルコンを売りさばいて、一体何のメリットが松本組にあるんだろ?」
「あ?」
マコトが何か言おうとした時、でもあたしの携帯が賑やかにメールの着信を告げた。
仕方なく見る。思わず、声が出た。
「嘘!」
「あ?」
少し早くなったけど、今日東京に出てきました。
一週間ぐらいはいると思います。
ホテルは父さんが使っているところです。また、連絡します。
雅紹。
「誰?」
「すぐ上の兄ちゃん。東京に来るのは来月のはずだったんじゃなかったかな?」
「いや、オレに聞かれても」
その時、またメールの着信。
続きです。
話したいことがあるので、今夜会えませんか?
あたしに拒む理由なんてなかった。
あたしには、兄が二人いる。
そう、それは先に言ったよね。
一番上は尚彬。あたしは、尚にいって呼んでる。オヤジ殿のあとを嗣ぐって、今はアメリカの警備保障会社で働いているから、めったに会えない。
その分、というか、一番仲のいい雅紹、雅にいとは結構会う回数は多いかも。
メールでのやりとり(あ、尚にいとも結構やってるけど)は一週間に一回は必ずあるし。でも、よく考えたら、フクロの撮影を始めてからは、一度も会ってない。
久しぶりに、会う。
でも、なんだか引っかかるものがあった。
「この前はオヤジ殿で、今日は雅にい? ちょっと家族に会う回数多いかな?」
普通じゃないから、我が家は。
ホテルの最上階に、オヤジ殿が年間契約しているスウィートルームがある。
警備会社ということもあるし、耳が聞こえない雅にいのために、オヤジ殿はSPをいつも二人雅にいにつけてある。
スウィートルームの玄関に、SPが立っていた。
片っ方は見慣れた顔。もう何年も雅にいのSPやってる人。
名前は確か……。三谷原さん。あたしは三谷原さんの顔を見て、にっこり笑った。三谷原さんも笑い返して頭を下げた。
一応挨拶は完了。
さて、玄関を三谷原さんに開けてもらおうとした時。
「身分証明を見せてください」
思いもしなかった言葉に、あたしは思わず目をぱちくりする。
言ったのは、見慣れないもう一人のSP。若い。あたしより年下かも。でも、そんな年齢でも、オヤジ殿が雅にいにつけたくらいだから、きっとSPとして優れているんだろうけど……対象者の家族構成くらいは頭に入れるべきじゃないかな。
「失礼ですが」
と、若いそのSPは繰り返す。身長はマコトよりも低いかな。タカシくらいか……そんなことを考えていると、SPが一歩前に出た。
「身分証……」
「高沼!」
三谷原さんのきつい、一声。それを横目で見て、高沼と呼ばれた若いSPは言う。
「見せてください」
「いいわよ、免許証でいいかな?」
つかみかかろうとする三谷原さんを手で制して、あたしはバッグから免許証を見せる。ざっと見て、高沼くんは……普通なら、名前を見て、わかったなり態度をがらっと変えるのに……表情一つ変えず、免許証を返して。
「刃物をお持ちですか? よろしければ、バッグの中を拝見したいんですが」
……なんか、気に入った。
とことんつきあってやろう。
そんな気分になって、高沼くんをにらんでいる三谷原さんにいたずらっぽく笑いかけて、あたしはバッグを渡す。
「お好きに」
結局、フィルム用にいつでも入れてあるはさみとカッターをお帰りになる時までお預かりします、と高沼くんが言ったことで、とうとう三谷原さんがキれた。
「高沼!」
「なにか?」
「お前、分かってるのか! こちらの方は、雅紹さんの妹さんだぞ」
「分かってますよ。免許証の名前が偽造でないなら、そういうことですよね」
「きさま」
「三谷原さん」
あたしは相変わらずニヤニヤと笑いながら、沸騰中の三谷原さんと、涼しい顔の高沼くんの間に入る。
「高沼くんのしていることは、正しいよ。うん、ちゃんとセオリー踏んでる」
胸を張る、高沼くん。小さくなる三谷原さん。
「でもね。
三谷原さんも間違ってない。雅にいに危害を加えるような人間はリストアップされているでしょ。それにあたしは入っているのかな? でないなら、最小限のチェックでいいはずでしょ?」
立場が完全に逆転した。ふんぞり返ってる三谷原さん。ついでにもう一つ。
「ついでに言うならね、高沼くん」
「……はい」
「あたし、空手歴長いんだ。で、耳の聞こえない雅にいに危害を加えるとしたら、はさみとかカッターじゃなくても、出来るんじゃないかな?」
「……はい」
小さくなっていた高沼くんから、はさみやらカッターを取り返して、
「でもね、君が名前だけで判断しようとしなかったことは、とても大事なことだよ。雅にいをよろしくね」
玄関を開けると、そこには犬が二頭、座っていた。
黒いラブラドール・レトリバーと、茶色のレオンベルガー。
「テオ、ガイ」
ぴかぴかに輝くタイルの廊下を、長い尻尾で掃除できるぐらい、二匹は尻尾を振ってる。嬉しいんだね、久しぶりに会ったから。レトリバーのテオドリックが廊下の奥に駆け込んでいく。レオンベルガーのガイセリックはあたしの横をついて歩いている。スキップでもしそうなぐらい、嬉しそうに。
「うおん」
テオドリックの声に、もう一匹登場。
テオやガイに比べると子供のようにちっちゃい、スタンダード・シュナイツァー。
「ジーク、元気だった?」
短い尻尾を必死で動かして、あたしを見ていたジークこと、ジークフリードは、でもすぐにUターンして、『ご主人様』を迎えに行った。
向かうは、リビング。
ジークについて、リビングに向かうと、そこには普通スウィートルームにはない光景が広がってる。
4台のパソコン。山内家が使う時には、専門の業者が来て、セッティングしてくれる。もっとも、あたしは使ったことなんてない。大体使うのはオヤジ殿と、雅にいだけ。
パソコンに埋もれるように座っている『ご主人様』の足に、ジークは前足を触れさせる。『ご主人様』は足下のジークを確認して、ようやく視界の隅に入った、あたしを見つける。
にっこりと笑って、『ご主人様』、雅にいは両手を動かした。
【いらっしゃい、適当に座って。紅茶でいいかい?】
耳の聞こえない雅にいとの会話は、大抵手話だ。生まれた時から雅にいが側にいたから、あたしは手話を完全にマスターしている。前にフクロで困ってたお兄さんがいた。一生懸命手話で訴えているけど、誰もが分かんない。だから、相手との会話をしばらく通訳してあげた。タカシに、
『すっげ、ボランティアなんか出来そう』
なんて言われたけど……無理だろうね。
聴導犬、って知ってる?
盲導犬はみんな知ってるけど、聴導犬って言うと、みんな首を傾げる。
耳の不自由な人の生活を手伝う犬って説明しても、やっぱりピンと来ないみたい。人によっては、何を手伝うのって聞いてくる。
例えば、お客さんが来て玄関で『こんにちは、いらっしゃいますか』って声をかけても、耳が聞こえない人はいたとしても、分かんない。
お湯を沸かそうとしても、ケトルの音に気づかない。
電話? もちろん分かんない。
最近はいろんなものに、バイブ機能とか、光の点滅とか、機能がついているけど、でも前に雅にいが言ってた。
【耳が聞こえない世界って、想像したことがある? ボクはいつも一人のような錯覚を起こすことがあるよ。でも、ジークがいるおかげで、ボクは普通の人として生活できるんだよ】
そう、聴導犬は生活の援助をするだけじゃない。
いきものが側にいる。
それが大事なんだ。
ジークが来たのは、もう8年前。それからしばらくして、聴導犬の訓練をはじめて、アメリカで聴導犬として認定された。日本ではそういうシステムがまだなかったから。今でも充分じゃ、ないけど。
そのあと、ジークの弟子として、テオとガイが来た。
だから、身体は一番小さくても、3頭のリーダーはジークなんだ。
今はおとなしく3頭とも、雅にいの足下で眠っている……かな?
【強くなったね】
雅にいの両手が語る。
「?」
【前の瑞穂だったら、すっごく落ち込んでる。気にしてたんだ……大丈夫かなって。だから、話があるってメールに書いたんだよ】
ようやく分かった。あたしは口に出しながら、手話で返す。
「なに? もしかして予定より早く来たのは、あたしを心配したからなの?」
【そうだね】
「雅にい、あたし、もう23歳だよ。16歳とは違うよ?」
【……ごめん】
少し反省。そんなカンジの雅にいに、でもあたしは笑顔で応える。
「大丈夫だからね」
【そっか】
「うん」
【……友紀子叔母さんが、瑞穂になにかしようとしてるって?】
「ああ、父さんに聞いたの? そうなの。まだ予想でしかないんだけどね」
【大体のことは、父さんに聞いたよ。で? なにかアプローチはあった?】
「なぁーんにも」
その夜は、スウィートルームに泊まった。
スウィートと言うだけあって、寝室が3つもあるから、あたしはゲスト・ベッドルームの方で、ベッドに入ってきたテオを抱いて寝た。
でも……眠れなかったんだ。
思い出して。
いろんな……辛いことを思い出して。
山内家は、壊れてる。
家族として構成されている、なんて一回も思ったこと、なかった。
少なくとも尚にいと雅にいと、それからあたし。その3人兄弟は、『血のつながりとか別にしても』、確かに兄弟だった。
3人と、1人と、1人。
そんなカンジだった。
……個別の単位を、家族っていう単位にまとめようっていうのが、無理な話だったんだ。
あたしの部屋に置いてある、写真。
8歳の、あたし。
29歳の、母さん。
35歳の、父さん。
多分何も知らない人なら、家族写真って言うかなって写真。
でも……違うんだ。
あの写真を撮ったあとから、山内家は見えない崩壊から、目に見えた崩壊を始めたんだ。
今じゃ……欠片も、ない。
夢を見た。
さっきまで考え事してたせいかな、思い出したくもない、『過去』だった。
怒ってる、尚にい。
尚にいを宥めようと必死な、母さん。
でも、呆然としているあたしの方をちらちらっと、敵でも見るような視線を送ってる。
倒れそうなあたしの肩を、しっかりと抱いているのは、雅にい。無言のまま、雅にいの手から、
【大丈夫だから、ボクと尚にいが守ってあげるから】
そう聞こえてくるような、気がした。
尚にいが、言った。
「母さんは、間違ってる! 瑞穂が正しいんじゃないか! なんなら、ラジオとかテレビとかで言ってしまえばいいんだ! どっちが正しいか、誰だって応えるよ。父さんと、瑞穂が正しいって!」
「尚彬……母さんを苦しめないで」
「自分でそうなったんだよ! そんなことを、僕らの中に持ち込むな! 母親としても、人間としても、失格だよ!」
尚にいは、12歳。
雅にいは、11歳。
それから、あたしは9歳。
そう、たった9歳で、崩壊していた家族を見たんだ。
しばらく、こっちにいるからね。
早めに来すぎたし。
照れ笑いをしていた雅にいを残して、あたしは撮影のために、フクロに戻ってきた。時々、というより2日に一度は夕食と泊まりに雅にいのホテルに向かう。
松本組からも、母親からも、なんのアプローチもないまま、1週間が過ぎた。
フクロが一番混み始めるのは、夕暮れ時。
溢れた人波は、信号が青に変わると、一気に流れ出す。
その歩き出す瞬間を納めようと、あたしは信号のぎりぎり前でカメラを構えていた。
そんな時、着メロの『抱きしめたい』が流れ始めたんだ。
それは、戦闘開始のファンファーレだった。
『オレ、タカシ』
「うん、どうした?」
『G-guardiansから連絡あってさ。昼過ぎぐらいから、フクロでキキコミ、始まってるみたいだけど』
「……なんて?」
『瑞穂ねえさんの写真を見せて、このあたりで写真撮ってる』
変だ。
あまりにも、ストレートすぎる。
……それも、タカシにすぐ連絡が行くってことは、キキコミかけられた人間は『ただ聞かれただけ』ってことになる。
まるで……素人。
素人?
あたしは閃いた。そう、そんなことをするのは、1人しか思いつかない。
「タカシ、それって中年の背の高いオジサンが1人でしてる?」
『よく分かったな、姉さん。そうだよ。何人かから報告入ってるけど、どれもおんなじカンジだよ』
「……タカシ、お願いがあるんだけど」
『あいよー、なんなりと』