002 鳴らない電話





静まりかえった部屋の中で、嶋本は携帯を見つめていた。
広げたままの携帯。
画面には現在の時間しか表示されていない。



かけようか。
かかってこないのか。
綯い交ぜの迷いが、嶋本の動きを止めていた。



どうすればいいかなんて、わかってる。
短縮で一番最初に登録されている番号を押せばいい。
職業柄、さとりは決して携帯電話の電源を切らない。だから、どこにいてもまず連絡がつくはずだった。



「どうした」
はじかれたように顔をあげると、コーヒーを差し出す上司の姿があった。
「あ……、ありがとうございます……」
真田の差し出すマグカップを受け取って、嶋本はわざと明るく言った。
嶋本の所属する3隊の宿直は、穏やかな時間が流れていた。既に嶋本と真田以外の4人は仮眠に入っている。
「今日は、海難もなさそうですね。昼間も天気がよかったから」
「……海難はないに超したことはない」
「そうですね」
「何を、迷っている?」
見上げれば、痛いほどの真田の視線に耐えられず、嶋本は視線をそらせた。
すぐに苦笑が返ってくる。
「まったく、お前はわかりやすいな、シマ」
「え?」
「俺に反論できないときは、そうやって視線を外す。だからわかりやすいと言ったのだ」
「………………そうですか」
神兵と称される、真田甚。
5管で潜水士だった嶋本の憧れの人でもあった。
同じ隊、それもバディとして指名されたときは本当にうれしかった。
今でも同じ隊で救助にあたることがどれほど名誉なことと実感できるか。
だが、レスキューばかりが突出していて、この神兵は人間的に「ぬけている」ところがある。そんな彼に「わかりやすい」といわれて、嶋本は思わず絶句してしまった。
「何があった」
「………仕事には関係ないことなんですけど」
言いたくなかった。
さとりのこと、というよりも。
自分の行為が、間違っていることがわかっていたから。
それをかつての憧れの人に指摘されることが、なんだか悲しかったから。
だが神兵は遠慮なく告げた。
「関係あるだろう」
「え?」
再び視線を交えれば、真田は穏やかに微笑んでいて。
「こうやって、当直の時まで悩んでいる。それは…仕事に関係しているだろう」
「…………ええ」



パコ。
携帯を開いてみても、そこには時間表示しかなくて。
着信あり、も。
新着メールあり、も。
表示されていない。
「………………」
さとりは深く溜息をついて、ベッドに飛び込んだ。
スプリングが微かにきしんだ。軽く数回跳ねて、さとりの身体は昼間の太陽の匂いと、僅かな嶋本の匂いに包まれた。
朝来た時には、もう嶋本の姿はなく。
リビングのコルクボードに貼られた予定表で、今日が当直だとさとりは知った。
いつもの通り、部屋を片づけ、布団を干して、料理を大量に作って、冷凍する。
いつもと違うのは、嶋本からの電話がないのと、さとりの呟きがあること。



「進次の、ばか」



まだ、電話は鳴らない。
さとりは小さくため息を吐いて、嶋本と太陽のにおいに包まれながら、ゆっくりと目を閉じた。




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