空の彼方で雷鳴 04
その折りも折り。
「どうしたの?」
「……えっと」
不思議そうに覗き込む義母の顔には、笑顔しか浮かんでいない。
みのるは少女らしく、
「おっきなおうちですね」
「ああ、そうね。でも一人で住むには大きすぎてね」
豪邸。
その呼称が相応しい家構えだった。
シンガポールという狭小な土地を感じさせない広々とした敷地に、広々と広がる、家。どこかの王族が住んでいてもおかしくない、そんなノーヴィリティを感じさせる佇まい。
『ええ、いいな。クェーサーさんの娘になるの? あそこのおうちって、すっごいお金持ちなんだって。パパが言ってたよ』
近くの病室の、同じ年くらいの女の子が言っていた、その意味を、みのるは不意に理解した。
「さ、あがって」
通された玄関も、続いて入ったリビングも、児玉邸より遥かに広くて、みのるはなんだか複雑な思いを抱えながら、カシオペア博士に続いた。
「あのね、家族を紹介しようと思うの。みのるさん、いいかしら?」
「え?」
思いもかけないことの連続だったが、博士の『家族』という言葉に、みのるはひっかかりを感じた。
確か……博士の家族って……。
奇妙な表情を浮かべるみのるに気づいた博士が、淋しそうな微笑みを浮かべる。
「ごめんなさいね、誤解を招いたかしら。あなたに紹介したいのは、私の『家族のような』こどもたちなの」
「はい」
「こっちへ」
通されたのは、広々とした空間。
壁面の一部は大きく取られたガラスで、陽光が眩しいばかりに入ってくる。入口には『研究室』と書かれてはいたものの……
ここは、本当に研究室だろうか?
みのるはカシオペア邸に入った時と同様、呆気に取られて辺りを見回した。
児玉邸にも『研究室』はあった。だが、父親しか入れず、小さなみのるが入ろうとすると、母親にいつも留められていた。
『みのる、ここはねパパが大事なものを研究しているのよ。もし、大事なものを無くしたら困るでしょ。みのるは、入らない方がいいわね』
『でも、パパの仕事見てみたいなぁ』
『いつかね。必ず、見せてあげるよ』
あ、ちょっと泣きたい気分。
みのるは自分の涙腺が緩むのを感じた。
そう、母との約束だった。
いつかはパパの仕事を見せてあげる。でも、『パパの仕事』を見に行って、事故に遭ったのだから。
「みのるさん?」
「あ、はい」
座るように促された椅子に、みのるが腰かけたのを確認して、カシオペア博士は近くにあったコンピュータを作動させる。
「あなたの前にある機械、プロジェクターって言います。良く見ていてね」
「……はい」
ヴン。
微かな電気音。続いたプロジェクター上に円形に生まれた淡い灰色の光。縦に走るノイズと、微かな硝子色の何か。
一瞬見惚れていたみのるだったが、すぐにそれらが変化を起こすことに気づいた。
「え?」
加速度的に輝きを増していく。淡く、濃く、エメラルドグリーンの輝き。線を、螺旋を描いて、光はその面積を広くする。
そこに一人の少女の姿を描き出すのに、数瞬しか必要としなかった。
翠の双眸、碧の髪。あえかな微笑みを浮かべるその少女の左頬には、大きな【E】の文字が見える。美しい少女の姿。見惚れていたみのるの、意図を無視して、その少女の『3D写真』は声を発したのだ。
「いっらしゃいませ、みのるさん。わたくし、【A-E】EMOTION:Elemental Electro-Elektraと申します。皆様、エモーションとか、エレクトラとか、お呼びになります」
「え? え、え?」
「驚いたかしら? みのるさん」
あまりのことに、みのるは言葉すら出ない。カシオペア博士は、ゆったりと微笑んで、みのるの横に立ち、
「彼女は、私が製作した、コンピュータ・プログラム。でも、義体を持たない、コンピュータの中にだけ存在する、ロボットなの」
「……ロボット」
混乱する頭の中で、次第に整理がつけられる。『ロボット』という言葉に反応するところは、さすが児玉博士の娘といったところか。
「これがロボット」
「でもね、触れないの」
「え?」
『触れない』ということよりも、その言葉の裏に隠れた淋しげな口調に、みのるは思わず博士の顔を見上げた。博士の顔には、既に寂しさなど微塵に感じさせず、微笑みがあったのだが。
「彼女は私が作ったということでは、私の『娘』になるのよ」
「みのるさん、よろしくお願いしますね。こちらのお家のセキュリティ・プログラムも私が管理していますから、いつでも声をかけて下さいね」
「あ、はい……」
ロボット。
人と異なる、モノ。
なのに、こんなに人に近い。
みのるは、眼前で笑顔で博士と会話を交わす少女が、プログラムだとは信じ難かった。否、信じることを否定していた……。
「コードは、どうしているかしら? エモーション」
「お呼びか? 博士」
エモーションが応える前に、次なる声が降ってきた。
白く輝く螺旋、それを包み込むような双の翼。
そこに、エモーションの横に現れたのは、鋭い視線の青年だった。和風の服装が櫻色の髪によく合っている。
「みのるさん、こちらは<A−C>CODE。彼が私が製作したプログラムの中ではもっとも古いの。だから、エモーションの兄に当たるわ。彼も私の『息子』よ」
呆気に取られたみのるの、視線。
表情を極力消した、コードの視線。
二人の視線が絡んで、視線を外したのはコードだった。
「……俺様は帰る」
「お兄さま?」
エモーションの誰何も聞かず、コードは姿を消した。
エモーションがみのるに説明する。
「ゴメンナサイね、みのるさん。お兄さまはあの通り、頑固者で、偏屈で、ワガママなの」
「……エモーション、言いすぎよ」
苦笑しながら、博士が続ける。
「みのるさん、違うのよ。コードは照れてるの。自分に『新しい妹』が出来ることを」
「え?」
妹?
そっか、あのプログラムにしたって、目の前の『エモーションさん』にしたって、私の『お兄さんやお姉さん』になるんだ……。
しばらくして。
「お兄さま!」
怒り心頭のエモーションが、電脳空間に作られた純和風のコードの部屋を、ノックもせずに入り込んだ。
「お兄さま! あんまりですわ、みのるさんがいらっしゃったというのに、あのようなご挨拶ではいけないのではないですか!」
「……」
黙して語らないコードは、座禅を組むかのように、縁側に座っている。
「もう、知りませんわよ! これで、みのるさんに対するコード兄様の印象は最悪なものになってしまいましたからね!」
怒りを振りまく、エモーションにコードは相手すらしない。
ただ、コードの心をとらえていたのは。
あの、大きな漆黒の双つの眸。
真っ直ぐに自分を見つめていた、微かに潤んで、だが興味津々でプロジェクターの自分を見つめていた、みのるの眸。
博士の養女となったことに、何らかの疑問を持っていたコードだったがその眸が物語っていた。コードの疑念が杞憂だと。
そして、コードは思うのだ。
もう一人、妹が出来た。
自分で守れるものなら、守ってやりたい。
あの、大きな漆黒の双眸を、そしてみのるを。