凍れる雪の狭間で 15






『部屋』がある抜け穴は、4人が出会った回廊から少し南寄りに入り口があるとロナルフから聞いて、4人は早速移動を始めた。その時、ルクレースイが言い出したのだ。
「……レタニエは、どうして追放されることになったの?」
「ルクル、そんなストレートに」
ロナルフが慌てて言うが、ルクレースイは続ける。
「おかしいでしょう? 私と妹たちは、父様からレタニエが大公妃を毒殺して、結果的にワイリエにそれを告発されて……て聞いていたのよ?」
「また、説明するのか?」
マリオールがうんざりした表情で、輝を見る。輝が苦笑しながら答えた。
「じゃあ、自分なりの解釈つき、でどうでしょう? 違ってたら言ってください」
「ああ、それならまだマシか」
マリオールの許可が出たので、輝が歩を進めながら話し始めた。
「最初は、ワイリエ・ラルフィーナから始まった……おそらくですが。ワイリエとレタニエは宮殿内で権力闘争をしていたと考えられます。レタニエ・アトエラの追放事件も、火をつけたのはワイリエ・ラルフィーナでしょう」
「どういう……こと?」
話が分からないわ。
ルクレースイの言葉に、黙って歩いていたロナルフが大きく頷いた。
「レタニエ・アトエラの望みは、王宮内での権力拡大だったんでしょう。一方で、ワイリエ・ラルフィーナの望みは、権力拡大だけではなかった……当時のロールン2世との恋愛ではなかったんでしょうか?」
「え?」
思いもしない話の展開に、ルクレースイは呆然としている。呆然としつつも、なんとか言葉を紡ぐ。
「ちょっと待って。だって、ロールン2世殿下には、大公妃がいたし、ロールン3世になる公太子も生まれたんでしょう?」
「きっかけは、分かりません……ですが、ワイリエ・ラルフィーナの道ならぬ恋に手を貸したのは、間違いなく悪魔です。それもワイリエ・ラルフィーナと手を結んだ、悪魔」
「……」
「悪魔はワイリエ・ラルフィーナと契約を結んだ。大公との恋が成就できるようにと。成就できた暁には、大公妃の命と、自分たちが眠るトル・ビフィリアの指輪を、ラルフィーナが持ち続けることを願った」
「なるほどな……ラルフィーナはいつでも悪魔の力を引き出せると思ったわけだ。トル・ビフィリアの指輪は切り札……それが真意を隠されたまま口承され、代々のワイリエに引き継がれ、ワイリエ・マリエラも最初の理由も分からず継承したわけだ」
マリオールが輝の解釈に納得したように声をあげた。
「……じゃあ、あの追放事件で、レタニエ・アトエラは無実だってこと?」
「ワイリエ・ラルフィーナにとっては、一石二鳥なんてものじゃないですね。大公を手に入れ、邪魔者である大公妃と、レタニエを排除できる」
「悪魔にとっても、だな。操るのはワイリエ一人でいい。レタニエを排除できる」
「そうです。何より、トル・ビフィリアを発見させるのが悪魔の第一目的です。トル・ビフィリアの発見で、アルディシンに冨を得た大公家は骨肉の争いを繰り返した。悪魔がもっとも喜ぶ『ゲーム』ですよ」
「待て」
マリオールが足を止め、宙を見つめた。そして小さく囁いた。
「武官が来る」
輝には見慣れてしまった光景だったが、ロナルフには一瞬何事か理解しかねて、先に情況を把握したルクレースイに袖を引かれた。
「ザナールと話しているの」
「ああ」
「とにかくここへ入って。4人ぐらいだったら簡単に入れるから」
ルクレースイが指さしたのは傍らにあった、小さな扉だった。ルクレースイはドアを開けて一応中を確認する。
「うん、やっぱり。この奥に部屋があるの。大丈夫。子供の頃、ここで散々遊んだから」
ルクレースイにロナルフ、輝が続き、最後のマリオールがゆっくりと物音を立てないようにドアを閉めた。
「古文書を一時的に保管している部屋なの。この奥は……ま、骨董品だけ」
かすかにかび臭い部屋には、天井当たりまでぎっしりと古ぼけた本が積み上げられている。数歩も歩かないうちに4人は部屋の隅につきあたり、ルクレースイの促しでその奥に小さな小部屋があることに気づいた。籐らしき仕切りを開けて四人がその小部屋に入った瞬間、部屋の扉が開き、男の声がした。
「大公殿下、いらっしゃいませんか?」
4人は一斉に息をひそめた。返事があるはずもなく、男はもう一度声を張り上げたが、奥に入り込んでくる様子はなかった。すぐに違う男の声がした。
「いないか?」
「ここにはいないなぁ」
「どこに行かれたんだろうな? こんなことなかったのに?」
「大げさに探し回って、違う所にいたらどうする? 大公だって男だからな。外に通う女性がいてもおかしくない年だろ? 先の大公殿下みたいにな。大げさにしない方がいいと思うんだよな、オレは。ま、とにかく隊長にはいなかったと報告しとくとするか」
「そうだな」
そして、扉が閉められた。





「ハルディナントがいない?」
ルクレースイが目を細めた。
「そんなこと、今までなかったし……まして、女性の影なんて」
「変な言い方だな」
マリオールがちゃかすように言った。
「気に入らないんじゃなかったのか? コトが起これば、大公位はお姫様のものになるんだろ? いいチャンスじゃないか?」
「ええ、いいチャンスでしょうね。でも、ハルディナントは……私の異母弟であり、従弟でもあるんだから」
「へえ?」
「……もうこんなことはしたくないのよ。父様のあやまちを、私は……」
「とにかく、ここを出る。その話は、終わったあとでも聞かせてくれ」
マリオールに一方的に話を片づけられて、ルクレースイは不満一杯の表情だったが、
「分かったわよ」
渋々、了承したのだった。





マリオールの確認で、4人は廊下に戻った。そしてルクレースイが輝に言う。
「さっきの話を続けてくれない?」
「いいですよ」
輝が話し出そうとした時。突然マリオールが足を止めた。
宙に視線を泳がせ、すぐに目を細める。3人は何事かとマリオールを見つめることしか出来ない。やがてマリオールが呟くように言った。
「……エレーナが攫われた……」
「え?」
「くそ、大公だ。間違いない……失踪どころか、家に行ったわけか……」
「どうやって?」
「知るか! ……警告しても、分かるか! エレーナが精霊たちの声に遠くなってもう何年も経ってるだろう……ああ、生きてはいるんだな……」
3人以外と呟くように会話しているマリオールを見ながら、ルクレースイが輝に聞く。
「エレーナって?」
「……マリオールのお母さんで、彼の前のレタニエです……ワイリエを操っていたリサ・フォトナーという下級悪魔が、マリオールに言ったんです。レタニエには違う役目があると……レタニエを絶えさせるということでしょうが……」
「要するに、オレを封じる切り札なんだろうな……オレの考えが甘かった」
マリオールは吐き捨てるように呟き、
「十中八九、エレーナは俺たちの行き先にいるだろうな……前のレタニエは必要ない。多分必要なのは……オレだから」
「ちょっと待って。あなたのお母さんが前のレタニエだというのは分かったけど、なんでハルディナントがどうして?」
「おたくの弟さんは、悪魔なんだよ!」
マリオールの言葉の意味をとらえかねて、ルクレースイは聞き返す。
「え、どういう意味?」
マリオールは答えず、ロナルフに先を促す。ルクレースイは憤懣やるかたない様子のマリオールから聞き出すとは無理と判断して、輝に聞く。
「どういうことなの?」
「彼の言うとおりです。大公ロールン7世と、ワイリエ・マリエラの曾孫であるハンナ。二人が悪魔なんです」
「……え?」





「あいたっ!」
麦子は思わず縫いかけの産着を放り出した。テレビを見ていた母の稲子が振り返る。
「どうした? あ〜あ、また? あんた、ホントに不器用だねー」
「うう……」
「今度はどこ? 人差し指?」
稲子に促されて、麦子は指を見せる。
「お前って、ホント……あら、器用かな? 絆創膏突き抜けているじゃない。ほら、そこに絆創膏あるから張り直しなさい……あたしが縫ってあげるから」
麦子が絆創膏を貼り替える間、稲子はさくさくと産着を縫っている。
「こんなの、雑巾を縫うのと一緒よ」
「雑巾……」
さくさくと縫う母の姿を見て、麦子は思う。
やっぱり帰ってきて、正解だった。
その時、麦子の携帯が鳴った。





『はい、よね……じゃない、神楽坂です』
相変わらず、旧姓から抜けきれない麦子を思わず想像して、しかし神田は切り出した。
「神田です」
『あ、神田さん? テルちゃん、相変わらず連絡は?』
「それがですね」
遠くでアテンションが響いている。
『……コペンハーゲン行きSN451便の最終搭乗のお知らせを……』
やばい。
「麦子さん、会長からの連絡はないんですが、一応コペンハーゲンからアルディシンに向かいます。こちらのことは会長秘書の高原さんにお願いしてますので。すいません、ラスト・チェックインなんで!」
『よく分かんないけど、気をつけてね。テルちゃん見つけたら、縄つけて引っ張って来てね!』
「はい!」
会長夫人に励まされて、神田は搭乗口に走った。





「そう……これが入り口だったの……」
ルクレースイが見上げながら言った。
「こんな外れに紋章があるって、子供の頃から不思議だったのよ……あ、じゃあロナルフ、ロナルフの部屋にある紋章も?」
「ごめん、言うわけにはいかなかったんだ……あそこが入り口なんだ。これで」
ロナルフはバングルを外して、ルクレースイに見せる。
「開く」
王宮の西の外れ。何の変哲もない廊下に、3人はロナルフに導かれた。柱で区切られた石壁には浮き上がるように大公家の紋章が刻まれている。背の低いルクレースイには見上げるほどの高さだが、ロナルフにとってはそうではない。腕から外したバングルには、やはり同じ大公家の紋章が浮き上がるように刻まれている。
ロナルフは紋章の上に小さくくぼんでいる場所にバングルを押し込み、右に回した。そして一歩下がる。
「これで開くはず。家の扉は開くけど……ここは」
ロナルフの言葉の続きを聞くまでもなく、どこか遠くで壁を伝うように金属が擦れ合うような音が聞こえ、そして静かに紋章が彫られた壁が、不意に静かに開いた。
奥は真っ暗で何も見えず、王宮内からの明かりで降りてゆく階段が、仄暗く見えた。
「開いたな。じゃあ、行くか……光の神よ、汝の名はカルスン。レタニエ・マリオールが依りする。幾ばくかの光を我に与え、先を照らせ……よし、行こう」





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