ゴリアテ 02
「まだか」
櫻色と琥珀色の光の螺旋、そして純白の翼が、コードの姿を作り出す。姿が作り出されるなり、開口一番コードは言い放った。
「師匠、そう急かさないでくださいよ」
「現実空間には戻っていないそうだ。お前がドジった時のために、カルマに頼んでおいた」
「用意がいいね、コード」
「信じられねぇ、このオレが信じられないなんて」
前者がオラクル、後者がオラトリオの言葉だ。
「師匠」
「うるさい。《ORACLE》の近くにはいるのか? あのヒヨッコは」
「来てませんね。さっきざっと見てきましたけど」
「そうか……アンダーネットにいると、ちょっと面倒なことになるかもしれんが。落ちていないことを祈るだけだな」
コードの考え込むような言葉に、オラクルが首を傾げる。
「なんで? だったら、エモーションやコードが助けてあげればいいじゃないか」
「今日は何日だ、オラクル」
「えっと、13日」
「あ、やばっ、相当やばいっすよ、それ!」
「?」
ますます話が見えない、オラクルである。オラトリオがバサバサとダーティ・ブロンドの髪をかきあげて、相棒に説明する。
「つまりな、半年ぐらい話題になってるだろうが。先月も<ORACLE>の壁にひっついてた」
「……『ゴリアテ』」
誰が流したものなのか、ほとんど詳細は不明というコンピュータ・ウイルスがある。
名前はプログラムに『Golliatte』の文字の羅列が見られるため、『ゴリアテ』。
1ヶ月に1回、13日になると、ピンポイントで作動を始め、プログラムを浸食する。この半年で『ゴリアテ』による被害はかなりのものにのぼっているのだ。
「おい、大丈夫か?」
オラクルの沈痛な表情に、オラトリオが声をかける。
侵入者に対して大きな精神的外傷、トラウマを持つオラクルには、思い出すだけでも顔色が青ざめる話だ。
「……その『ゴリアテ』が、活性化している日だからな、今日は。だから俺様もアンダーネットに行くのを控えていたのだ」
「そっか……それはやばいな……ちょっと待ってください、それって、アンダーネットじゃなくてもやばいんじゃないですかい!」
オラトリオの声に、コードは冷静に応える。
「通常の『ゴリアテ』が出たのは半年前だ。既にワクチンも開発されている。ので、他では大丈夫だがな。しかし、アンダーネットでは最近、自己進化した強化型が蔓延している。ワクチンも効かん」
「うわ……」
「大変だね」
「というわけで、あのヒヨッコがアンダーネットに落ちていたら、正直どうなることやら」
「……コード、そのことエモーションに話したかい?」
オラクルが至極当然の疑問を口にする。コードは眉を顰めて、
「いや。エモーションでも知っていることだろう」
「師匠、エモーションお嬢さんはシグナルの『育ての母』でっせ? 危険を承知で飛び込むことだって……」
「ああ?」
思い切り、もっとも機嫌の悪い表情になって、コードはオラトリオを睨み付ける。その視線の厳しさに、オラトリオは内心後ずさりながら、しかし視線を返して、
「母親ってのは、自分の危険を省みず飛び込むもんじゃないすか? その上、エモーションはあのカシオペア博士の製作っすから……」
いざというとき、度胸が据わっている。危険は承知で、飛び込む。『我が子』のためなら、命をも賭ける。オラトリオは言外でそう言ってみせた。コードの機嫌モードが最低最悪に突入する。
「なんだと……」
「だから……」
「一人で行かせたのは、まずかったんじゃないかな」
オラクル一人が、のほほんと、しかし彼は彼なりに危機感を持っての言葉を発するが、それはコードにとってはもっとも聞きたくなかった言葉だった。
「くそ、俺様ともあろうものが!」
来た時と同じ、光と翼に囲まれて、コードが姿を消す。
「あ、コード……」
「オラクル、高速演算借りるぜ。とにかく一刻も早く、シグナルを捜さなきゃな」
オラクルの中で、何かが走る。
オラトリオが高速演算を使っているのが、分かる。
《ORACLE》をエモーションと一緒に出て/ああ、A−ナンバーズ二人のあとはよく分かるな/しばらく、ネットサーフに専念している。それから、《A-S》SIGNALだけが別行動/あいつ、やっぱり迷ったな?/それから……。
「やばい!」
オラトリオがダーティ・ブロンドの髪をもう一度、ガシガシと崩す。オラクルも、顔色を変えた。オラトリオの演算を覗いていたのだ。
「オラトリオ!」
「しゃあねえな。オラクル、悪いがカルマを呼び出してくれ。俺は師匠と、エモーションを捜す」
「分かった」
慌ただしく白亜の図書館を出ていく半身を見遣って、最悪の事態になりつつある現状に、オラクルは愕然とするしか出来なかった。
「やばいんじゃないのかな?」
シグナルの『迷子』を伝えた、正信の最初の言葉である。
カルマは意味が分からず、小首を傾げた。
「どうしてです? 単なる迷子ですよ?」
「今日は何日だい、カルマ?」
「13日ですが……」
今日の意味するところが分かって、カルマは息をのむ。正信は眼鏡を外して、小さく頷いた。
「そ、13日。『巨人』ゴリアテの登場する日なんだよ」
「……公共空間か、上位空間にいてくれないと」
「困ったことになるねぇ」
口調はのんびりとしているけれども、薄茶の双眸は決して笑っていない。
ほとんど度数のない眼鏡をテーブルの上に投げ出すように置いて、正信は立ち上がる。
「まぁったく、シグナルくんは次から次へ問題を起こしてくれますね。これでバグが増えたら、父さん、涙流して喜ぶけどなぁ。僕もMIRAがいじれるようになるかな?」
「正信さん」
咎めるような口調のカルマに、正信は逆らえない。幼い頃からの『兄』には、逆らえない。
小さく溜息をついて、少し長めの前髪をかき上げる。
「アンダーネットに降りようか」
「正信さんが、ですか?」
「『ゴリアテ』の強化型だろ、アンダーネットにいるのは。従来のワクチンは効かない。最近までワクチン作ってたからね。使えるんじゃないかなぁ」
「……私も降ります」
「カルマは今回降りない方がいいよ。プログラムが浸食されたら、かなわないし」
その時。
パルスの声がする。
カルマが部屋から顔を出した。
「パルス」
「ああ、ここだったか」
パルスは正信の姿を確認して瞬間身体を固くしたようだったが、すぐにカルマに耳打ちする。
「オラクルが来た」
「オラトリオではなくて?」
「シグナルがアンダーネットに落ちたようだ」
「それは大変だねぇ。じゃ、準備しようか」
不意に正信が声を上げて、パルスがギョッとした表情を浮かべる。
「若先生」
「話は聞いたよ♪ とにかく、シグナルくんを見つけなきゃね。オラトリオじゃ、アンダーネットは検索出来ないし。ボクにおまかせ♪」
「はぁ」
「でも、誰かが空間誘導補助しないと」
カルマは食い下がる。
研究室にパタパタと移動し、コンピュータに向かう正信は相変わらず眸は真剣、口調は軽く、
「ボクを誰だと思ってんの? 『天才ハッカー』正信くんだよ♪」
ディスプレイの中では、オラクルが落ち着かない人待ち顔で待っていた。
「オラクル、ボクだけど」
『音井博士!』
「はいはい、オラクル♪ 元気そうだね」
『……はい』
正信のペースに飲まれたオラクルだったが、すぐに、
『オラトリオがコードとエモーションを捜しに行ってます!』
「うん」
『演算でシグナルの跡を辿ったら、突然アンダーネットに落ちていって』
「ありゃ、どっかで穴でも開いてんかな?」
穴。
公共空間にそうそう穴が開くはずがないわけで。
「……どっかでこんな話、したな」
パルスが遠い記憶を引き戻すように呟いた。
「そうですね」
カルマが答えを導き出した。
「『細雪』、じゃないでしょうか?」
細雪。
コードの伝家の宝刀。
総てのプログラムを消去する、最強の攻撃プログラム。
何度かコード自身によるバージョンアップはされているが、もとの基礎プログラムを作ったのは、のほほんとディスプレイに向かっている、正信であるのだが。
「なんだ、コードが開けた穴に、シグナル落っこちたんだ」
冗談めかした口調の、絶対零度に近づきつつある棘に、カルマとパルスが気づかないはずがない。
コードが間違って教授の電脳空間壁を斬ってしまって、誕生前のシグナルが抜け出し、エモーションと逢ったなんて、絶対言えない。
怒りのオーラを漂わせる正信の背中を見ながら、カルマとパルスは無言の内に、協定を結んだ。
コードの『前科』は他言無用。
「とにかく、カルマ。オープンネットまで降りてもらおうか。オラトリオとエモーションを捜して、<ORACLE>に保護」
「……保護、ですか?」
「そう。保護」
少しずつ口調が固くなっていく。正信の怒りのボルテージが上がっていくのを、長年のつき合いからカルマは感じていた。
手早く接続ケーブルをつないで、カルマが合図する。
「では、行きます」
「ん。準備出来次第、僕も行くよ」