帰る場所。05




大きな、鎧。
小さな、少年。
「……あんたが、エドワード・エルリックか」
「だぁれぇがぁ……」
青年は何も言わなかったのに、エドワードは叫んだ。
「豆粒ミクロミジンコサイズのどちびかぁ!!!!!」
「そこまで考えていないが、あんたがそう自覚してるんだろ?」
青年の冷静な切り返しに、エドワードの動きが止まる。
「あ?」
「そこまで自分を卑下しなくてもいいだろう? エドワード・エルリックって言ったらまだ子どもだろう? だったら、まだ身長は伸びるはずだ」
至極冷静な言葉に、アルフォンスは思わず頷いてしまう。
「人間は身長で決まるものではないからな」
「兄さん、そうだよ!」
「アルまで納得すんな!」
ジタバタしているエドワードを無視して、青年は押さえ込んでいるアルフォンスを見上げて言った。
「エレノア・ランスドルを探しているのか?」
「はい」
「何の用事だ。国家錬金術師はこのあたりでは、危険が伴う」
「わかってら。だけど、エレノア・ランスドルに会って確かめたいから、こんな北部くんだりまで来たんじゃないか」
ようやく落ち着いた口調のエドワードの戒めを解いて、アルフォンスは言う。
「知ってるんですか、エレノア・ランスドルさんを」
「俺は……エルンスト・ランスドル。エレノアは俺の姉だ……会わせるのは構わないけど、確かめられることはないと思うぞ?」




「……あれじゃあ、無理だな」
「そうだね、無理だよ」
エルリック兄弟が揃って溜息をつくのを、エルンストは苦笑する。
「だから言っただろう? 確かめられることなんて、何もないって」
『あなたは、だあれ?』
『エドワードとアルフォンス? 誰かな? あたしの知ってる人?』
微笑みながら穏やかに話す口調は少女で、浮かべる表情も愛々しいのだが、だがどこか空虚な様子も見せる。
それがここ何年もの姉エレノアの様子だった。
見事な腰までのばされていた黒髪は、無惨にも銀髪となり。
精神病院から連れ帰ってしばらくは一切話しもしなかった。
だがやがてぽつりぽつりと話し始めたが、幼少期に心が退化してしまったようで。
「……何を聞きたかったんだ?」
「え?」
エルンストはちらりとアルフォンスを見る。
大柄な『弟』を見て、エレノアは微笑みながら言った。
「あら、大きな体ね? 疲れない?」
見える部分は全て鎧で覆われ、唯一両目があるべき場所に穿たれた穴には、瞳を表すように光が見えるが、あるべき肉体を感じられないのだ。
「え〜と……」
「あんたの姉さんは、至純の錬金術師、だったんだろ? そのころ、どうやら生体錬成に関する研究をしてたらしいんだ」
エルンストは思い出そうと、中空を見つめて。
「ああ。うちはオヤジもお袋も、医療系の錬金術師だったからな。生体錬成はある程度の知識はある。とはいっても姉さんが得意にしてたのは、治療薬のための純化だったけどな」
「だから、『至純』」
国家錬金術師に与えられる二つ名は、ただの飾りではない。その多くが得意分野を表すことが多い。至純とは純粋、純化を意味する。
「あの調子だ。何を聞いても分からないし、軍にいた頃の研究はさっぱりだ。何せ姉さんはメモも残さなかったからな。諦めろ」
エルンストは窓越しに空を覗いた。
既に空は茜色に染まり始めていた。
「もう遅い。泊まっていけよ。うちに泊まるなら、街の人間も言わないと思うから」
エルリック兄弟はおとなしく、エルンストの好意に甘えることにしたのだった。




「……兄さん、寝ちゃった?」
「いや」
「どうしよっか……あのカンジじゃ、無理だよね……」
「ああ」
与えられた部屋は、二つのベッドがあり、兄弟は静まりかえった部屋の中で、兄弟はひそひそと話す。
「あのね、兄さん。僕思ったんだけど……なんで、大佐は僕たちにエレノアさんを紹介したのかな……」
「え?」
アルフォンスの意外な言葉に、エドワードはベッドから起きあがる。
「アル?」
「あのさ、もしかしてなんだけど。大佐、エレノアさんのこと、知ってたんじゃないかな?」
「……あ?」




久しぶりに訪れた東方司令部は、やはり変化らしい変化もなくて。
『元気そうだな、鋼の』
『大佐もな。ほい、報告書。ちっとたまってたから長めに書いといた』
放り出された報告書をちらりと横目で見て、マスタング大佐はニヤリと笑う。
『さて、あとでゆっくりと読ませてもらおう』
『へえへえ』
どっかりと腰を下ろしたエドワードは、続いた大佐の言葉に眉を顰める。
『その様子では、まだ身体は取り戻していないか』
『わるうござんしたね』
『いや、鋼のがいろんな情報を回してくれるので、こちらとしては地方情勢が分かっていいのだよ』
穏やかに微笑む大佐を、女性ならばうっとりとした表情で見つめて、そのまま『ふらふら』となるだろうが、残念ながら見つめていたのは14歳の少年でしかない。
『あのさ、なんかとっかかりが欲しいんだけど……合成獣でもいいや、生体錬成してた人しんないかな?』
『生体錬成か……』
不意に。
大佐の表情が翳ったように感じたのは、エドワードだけだろうか。
だが、大佐はすぐに答えた。
『少し遠いが、北部にエランダムという街がある。伝統的に軍を嫌う風土だが……その中でかつて若干18歳で国家錬金術師になった者がいる。今が退役して、エランダムに戻っていると聞いているが……確か、生体錬成がらみをしていたと記憶している。資料は……ああ、残っていないか。イシュヴァール中に退役したからな』
『退役?』
『ああ、会いに行ってみてはどうだ?』




線の細い、女性だった。
『あなたが、焔の錬金術師? 初めまして、至純の錬金術師エレノア・ランスドルです』
あまりにも。
あまりにも、濃紺の軍服が似合わない。
着るべきではないのではないか。
そう思ったほど、穏やかな微笑みを浮かべていた女性のことを、ロイ・マスタングは忘れない。
その頃、マスタングはまだ少佐で、何より軍に入隊したてだった。
そのうえ、まだ50人程度しかいない国家錬金術師になったために、新兵なのに、誰もが取り巻いて声もかけないという『寂しい』状態で。
穏やかに微笑む『エレノア・ランスドル』を知らないはずがなかった。
後に塗り替えられる最年少合格記録を持っていたのは、その当時は間違いなくエレノア・ランスドルで。
黒い髪を肩の高さでまとめ、空のように蒼い双眸は、いつも穏やかな微笑みを含んでいたのに。
『国家錬金術師は、間違いなくイシュヴァールに投入されるでしょうね』
『イシュヴァール? たかだか東部の一地区に?』
『……マスタング少佐はご存じないかもしれないけれど……私たちは、人間兵器よ。たくさんの人を救うこともできるけど、たくさんの人を殺すことができる』
穏やかな微笑みの中に、底知れぬ哀しみを見るのは気のせいだろうか。
『こんな、ことをするために、国家錬金術師になったんじゃないのにね』
新兵だが、国家錬金術師ゆえに少佐の地位にあるマスタングを、何かにつけて面倒見てくれたのは、ランスドル中佐だった。
哀しみの表情で、彼女がポツリと呟いた。
『中佐が国家錬金術師を目指されたのは、どうしてですか?』
自分より年若の上官に、マスタングは興味を覚え。
彼女は穏やかに、言った。
『両親がね、イシュヴァールの過激派テロで死んだの。イシュヴァールの民って、普段あんまり目にすることないから。知りたくて。それから……錬金術を『役立つもの』として知って欲しかったんだけどね』
ランスドル中佐が錬金術師の街と言われているエランダムの出身であることは、彼女にまつわる噂を聞けば知ることができる。
軍を嫌うエランダムの、国家錬金術師。
『結局、知れば知るほどイシュヴァールの民を錬金術で殺しているのは、間違いないのよね……時々分からなくなるわ……自分が何をしたかったのか、何を護りたかったのか……』
やがて。
イシュヴァール殲滅戦が始まり。
戦後になってマスタング『中佐』は、違う事情で退役軍人リストにかつての上官の名前を見つける。
『ホークアイ中尉。すまないが、このエレノア・ランスドルがいつ、なぜ、退役したのか、調べてくれるか?』
『エレノア・ランスドル……ああ、至純の錬金術師ですね』
そして、知った。
彼女の『苦しみ』を。
そんな時にエドワードが現れたのだ。
『生体錬成』に関わる人物を捜して。
「大佐。エドワードくんに『至純の錬金術師』を紹介したのは、どうかと思いますよ」
中尉の言葉を、微笑みで受け取って。
「中佐が、いや、エレノア・ランスドルが過去を思い出せば、それもまたよし。だが、鋼のの役に立つことを思い出せば、なおのこと良いではないか」
「大佐」
中尉の声に、顔をあげるとホークアイ中尉が無表情に告げる。
「自分にだけ、一石二鳥を望まれると、あとでエドワードくんに何を言われるか分かりませんよ」
「ああ、そうだな」
言われても、構わない。
それも覚悟で、マスタング大佐は託したのだ。
大佐の記憶の中に安居する、軍にはそぐわぬほどの慈愛の微笑みを見せていた、あの女性を。



← back / next →