凍れる雪の狭間で 05






数瞬考えた輝だったが、すぐに答えを見つけ、御者に問う。
『伯爵邸の近くに、林のようなものは?』
『ございますよ』
『じゃあ、そちらに向かってもらえますか』
橇馬車を待たせて。
輝は吹き溜まりと化した林の中に、なんとか進んでいく。
近くにあった枝を軽く折り取り。
自らの足跡と、右手にした枝を使って魔法陣を書き始めたのだったが。
そう、魔法をもって伯爵邸に住まう『悪魔』だけを見ようと、したのだ。
なのに。
もうすぐ魔法陣を書き終わるという時。
何か。
そう、何かが、輝の五感を越えた何かに反応した。
決して、良いものではない。
……悪しきもの。
次の瞬間。
右手に何か熱いものを感じた。そして、視界が白くなり……そこから先は覚えていない。
一体、何が起きたというのか?





「……魔法陣?」
「その前に、林全体に呪術をかけられていたのを、気づいてなかったのか? お前さんが持っていた枝も、魔術に使おうとすると、力を受けるように呪文をかけられていたんだな」
「……」
「だから落雷を右肩に受けたんだな……とにかく急いで動かさないと、あたり一体に呪術をかけたヤツが気づいて、もうちょっとで嬲り殺しだったからな。とりあえずこの近所に飛ばしたんだ……急な事で風の精霊を集めきれなくて、途中で放り出されてしまったな……謝るつもりはないからな。もとは、考えなしに魔法陣を書いた、お前さんが悪いんだからな」
思いもしなかった、言葉。
輝の事を悪魔祓い師と見抜いたことといい……。
今の言い様からすると、自分が助けてやったけど、中途半端やったちゅうことかい?
思わず疑心と、好奇心で見つめてしまった輝だった。
その視線に気づいたマリオールが思い出したように言い始めた。
「そうだ、自己紹介していなかったな。マリオール・ジェナイソンはもちろん本名なんだけどな……ま、レタニエ・マリオールとも言う」
輝はやっぱり、まじまじとマリオールを見つめて、
「レタニエ……」
「ああ、レタニエだ。いろいろ聞いたんだろ? ワイリエに。レタニエのことは聞かなかったのか?」
レタニエ、紅い魔女。
魔女……かいな?
さりげない疑問を、しかし覆い隠して、輝は頷いた。
「……聞いてます。でも、絶えたって……」
「そこまで聞いてるか。ま、権力闘争に負けて、隠遁生活を始めたってのが、本当のところなんだけどな」





ま、昔語りだ。吹雪が止むまでのな。つきあうか?
マリオールの言葉に、輝は小さく頷いた。マリオールは深く溜息を吐いて、
「アルディシンの創世神話だ。かつて、世界は3人の神から作られた」
大地神ガリアナ。
水神セシアナ。
火神マトルス。
世界に最初生まれた3人の神は、続いて数々の神を生んだ。いわゆる『子供神』だ。この中には、木神ナルオン、双子である土神リフォー・金神エフォー、光神カルスン、風神ザナール、氷神ヴァリーイ、雪神シュリーイ、そして草神、ゼキーナがいる。続く子供神から生まれた神、しかしいわば孫神と呼ばれるこの存在は、最初の3柱に比べて力も弱かった。故に孫神以降の神の子孫を『精霊』と呼ぶ。
そして、神、子供神、精霊たちが力を結集して生まれたのが、この地球であり、その中でも愛され、神々の住まう場所として選ばれたのがアルディシンである……という。
「創世神話を全部語ってたら、吹雪が止むどころか、春になるからな」
「はぁ」
「ま、その辺はほっといて。大事なのはこの先だ」
子供神は、時に気まぐれにも見える『祝福』を与えることがある。アルディシンに生まれる赤子の中に、ごくごく希に握りしめた手のひらを広げると石の握っている場合があり、その中でも希に名前を書き付けた宝石を握っているという。
子供神に祝福された子ども。握っていた宝石の種類で、どんな子供神に祝福されたか分かるという。子どもは握っていた宝石に彫り込まれた名前を付けられた。それこそ、子供神に祝福された証拠であり、彫り込まれた名前こそは子供神が子どもに与えた名前だったからだ。
「ある僻地に、男の子が産まれた。子供は左手に、フローライトを握ってた」
「フローライト?」
「ああ。草神ゼキーナを象徴する石だ。フローライトには、『ラスナール』と書かれていた。古い言葉で『癒す者』という」
「……」
ラスナール。癒す者と名付けられた者は、長じて救いを求める者に癒しの手を差し伸べる、薬師となった。
「……それって」
「そうだ。今や名を聞くことすら希になった、『最初の薬師』のことさ」
あっさりと。あっさりと告げる驚愕の内容に、しかし輝は黙って聞いていた。
相変わらず、窓の外では雪が吹きすさぶ音だけが響いている。
子供神に名前を与えられた子供は、稀少だ。だが大抵は一生涯で祝福されるのは、名前を与えた子供神だけだが、アルディシンの歴史の中で、たった一人だけ他の子供神の祝福を受けた者がいる。
それが、ラスナールだった。
「ラスナールの行いは、神のお眼鏡にかなったわけだ。草神ゼキーナに続いて多くの子供神がラスナールに祝福を与えた。そして、最初の神の一人であるマトルスも守護を与え、ラスナールの子々孫々にその能力が受け継がれていくことを許した……他の神々に祝福を受けた、たった一人だからこそ、そういう特権を許したんだろうな」
そして生まれた、ワイリエとレタニエ。
最初は、何も問題なく時は紡がれた。穏やかな時が。
「歯車が狂ったのは、あの時からか」
マリオールが嘆息する。
狂ったのは……。





ロールン2世の御代。
レタニエ・アトエラは、ロールン2世の初子の為に、予言を得る儀式を行い……信じられない予言を得た。
『初子の御代に、アルディシンは滅びに向かう変化を始める』
『なぜ?』
『人が見つけること能わず物、人に能わぬ者の意図』
「ちなみに説明するとな。予言は神々にこれから起こりうる事象の中で、注意すべきことを聞き出すものだ。俺たちに力を分かれている神々といえども、未来を変えることはできない。出来るのは回避出来うるなら、させてやろうという、親切心だよ」
けったいやな、素直に教えてくれたらええやんか。とは、輝の心内の言葉だ。
「とにかく、アトエラはこの予言を、回避するために行動を取った……トル・ビフィリアな。あれは、土神リフォー・金神エフォーの双子神が生まれた時の副産物だと思っていいと思う。とにかく、神のものであって、人がどうこうしてもいいものじゃないんだ。だから、アトエラは神々の許可を得て、動かした」
「……ということは、アトエラ……さんは、トル・ビフィリアが引き起こす未来も想像ついたと?」
「ま、見た目は問題大ありだった、レタニエ・アトエラだったらしいが、その賢さは歴代のレタニエの中でも群を抜いていた」
『賢女』であった、レタニエ・アトエラ。
一方で、『美女』であった、ワイリエ・ラルフィーナ。
「……賢くなかったとは、言えないな。悪賢かったというべきか、悪女だったというべきか」
「ワイリエ・ラルフィーナがですか?」
「ああ。とにもかくにもその若さ、その美貌はロールン2世を逸脱した恋に没頭されるのに、他愛ないものだったらしい……ワイリエ・ラルフィーナがどんなつもりで、大公を受け入れたか、今は分からないが」
「……」
「好機だっただろうな。レタニエ・アトエラは普段は別邸で暮らしている。大公妃は自分の初めての出産におおわらわ。大公といっても、当時のアルディシンを考えたら、施政が忙しいことなどありえない……暇をもてあましている、男を誘惑するだけのこと」
「……そんなこと、言って」
輝の制止を、マリオールは鼻で笑い飛ばした。
「事実さ。そのころの出来事は、分かっている」
その意味深な言葉を、輝は黙って聞き届けた。マリオールの話は続く。
「次代の大公誕生を祝う式典は、予定通り行われた……レタニエ・アトエラが来なくても。ワイリエ・ラルフィーナは囁いたのさ、大公の耳元に。レタニエは来ない。式典を進めましょう……」
壮年の男性の耳元に、美麗な美女が囁く様子。思わず想像してしまって、輝は内心だけだが、苦笑する。
……オレがなんで?
「式典は進み、やがて遅れたレタニエが姿を見せる。式典を終え、宴を始めた一同に」
「レタニエはつかみかかり、呪いの言葉を吐いた……と」
「まさか」
鼻で笑って、マリオールはしかし言葉を探しているようだった。しかし、それも一瞬。すぐに言葉は生み出された。
「レタニエ・アトエラは、式典に遅れた無礼を詫びて、席に着こうとした……その時、具合の悪そうな大公妃を見かけた」





声をかけようと近寄ると、大公妃は崩れ落ちるように、レタニエ・アトエラに倒れ込んだのだ。
式典は中止となった。
重病の床から離れられない大公妃の世話はレタニエ・アトエラが、生まれたばかりの公太子の世話はワイリエ・ラルフィーナが行った。だが……やがて、大公妃はレタニエの介護の甲斐なく、息を引き取った。
慶事に続いた、凶事。
だが、大公妃の葬儀はこれといった問題もなく済んだ。葬儀を済ませ、レタニエ・アトエラがいくらか離れた自宅に戻ってしばらくして。
不吉な噂が聞こえてくることになる。
「その噂を、レタニエ・アトエラは久しぶりに参内した宮殿で聞くことになるのさ」
『聞きまして? レタニエのこと』
『ええ。大公妃に呪いをかけたとか。それに飽きたらず、病に苦しむ大公妃殿下の耳元に聞くに堪えない悪口雑言を囁き続けたとか』
『呪いとお聞きしました? 私は、毒と伺いましたけれど。いずれにもしても、断罪すべきですわね。あれほどお優しかった妃殿下を、なんとひどい仕打ち』
『大公殿下とワイリエ・ラルフィーナが必ず報いを受けさせて下さいますわよ』
謂われのない、噂。
やがて、レタニエ・アトエラは大公によって参内停止を言い渡され、アルディシン史からその名前を消すことになる。
「少なくとも、権力を独り占めしたかったワイリエが何かしら画策していたのは間違いないんだが、証拠を掴めないんだな」
「……でも、伝承でそれだけ詳しく伝わっているんですか?」
輝の素朴な疑問に、マリオールはニヤリと笑って、
「まさか。これは全部聞いたんだよ」
「え?」
「だから、子供神の風神ザナールに。おしゃべりだから、なんでも教えてくれるのさ」
「はぁ」
風は音を運ぶ。
運んだ音は、風の中に蓄積されるのだと、マリオールは言う。
だから、風神は知識の神でもある。





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