An oath of eternity 4






「環菜さん、準備出来た?」
「うん」
振り返れば驚いたような表情を浮かべるエリカがいた。だがエリカはすぐに表情を変える。
「すごい、環菜さん! すっごく似合ってる! すっごく綺麗!」
「そう、かな?」
環菜は心配そうに自分の身体を見回した。
ドレスはなんとかクリーニングで潮の匂いは取れた。
ドレスに合わせてパールとシルバーをたくさん使ったアクセサリーを自分で作った。
ブーケも昨日仕上がったばかりだ。
でもなによりも、自分に似合っているかどうかが不安でしょうがなかったのだ。夕べ身につけてみれば、母・歌子と大輔は大絶賛してくれたけれども。歌子はともかく、大輔がそれほどセンスがいいとは思えないのでなおのことだった。
「変、じゃない?」
「全然!」
「そう…」
環菜は安堵の溜息を静かに吐いた。
そんな憂いのある表情ですら、今は美しく見えると言うことを環菜自身が自覚していないことに逆にエリカは驚いてしまう。
「環菜さん」
「ん?」
「幸せに、なってね」
「……………うん」
次の瞬間、ノックもせずに大輔がドアを開けて、慌てて言葉を付け足した。
「ごめん、いいかな」
「うん、いいよ………え?」
「大輔くん、それ…」
思わずエリカが指さしたのは、大輔の逞しい腕の中ですやすやと眠る幼子で。
大輔はきょとんとした顔でエリカを見ていたが、数回瞬きしてから、
「あ、この子は…」
「真子ちゃん?」
環菜が手にしていたブーケをエリカに預け、大輔に駆け寄る。
「わあ、真子ちゃんだ。ねえ、大輔くん、真子ちゃんでしょ?」
「おう、尚子さんが着いたから環菜の準備が出来てれば…って」
「ね、抱っこしていいかな? 大輔くんってば」
「大丈夫か? 環菜のドレス、いろいろついてるから当たって起こしちゃうだろ?」
「あ…」
環菜は一瞬自分の胸元を見て、小さく溜息をついた。
「………………あとで尚子さんにお願いする」
「ああ」





「この度は、わざわざ呉までおいでいただいて、申し訳ありません」
歌子が深々と頭を下げると、大輔の両親は穏やかに笑って。
「いいえ。大切な、たった一人のお嬢さんの結婚式ですし。大輔が何よりこちらで、と望んだそうですから」
「……はい」
「それよりも、私たちの方がお詫びを申し上げなくては」
少し大輔に似た面影の父親が頭を下げ、その横で母親も深々と頭を下げた。歌子は訳が分からず、慌てながら、
「そんな、お父さん、お母さん、顔を上げてください」
「息子の…あんな危険な仕事をしている息子のところに、よく大切なお嬢さんをくださることを決めてくれた…お礼とお詫びを申し上げなくては、とずっと思ってました」
「……………え」
「大輔から聞きました。ご主人を海で亡くされたとか」
心の深奥が、微かにざわめくようだった。
だが、本当に微かなざわめき。
歌子はその思いを押し殺して、首を横に振った。
「はい。でも、環菜と大輔くんのことは別ですから」
「…………伊沢さん」





優しい、だけれども頼もしい夫であり、父だった。
いつものように、笑顔で仕事に行った。
新しい船。修理の終わった船。そんな船を沖に曳航する仕事に、夫は誇りを持っていた。
そしてそれ故に、命を落とした。
いつものように、笑顔で仕事から帰って…来なかった。
海を、憎んだ。
夫を連れ去った、海を。
だから、娘が海上保安官とつきあっていると聞いた時の、心の深奥の、まるで全てを凍らすようなざわめきを、歌子はそのまま口にした。
付き合って欲しくない。
環菜と別れて欲しいと。
だが、大輔は言った。
必ず生きて帰る。
環菜を守る。
環菜を守れないと思った時は、海上保安官を辞めると。
その言葉を聴いて、歌子の心のざわめきが僅かに凪いだ、そんな気分になった。
だから今は微笑んで言える。
「……………大輔くんは環菜を守る、と言ってくれました。その言葉を…信じてみようと思うんです」
「伊沢さん…」
「だって、そうでしょう? 信じることが、大切でしょう?」





閉じられた扉の向こうでは、パイプオルガンの重厚な音色が響いていた。
大輔と環菜は、チャペルに入るのを扉の前で待っていて、かなり緊張した面持ちの大輔は、ぶつぶつと式次第を思い出していた。
「大輔くん」
環菜の呼びかけにも最初、上の空だったがすぐに環菜の顔を覗き込んだ。
「…………ん? なんか言ったか?」
「うん。あたしたち…」
環菜が大輔の耳元で囁いた。
たった二人しかいない場所で。
二人にしか、聞こえないささやきで。





紅い絨毯の上を、二人で歩く。
組まれた腕は、逞しく引き寄せられて。
それだけで環菜は幸せな気分になった。
歩を進めながら見上げれば、緊張しているのだか、にやけているのか分からない大輔の複雑な表情があって。
絨毯の両脇では、吉岡が、エリカが、三島が、笑顔の友人たちが、尚子と真子が、そして歌子と大輔の両親が見つめている。





海水浴には少しだけ季節が過ぎてしまったためか、海辺のカクテルバーにはほとんど客がいなかった。
大輔たちが結婚式のあと、家族との会食をしている間、友人たちはここに繰り出すのだと、エリカからメールを貰っていた環菜は大輔と慌てて駆けつけた。
「遅いっすよ、大輔さん、環菜さん!」
「わりい、わりい…ってほとんどいないじゃねえか」
「仙崎…もともと、結婚式にあんまり招待してなかったんだから、仕方ないだろう」
ネクタイはとっくに外してしまった三島が冷えたビールグラスを仙崎に渡す。本当に数えるほどしか残っていなくて、エリカによれば環菜の友人たちも既に引き揚げ、三島によると4人ほど集まった『平成16年前期組』も、三島に伝言を残して3次会に出かけていた。
「伝言?」
「………そのまま伝えるからな。幸せボケを待ってやる義理はない…とっとと鹿児島に帰りやがれ…とのことだ」
「………………なんだよ、それ」
グラスを合わせれば、高い音がして。
三島は吉岡が注いだビールを一気に飲み干して、グラスをテーブルに置きながら立ち上がった。
「伝えたからな」
「おい、三島。まさか帰るのか?」
「明日は…マルナナマルマルから仕事だ」
普通に7時って言えばいいじゃないか。
大輔は言いたかったけれど、どうやら酔った様子の三島を指摘する勇気はなくて、小さく手を振った。
「分かった。じゃあな。今日は式に出席してくれてありがとうな」
「ああ。幸せにな」
幾分ふらふらしながら歩いていく三島の後ろ姿を見送って、大輔は小さく溜息をついて周りを見回した。
「結局…この4人か」
「なっちゃったね」
環菜がエリカとつまみを運びながら、吉岡と大輔の前に並べた。
「なんか寂しいっすね」
「何言ってんだ、鹿児島で式するって言ったら機救隊上げてか、場合によっちゃあ管区あげて式に取り組んでくれるけどなぁ…吉岡、お前なら分かるだろ?」
「あ…だから呉にしたんですか? 確かに呉なら、まあ…」
二人が揃って溜息をついたので、同じテーブルに座ったエリカが不思議そうに環菜に問う。
「環菜さん…どういう意味?」
「あのね、なんか芸がすごいんだって」
くすくす環菜は笑う。
環菜にしてみれば、大輔の言う『いやあ、半端なくキツイからなぁ…』も、吉岡の言う『環菜さん、ダメっすよ。絶対記憶というより記録に残る式になっちゃうから! いや、それで大輔さんと別れるなんていいだしたら…』『そんなわけねえだろ!』…大輔のツッコミまで入った否定を押しのけてまで、結婚式を盛大にしたかったわけではないのだ。
「はあ…芸、ねえ」
「みんなが全力で盛り上げてくれるけどなぁ…」
「あれは…ちょっと、周りはひきますよね」
肩を落とす機動救難士二人を完全に無視して、エリカは環菜に言った。
「環菜さん、式に来てた赤ちゃん、可愛かったけど…あの赤ちゃんって?」
「ん? ああ、池澤さんって言って、大輔君が横浜にいた時、すごくお世話になった人の奥さんなの。真子ちゃんって言うんだけど、あの赤ちゃんが生まれる時に、あたし、すぐ外の廊下でいて…」
環菜は少し小首を傾げながら、微笑んだ。
「すっごく嬉しかった」
「…うん」
「池澤さんはね…大輔くんのバディだったの………………真子ちゃんが生まれて10分くらいだったのかな? 亡くなったの」
「え」
環菜の微笑みは、相変わらず絶やされぬまま、驚きのあまり立ち上がってしまったエリカを見つめる。
「尚子さん…真子ちゃんのお母さんが池澤さんの死亡証明書と、真子ちゃんの出生証明書を見せてくれたの。少しでも…家族でいられた時があってよかったって」
気づけば大輔と吉岡は浜辺で、観客のいない漫才を繰り広げていた。
環菜はその漫才に視線を移して、
「エリカ」
「……ん?」
「生きてるって…大事だよね」
「…………うん」
「あたしたちは生きていくんだよね」
「………………環菜さん」
 環菜の目は、だが優しく、穏やかで。
「生きていくんだよ。大輔くんが工藤くんや、池澤さんの思いを受け継いだように。あたしも、生きていく。大輔くんを支えるの。そう…………決めたんだよ」
エリカは静かな環菜を見下ろして、なぜか納得した。
美しい、と思った。
ウェディングドレスを脱いでも、環菜は美しい。いや、それでなくても急に美しくなった。同性のエリカが見ても、そう思えるほどに。
それがどうしてだか、急に納得できた。
強く、なったのだ。
愛すること。
信じること。
支えること。
環菜はそれを知って、自分の道を決めた。





エリカの前で交わされた誓い。
燦々と降り注ぐ陽光は、聖母と神の子を示す色鮮やかなステンドガラスによって色を得て、純白のウェディングドレスの上に降り注いだ。
薄いベールを上げて、幸せな微笑みを浮かべる花嫁に、
癒されたような笑みを浮かべた花婿は、
一瞬周りが気になったような照れくさそうな表情を浮かべて。
啄むようなキスを、その唇に落とした。
そして、誓う。
永遠の誓いを。
病める時も、健やかなる時も、死が分かつまで愛することを。





← Back / Top / Next →