Collapsed Family 07
日は落ちて。
公園の外灯が一斉に点灯する。ウエストゲートパークも少しずつ賑やかさを増やしていく。
「お? 瑞穂、今日は写真、撮らねえのか?」
特にすることがないと、いつだってウエストゲートパークでうろついてる、マコトがタカシの立像の下でぼんやり座っているあたしに声をかけた。
「まあね……」
「みっずほ、姉さん」
続いて現れた、タカシ。珍しく髪の毛が立ってる。マコトが言うと、
「寝癖♪」
さいですか。
「あのあとねぇ、違うメンバーにキキコミ入ってねぇ。ちゃんと伝えておいたんだけどね」
「何の話だ?」
マコトの言葉に、タカシがわざとらしくパフォーマンスをして、
「あっれー、まっこちゃん、聞いてなかったの?」
「……何の話?」
マコトが少し苛立ちながら、あたしに話を振る。あたしは溜息をつきながら、
「G-guardiansにあたしのこと、キキコミかけてる中年のオジサンがいてね。なんとなく、思い当たるから、ウエストゲートパークに来ればあたしに会えるってG-guardiansに言ってって伝えておいたの」
「情報振ったってか?……大丈夫なのか?」
「大丈夫でーす!」
答えを返したのは、タカシだった。あちらこちらに視線を動かして、
「G-guardians、あっちこっちに散らしてあるし。ボクもここにいるなり……まこちゃんもね」
まさしく。
そんなとき。
視界に入ったのは、見た顔。
その年齢にしたら、かなりの長身になるのかな。
この前のオヤジ殿とは違う。
オヤジ殿は、胸を張って、真っ直ぐに歩いてきた。でも、今度のオジサンは、なんだかおどおどしながら、周りに視線を泳がせて、まだ、あたしたちに気づいてない。
すーっと、あたしの目が細くなったのに、マコトが気づいて。
「おい、どれだよ」
「……中年のオジサン、そこに背高いのがいるでしょ。
さっきからあっちこっち見回してるやつ」
「あいつか……」
「手、出さないでね。あのオジサンだったら、害はないから」
その時、ようやくオジサンはあたしに気づいた。それから少しだけ怯む。そりゃそうでしょ、3人が3人、背が高いし、さっきからずっと見てるんだから。あたしは小さく溜息をついて、ディバックから眼鏡を出した。タカシが不思議そうに、
「おりょ、眼鏡? 仕事の時しかかけないんじゃないの?」
「……仕事と思わなきゃ、やってられないわよ」
足取りも重く、背の高いオジサンはあたしの前に来て、
「お久しぶり、瑞穂くん」
「今日一日、ずいぶん探し回ったみたいですね。松本組に頼めば早かったんじゃないですか?」
「……そうかな」
「で、何かご用ですか?」
三浦、直正。
それがこのオジサンの名前。
背が高いとは言っても、あたしよりちょい低い。若い頃はずいぶんもてたのかな? っていうくらいの、顔。
……ちょっとだけ、尚にいや雅にいに似ている。
仕方ないか。
「三浦です」
律儀そうに、タカシとマコトに頭を下げた。マコトは困ったように『はぁ』と頭を下げ返す。
「こっちが、安藤タカシ。でかい方が真島マコト。で、自己紹介は終わったでしょ。さっさと用件に入りましょ。松本組を通さないで、私に会いに来たってことは、『あの人』は知らないわけですね」
さくさくと、まるで暗記した文章を読むように、あたしは出来るだけ感情を出さないように、言葉を紡いだ。三浦のオジサンは思いもしなかった口調に最初びっくりしたようで、でもなんとか立ち直って、
「……お願いに来たんだ」
「というと? ああ、私に北一条家の三男と結婚してほしい、と? そうすれば『あの人』はなんの憂いもなく、あなたと一緒にいることが出来るんですね」
「……『あの人』って、君のお母さんだよ」
「遺伝子的、生物学的に言うなら、まあ、そうですね」
表情を変えないあたしの顔、それからタカシとマコトの顔を順々に見て、次の言葉を探している三浦のオジサンに、あたしが言う。
「今更ですけど、二人は私の友人です。口外することはありませんよ。
話が漏洩するとすれば、私側ではないでしょうね」
「……瑞穂くん」
「話は、それだけですか」
眼鏡の向こうで、おどおどとした表情で、三浦のオジサンが見ている。心底うんざりして、
「それだけですか」
「……病気、なんだよ」
「誰が、ですか?」
「……紗江子さんが」
「そうですか。お大事にと伝えてください……ああ、伝えなくてもいいですよ。かえって病状悪化するでしょうから」
もう、いい。
これ以上話をしても、無駄だ。
あたしは自分の中で結論づけて、マコトとタカシの背中を軽く叩いた。二人が同時にあたしの顔を見る。それを確認して、あたしは三浦のオジサンに背中を向けた。
「病気なら、なおさら側にいてあげた方がいいんじゃないですか?」
「……今、横須賀のサナトリウムにいるんだよ……政臣さんには知らせてない」
サナトリウム。
ということは、医学的治療ではもう治せないってこと。
「知らせるべきでしょうね。父なら、なんとでもしてくれるでしょう。私には、何も関係のないことでしょう? それともなんですか? 私に最期を看取れとでも? それは私より、『あの人』が赦さないでしょう?」
背中を向けたまま、あたしは一言言った。
「なるべくして、なったんでしょうね。これは、天罰ですよ」
「瑞穂くん!」
「お伝えください、あの人に。私が喜んでいたと。あなたの不幸は、私の喜び。祝杯を挙げて差し上げましょうと」
「ずーっと昔の話になるんだけど」
あたしの話に、二人は身を乗り出して聞く。
そう、ずっと昔の話。
いいところの温室育ちのお嬢様、東四条紗江子、15歳。
普通の家庭で育った数学者で家庭教師、三浦直正、25歳。
もとは、普通の教え子とカテキョ。でも、お嬢様の片思いに引きずり込まれて、三浦セイネンは逃げられなくなった。
東四条の親は、もちろん黙ってなかった。何とかして引き離そうとした……けど、紗江子お嬢様は離れなかった。その上、18歳になった時、妊娠したことを嬉しそうに、家族の前で宣言したんだ。
当たり前だけど、昔の話だから、赦されるはずもない。親は……つまり、あたしのじいちゃんは大反対。堕ろせまで言ったらしい。
ちょうどそのころ、見合いの話があったんだよね、紗江子お嬢様に。
紗江子お嬢様はもちろん、断った。でも、家族は勧めたのよ、その話を。
なぜかって?
当時、急成長してた警備会社の2代目社長で、まだ24歳って若かったし、何より紗江子お嬢様とカテキョのスキャンダルを知ってて、嫁に来ないかって言ったんだよ。
そう、それがオヤジ殿、山内政臣。
紗江子お嬢は断り続けた。その上、ままごとの駆け落ちみたいなことをしでかして、でも、カテキョの部屋の古さに我慢できなくて、逃げ帰ったのよ。
そんな時、オヤジ殿は変な条件を出したのよ。
自分と結婚しても、カテキョとつきあってもいい。自分の財産を好きなように使ってもいい。カテキョとの子供は、自分が認知するって。
「……なんだよ、それー」
「結局ね」
マコトのあきれかえった口調に、あたしは苦笑しながら続ける。
結局ね、山内家は『はく』をつけたかったんだって。
オヤジ殿の父さんは、ハダカイッカンで会社を大きくした。だから、上流階級には『ナリアガリモノ』ってバカにされつづけた。それはオヤジ殿の時代になっても同じ。上流階級とつきあえば、企業としてのグレードも上がる。そのために一番手っ取り早いのは、『いいところのお嬢様』だった。
……もっとも、『ナリアガリモノ』のオヤジ殿に嫁に来てくれるお嬢様なんていなかった。で、スキャンダルで話題になっていた紗江子お嬢様の所に話が行ったんだ。
紗江子お嬢様は最初はいやがったんだけど、結局結婚した。
その年の暮れに生まれたのは、間違いなくカテキョ三浦直正の子供。
……あたしの一番上の兄、尚彬だ。
続いて生まれた、雅紹、雅にいもそう。
「……じゃ、瑞穂も?」
「あたしは……違うんだ。あたしは、間違いなくオヤジ殿の子供」
「は?」
「なんじゃそりゃ」
「……紗江子お嬢様のお話によると、オヤジ殿が紗江子お嬢様をレイプして、出来ちゃった、『いらない子』」
「なんだ、って?」
ホントは違う。
レイプとまではいかなくても、同意の上じゃなかったかもしれない。
少なくとも紗江子お嬢様はそう思ってる。
尚にいも雅にいも、紗江子お嬢とカテキョの三浦のオジサンには似てるけど、当然ながらオヤジ殿には似てない。だから、口から生まれたような『良い血筋の』おばちゃんたちは噂した。
『ご存じ? 山内の奥様、不倫されているんじゃなくて?』
『あら、やはりそうでしたの? だってお子さまは、山内社長に全然似てらっしゃらないもの』
『山内の奥様といつもいらっしゃる男の方、ご存じ? あの方の面影、お子さんたちに見えるとお思いになりませんこと?』
実際そうだったけれど、紗江子お嬢様は焦った。もし、これをオヤジ殿が認めてしまえば、紗江子お嬢様の居場所は山内家にも東四条家にもなくなる。2人の子供はオヤジ殿が見てくれるからいいけど、三浦のオジサンと二人、どうやって生きていけばいい?
もちろん、その噂はオヤジ殿にまで届いた。
追い出さないで欲しいと渋々頭を下げた紗江子お嬢様に、オヤジ殿はあっさりと言った。
『なら、オレに似ている子を生めばいい』
そのあとの二人がどうなったのか、あたしは知らない。
とにかく8ヶ月後に、あたしは生まれた。
紗江子お嬢様によると、『生みたくなかった子』だった。
「『あの人』はね、多分あたしを憎み続けることで、精神の安定を保とうとしてるんだよ……したくないことを強要されつづけるってことは、精神的にダメージを受けるからね」
「……あっさり言うなぁ」
「だって、そうでも思わなきゃ、やってられないから」
あたしの言葉に、マコトは言葉を飲み込んで、
「……苦労、したんだな」
「そりゃね。それを知ったのが、9歳の時。父親が違うけど、2人の兄はとーっても、あたしに優しくて。どっちかというと、おかしくなった『あの人』から、あたしを必死に守ってくれた。でも、あたし……辛かったからだね、登校拒否になった」
自分が、『愛されてない』って気づいたのは、結構早かった。
バイオリン発表会で一等賞をもらっても、テストで100点取っても、尚にいと雅にいはにこにこしてくれるのに(オヤジ殿は別問題)、『あの人』はあたしを見ることすらなかった。
だから、学校に行くのが辛くなった。
卒業式に出ないまま、小学校を卒業した。
エスカレータ式の坊ちゃん嬢ちゃん学校だから、なんとしてでも学校に籍は置いてくれる。もちろん中学校の入学式も出てない。
中学3年間で学校に行ったのは、4回。自分の教室がどこにあるのかすら、知らなかった。
高校もそうして入学した。
だけど、勉強が嫌になったわけじゃなかった。
2人の兄が、オヤジ殿に提案したんだ。
学校に行かなくても、好きなことをさせてやればいい。
だから、英語もフランス語も、ヨーロッパの言語は大抵しゃべれるし、空手もあの時、始めたんだ。
高校一年の時。
会話もほとんどなかった『あの人』が、あたしに向かって、
「……学校は?」
「行ってない」
「……行きなさい」
なかば引きずられるようにして、学校に行った。
……あんまり、覚えていないのが、ホント。
あたしのクラスって所に、引きずり込まれて。同じ制服に囲まれて。
一時限目は何とかクリア。
休憩時間も、群れてくる制服の集団を無視しきった。
2時限目、多分親切なんだろうけど、どう考えてもお節介としか思えない1人に体育だと教えられて、体育館に行った。仁王立ちしてた体育教師が、あたしのことをなんだかんだと絡んできたことは覚えてる。根性入れ直したるっとか言ってたのも、覚えている。
次に覚えてるのはあたしの左の拳が、血に染まっていたことと、体操服集団の悲鳴だけ。足下には白目を剥いて血まみれの体育教師が、横たわってた。
『タイメン』を気にした学校は、事件を結局揉み消した。あたしの依願退学と、体育教師の昇格をプラスして。
こうなって初めて。はじめてオヤジ殿はオヤジらしいことをした。
『なあ、瑞穂。何かしたいこと、ないのか?』
『……写真』
『?』
『写真を、したい』
結局、東京の芸術専門学校に入り、卒業した。
今じゃ、オヤジ殿の援助も受けてない。専門学校を卒業した時に、援助はうち切られた。もう、1人で生きていけるだろうって。無責任に突然現れて、あたしの人生をかき混ぜていくもう1人の『親』とは正反対。
オヤジ殿は最後の最後で、親らしいことをしたんだ。
……ちょっとだけだけどね。
「お帰りなさい」
軽く頭を下げてくれる、三谷原さんと高沼くん。
さすがにボディ・チェックはなくなった。三谷原さんが笑顔で玄関を開けてくれる。そして、
「今日は、尚彬さんもいらっしゃってますよ」
「え? 尚にい? ……あれ?」
「シリコンバレーから帰ってらしたみたいです」
玄関先で出迎えるのは、いつもと同じテオとガイ。先導してくれるのも、リビングに誰かいるのも、同じ。でも人数が増えていた。
「おー、我らが姫君の登場だね」
時代がかったセリフと同時に、いきなり抱きしめられた。ほんわりと、パルファムが香る。
「ちょっ、尚にい」
「うーん、相変わらずちっこいねぇ」
つーか、あたし170p越えてるんだけど。190pの尚にいが成長しすぎだって。
雅にいが声を上げずに笑ってる。あたしは思わず抱きつく尚にいの向こうずねを蹴り上げた。
「も、いいっちゅうねん!」
「おっとっと」
素早く離れて、あたしの足は空振り。尚にいは指を振って見せて、
「まだまだ甘いね、姫君」
「尚にい、ジェスチャーがアメリカナイズされてない?」
「どうかな?」
尚にいは、美形だ。
190p、80s。スタイルもいいし、こう見えて京都大学出身だし、中途入学でICU、国際基督教大学に行っていた。あたしより3歳上だから、26歳。顔もいいし、もてる……だけど、本人はいやがるんだよねぇ。
なぜかというと……。
「女で抱きしめられるのは、瑞穂だけ!」
それが自慢……らしい……。
だからといって、ゲイってことじゃない。あたしの知ってるだけで4人ぐらいとつきあったことがあるし、ということはやっぱりゲイじゃないと思う。基本的に女性不信なんだ……ま、原因は分かっているんだけど。
「で、なんで帰ってきたの? 仕事はまだでしょ?」
「いや? もう終わった。プログラムがすんだから」
シリコンバレーにある、全米ナンバーワンの警備保障会社に、経営のノウハウを学ぶために、尚にいは出向してたんだ。
「しばらく東京で遊んで、それから帰ろうと思って」
あの家にいると、24時間、お母上様と顔をあわせなきゃいけないもんな。
【でも、母さん、ここ2ヶ月くらい、帰ってきてないよ】
雅にいも言う。あたしは言おうかどうか、一瞬迷った。
その迷いを、雅にいは逃がさなかった。そういうことには、とてつもなく、鋭い。
【なに?】
「え?」
【なんか、言いたいこと、あるんでしょ?】
「えっと……」
「なんだよ、隠し事はよくないぞ?」は、尚にい。
【僕らのこと?】は、雅にい。
「違う……母さんのこと」
「は?」
【なんか、あった?】
あたしは大きく一つだけ、息を吐いた。
溜息。
そして、決めた。
今言わなくて、いつ言う?
「今日、三浦のオジサンがあたしに会いに来たんだよ」
「……あのオヤジが?」
【母さんは?】
「一緒じゃなかった……で、三浦のオジサンが言うには、母さん、どんな病気か知らないけど、あんまり長くなくて。今は横須賀のサナトリウムにいるって……あたし、三浦のオジサンに天罰だろって言っちゃった」
「……瑞穂」
あたしは、笑顔を作って二人を見て、
「行ってあげて。あたしはともかく、二人は行った方がいいんじゃない?」
「瑞穂」
「母さんは待ってるよ。二人ならね」
【瑞穂!】
言葉にならないけど、雅にいが珍しく声を上げる。
雅にいが声を上げるのは、ホントに怒ってる時ぐらいしかない。
「……瑞穂。分かってるのか。いくらお前が否定してみても……」
「分かってる!」
あたしは思わず声を上げた。
「分かってる! 分かってるけど、どんなに否定しても、肯定しても、あたしはあの人の娘だって! でも、どうやっても、どんなに努力しても、あたしはあの人に受け入れられない! だったら一度全部あたしの存在意義を崩して、再構築することしかあたしには出来なかったの。だから、もうあの人はあたしの世界に入ってきちゃいけないの!」