帰る場所。04




既に医師として働き始めていたエルンストは、老年の医師であるフォードンのもとで助手として働きながら、姉のエレノアの面倒を見ていた。
2人の両親は、既にない。
かつて、イシュヴァール解放戦線と名乗ったテロリストたちによって、エランダム近くの鉄道が爆破された。
爆破されたその列車に、ランスドル夫妻が乗っていたのは中央に行っていたオットー・ランスドルが怪我で入院し、ようやく動けるようになって、妻のサラ・ランスドルが付き添っていたからで。
乗っていたことも分かったし、子ども達への土産も送られてきたけれど。
2人は帰って来なかった。
幼かったエルンストは、小さな二つの箱にしがみついて泣いている姉の姿を覚えている。
優しかった姉は寡黙になり、両親が残した錬金術の専門書を、片っ端から読みふける毎日を過ごしながらも、エルンストの面倒を良く見た。近所の者たちも、たった2人残された姉弟を、何かにつけて可愛がってくれた。
なのに、あの日を境に、エレノアに対する思いは、変わってしまった。
才能があったのだろう、エレノアは山ほどの専門書を読み漁り、周りの錬金術師たちの教えを受けて、エランダム一の錬金術師と呼ばれるようになっていた。
それを聞きつけたのだろう。
「エレノア・ランスドルの家はここかね?」
初老の男性が、家を訪ねてきた。
だが、人当たりのよさそうな男性の、しかし身につけていたのは間違いなく軍服で。
一通り、『国家錬金術師』とはなんなのか、どんな特権があるのか。そんなことを説明して、そそくさと去っていった。
エランダムに、軍服で入るのは危険が伴う。
おそらく、任務で来たとはいえ、男性は早く帰りたかったのだろう。
明日にはノース・シティにある北方司令部に帰ってしまうと告げて、姿を消した。
エランダムの民は、軍を憎む。
それは誰もが知っている事実であり、男性もエレノアからまさか良い返事がもらえると思っていないのだ。
その夜のことを、エルンストは覚えている。
夜中にエレノアの部屋には、灯りがともっていた。
微かに開いた扉の向こうで、エレノアは今までにない表情を浮かべていた。
哀しみと、そして決意のような、強い表情。






翌朝。
エレノア・ランスドルの姿は、エランダムになかった。
エルンストは、部屋に残された手紙を呆然として、読んだ。
半年後。
エレノア・ランスドル『少佐』が、『至純』の二つ名を与えられたという噂を聞いたのは。
そして、エランダムには非難が渦巻いた。






「エレノアは……護りたかったんだよ、ボクを。エランダムを」
いつもよりタバコの本数が多いことを自覚しながら、エルンストは新しいタバコに火を点ける。
「護る?」
アルフォンスが首をかしげる。エルンストは穏やかに言う。
「エレノアは、帰ってきてから……正気に戻ってから言ったんだ。自分は間違ってた。間違いに気付いた時には遅かったって。自分が国家錬金術師になれば、軍に協力すれば、イシュヴァールの民はおとなしくなるって思ったんだよ。エレノアの質問に、うちに来た軍の人間は適当に答えたんだ」
軍への反撥渦巻くエランダムに残りたくなくて、初老の軍人はエレノアの問いに、簡単に考えもせずに答えを出した。
両親を、『イシュヴァール』に殺された、という想いが残る少女は、その言葉に飛びつき、たった一人の正義感に身を焦がす。
だが、残されたエルンストはどうだったのだろうか?
アルフォンスが心配そうに、自分を見つめているのに気付いて、エルンストは苦笑する。
「僕はね、でもまだ子どもだったから。近所のみんなが面倒見てくれて。僕を非難するような人はいなかったよ。お前には姉はいなかったんだ。忘れなさいって何度も言われたな……」
何度言われても。
エルンスト・ランスドルの姉は、エレノア・ランスドルで。
18歳の若さで、至純の錬金術師になって。
時折手紙は来ていたけれど、それはエルンストの目に触れる前に、焼き捨てられたと後で知った。
エランダムの街は、エレノア・ランスドルを、その存在を消し去ろうと必死になっていた。
それでも哀れに思う者から、手紙があったことや、手紙の内容は聞かされていたので、エルンストはそのことで姉の近況を知ることができた。だからイシュヴァール殲滅戦の少し前に、エレノアがイシュヴァールに赴いたことを知っていた。
預けられたバオム・フォードンのもとで、錬金術を生かした医師を目指すようになっていたエルンストのもとに、手紙が届いたのは、エルンスト14歳の春。
「軍のさ、指令書。間違って、うちに届いたんだ。きっと軍の指令書だから、街の人間も燃やせなかったんだと思う。内容も内容だったから」
「内容?」
「……至純の錬金術師エレノア・ランスドルを精神疾患と認め、退役を許可する……だったかな」
そこに書かれた精神病院にエルンストは急いだ。
その精神病院で見たものは。
「……姉さんは、車椅子に乗せられてた。何を話してもぼんやりしてて。医者は心を閉ざしてしまってて、何が原因か分からないって」
ぼんやりと佇む姉の姿に、エルンストはエランダムに連れ帰ることを決意する。
時にはやせこけ、見事な黒髪だったのに今や銀色の髪に変わってしまった姉の肢体を抱えて動いた。
エランダムに車椅子に乗せて連れ帰ったエレノアに、非難の声が上がった。
だが……その非難のどれにも、エレノアは反応しなかったのだ。
そうして、月日が過ぎ。
現れたエルリック兄弟に、ランスドル姉弟の時間も、大きく動き出す。






もう医師として独り立ちしても良いでは、とフォードン医師に勧められながら、エルンストは結論を出せずに、診療所にいた。
一番の理由は、姉だった。
フォードン診療所で働いている間は、姉を診ながら医師として働くこともできる。
だが、独立すれば姉は誰か違う人に、その世話を頼まなくていかなくなるだろう。
しかし、この街では、姉を診てくれる人など……いないのだ。
すると答えは一つしかない。
エランダムを出る。
だが、生まれてから街を出たことのないエルンストには、姉を抱えて街を出て行くことなど、考えられなかった。
深い溜息をついて。
カルテにメモをしようとしていた時だった。
診療所の入り口が騒がしい。
そんな時はほとんど急患なので、エルンストはカルテをそのままに、診療室を出て待合室に向かう。
だが、そこにいたのは急患ではなかった。近所の少年。息が荒いが、決して怪我をしている様子はない。
「どうした?」
「広場に!」
そこで少年は言葉が続かなくなった。エルンストは軽く背中を叩いてやる。
「ほら、深呼吸して。何があったんだ?」
「……広場に、エレノアを探しに来た奴がいる! 国家錬金術師のエルリック兄弟だって」






乾いた風が、乾燥しきった大地をかすめていく。
まきあがる砂埃に、少年は瞬く。
「兄さん、砂が目に入ったんじゃない?」
「……う〜、目が痛い」
「すごい砂埃だね。イシュヴァールみたいに沙漠になってるわけじゃないのに」
広場で捕まえた青年に、『あのさ、エレノア・ランスドルって知らない? もと国家錬金術師をやってたって人なんだけどさ』と告げると、青年は目を丸くして、聞き返す。
『あんた、誰だ』
『誰って、俺も国家錬金術師なんだけどな。エドワード・エルリックっていうんだけど』
『僕、アルフォンス・エルリックです』
巨躯の鎧が話したのに驚いたのか、『エルリック』に驚いたのか、よくは分からないが青年は怯えたように後ずさり。
『国家錬金術師だ!』
と叫んで、駆け去った。
広場を取り囲む家々には、確かに人影が見えていたのに、青年が叫んだ瞬間、バタンバタンと激しい音ともに、窓という窓、扉という扉が閉じられ、今はこっそりと隙間を生んで、広場の真ん中の噴水に腰掛けている2人を見つめているのだ。
「あの〜」
アルフォンスが声をあげると、しかし再びバタンバタンと窓が閉まる音。
「ほんと、嫌われてるよな。俺たちって」
「ていうか、国家錬金術師がでしょ。軍が大嫌いってところなんだから」
「そのエランダム出身の『至純の錬金術師』……。妙だよな」
「そうだね……」
「おい!」
そこに第3の声が割り込んで。
エドワードは顔を上げた。
広場の片隅、どこかに続く道の入り口で、肩で息をしている青年が立っている。
黒い髪、青の瞳。
まっすぐに2人を見つめて、そして歩み寄る。
一切の接触を断とうとするエランダムの民とは対照的な行動に、エドワードは思わずニヤリと笑う。それにアルフォンスが気付いた。
「兄さん?」
「さぁ、なんだろな」
青年は兄弟の前に立つ。
身長は大して高くはない。体格も決して立派とは言えないが、その表情は深刻そうに見えた。
「あんたたちが、エルリック兄弟?」
「ああ」
そして、青年は巨躯のアルフォンスを見上げて言った。
「あんたが、エドワード・エルリック?」
「え?」
アルフォンスがいつも受ける『間違い』を否定しようとする横で、エドワードの目が光る。
「そんなガタイだから、『鋼の錬金術師』なんて言われてるのか?」
「あのですね……僕はアルフォンス・エルリックです……」
指だけで、『兄』が隣で目を光らせている少年であることを知らせると、青年は思わず2人を見比べる。



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