空の彼方で雷鳴 02






「博士、大丈夫か? 疲れているようだが」
専用のプロジェクターから、『息子』が姿を見せる。この数週間で一気に窶れた『母』を心配しているのだ。
「大丈夫よ、コード」
「そうか、それならばよいが……」
琥珀の眸に憂いを帯びて、コードが呟く。
【A-C】CODE。それが彼の名である。
カシオペア博士が開発した、頭脳集団アトランダムで造られたロボット、あるいはロボットプログラムの中では、もっとも最古参になる。
「それはそうと、エモーションはどこにいるのかしら? さっき呼び出しかけたのだけれど、姿を見せないのよ」
「……少し前にネットサーフに行くと言っていたが……捜してこようか?」
「ええ、お願いするわ」
紺色の小袖が白の花吹雪にかき消され、プロジェクターからコードの姿は消えた。
博士はしばらくプロジェクターの前で待ってみることにした。
【A-C】CODE。
そしてエモーションこと、【A-E】EMOTION。
プログラムのみの存在である二人は、博士にとって我が子同然であり、それはコードとエモーションから見ても、博士は母と同意であった。
だからこそ事故の直後、二人は窶れ果てた『母』を心配し、しばらく仕事を休むべきだとも勧めてくれたけれども。
哀しみを忘れるためには、動くことがいい。
頭と身体を動かしている間は、考えなくて済む。夫と息子を亡くしたという事実から目を背けることが出来る。
近くから椅子を持ってきて、プロジェクターの前に座る。
実は休んでなどいられないのだ。
【A-K】プロジェクト。
【A-E】プロジェクト。
【ORACLE】プロジェクト。
博士の前には仕事が山積みとなって、処理されるのを待っている。
仕方ないことなのだ。
自分は、頭脳集団アトランダムの総帥だから。
哀しんでばかりはいられない。
だが。
哀しみの海に、身体を横たえるのも安息なのかもしれない。
博士はふとそう思った。
同じアトランダムの学者である、音井信之介教授。
愛する妻を事故で亡くした彼は、未だ立ち直れず自宅に籠もりきりだ。
一度電話したが、息子の正信が出た。
『すみません、父はまだ……』
「いいわ。気持ちが落ち着いたら一度こちらに顔を出すように伝えて欲しいの。それだけだから……正信君は大丈夫なの?」
『はい、何とか』
10歳になったばかりの少年は、父親よりもしっかりしている口調だったけれども、博士はその年齢に不相応な口調に違和感を感じていた。
だがすでに高校入学の資格を得ているほどの、頭脳の少年である。
その精神年齢は高い。
「何かあったら相談してね。出来ることはしますから」
『ありがとうございます』





「博士、捜してきた」
コードの若々しい声に、博士の思考は現実に引き戻される。
紺色の小袖の青年の前に、淡い緑を輝かせながら光が螺旋を描く。
「【A-E】EMOTION:Elemental Electro Electraが参りました。お呼びですか、おばあさま?」
ネオン・グリーンの髪と眸が、博士に微笑みかける。博士も微笑み返して、立ち上がる。
「エモーション、あなたにお願いしたことがあるのだけれど」
「はい、なんでしょう?」
小首を傾げて、エモーションは応える。
「あなたにホームセキュリティ・システムの管理をお願いしたいのだけれど」
「ホームセキュリティ、でございますか?」
「どういうことだ、博士?」
二人が揃って怪訝そうな表情を浮かべる。博士は苦笑しながら続けた。
「ホームセキュリティと言っても、私の家の、なんだけども」
「博士の、家」
「今度ね、私、養女を迎えることにしたのよ。コード、あなたにもう一人妹が出来るのよ」
「……妹」
気難しそうなコードの表情が、一瞬にして和らいだ。
カシオペア博士の人格プログラムの製作方法は、通常とは違う。
通常は基本となる人格プログラムを製作して、そのあと『人間』が調整を加えていくのだ。しかしカシオペア博士はベースとなるプログラム製作後は、プログラム独自の学習によって人格形成されるのを待つ。心理学が専門の博士だから成しえた方法だった。
しかし、コードの製作は最初ということで難航した。何度もプログラム自己消滅になりかけ、すんでの所で人間の手による調整を行った。そのせいか、とにかく『難しい』プログラムになってしまったのだ。
頑固で、偏屈。
コードの性格はこれに尽きる。
もっとも、それも続いて博士の製作による【A-E】EMOTION、エモーションが起動をはじめると突然、緩和された。理由は未だ分からない。
しかしとにもかくにも、コードは『妹思い』の、悪く言えばシスター・コンプレックスの塊になってしまったのだ。
シスコン・コードにしてみれば、新しい妹は、『守らなければいけない』ものの一つとなるわけで。
「……それでエレクトラにセキュリティシステムを」
「ええ、そうなの。私は仕事で家を留守にしがちだから」
母には『エモーション』、兄には『エレクトラ』と呼ばれる少女はすぐに答えを返した。
「承りました。ところで、プログラミングはいつになさいますの?」
「早めがいいわね。でも、その娘はリハビリがあるからもう少し家に来るのはもう少し先の話かしら」
「……リハビリ?」
「ええ……事故で唯一の生存者だった……児玉みのるのことなの」
「……まあ」
重い空気が、3人の上にのしかかっていた。





「お兄さま」
「エレクトラか。入れ」
促されるまま、エモーションは扉を開けた。
コードの好みに合わせて作り上げられたその部屋は、完全な和風になっていて、兄は床の間の前で胡座をかき、手を組んで何やら考え事に余念がなかった。
「プログラミング、完了しましたわ。あとはみのるさんがお出でになるのを待つだけですわね」
「……そうだな」
「何か、ありまして?」
「いや、何もないが……そのみのるという娘、果たしてどんな娘かな?」
「え?」
「俺達の知っていることは?」
「……事故の唯一の生存者ということだけですわ」
琥珀の双眸に、コードは複雑な表情を浮かべて、妹に向き合う。
「そういうことだ。多分、その娘とは一生つき合うことになるかもしれない。もう少し、調べておいた方がよいのではないか。そう思っただけなのだが」
「そう……ですわね。私、調べておきます」
「うむ。俺様も分かることはやっておこう」
「はい」





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