さとりはゆっくりと目を開けた。
夢を、見ていた。
まだ知り合った頃の嶋本との、穏やかな会話。
この人とだったら、つきあえるかも知れない。
そう思えた時のこと。
さとりは小さく溜息を吐きながら、視線の先にある携帯の画面を見つめた。
開いたままだったので、画面は暗くなっていた。
だが、変化は突然訪れた。
画面は急に輝き、着信を知らせる。
嶋本進次。
そう書かれた着信画面に一瞬ぼんやりしていたさとりは慌てて受話ボタンを押す。
「もしもし?」
『あ、さとりか? すまんな、こんな時間に』
密やかな呼びかけに、さとりは平常を装って答える。
「うん。どうかした?」
『…ほんまは、顔見て話したかったんやけどな』
溜息混じりに吐き出された言葉に、さとりは答えを返せない。
『今、どこや?』
「どこって…進次の部屋」
『ああ、すまんなぁ。非番やったらつきあえるんやけど…って、そんな話をしたいんやないわ』
電話の向こうで、一人でボケツッコミをしている男の、独り言のような言葉をさとりは聞いていた。壁にかけられた時計は、午前4時。かすかに肌寒さを感じて、さとりは小さく身震いして、掛け布団を手繰り寄せる。
『今日は当直で、官舎帰られへんからな…あんな、さとり』
「ん?」
『すまんな』
「……え?」
『俺、お前の為を思うて、別れた方がえいと思うたんや。言い訳…みたいやけど、離れてて暮らしてて、お前は大阪で医者としてやっていってるんやし。だから…手放すことも、お前のためやと思うてたんや』
「…………進次」
いつだって、さとりよりおしゃべりな嶋本の、あまりにも言い訳じみた言葉にだがさとりはようやく強張った表情を崩して笑んだ。
「進次のばか」
『なんやそりゃ、あほ言われるよりむかつくわ』
そして、嶋本は告げる。
『俺ともうちょっとつきあうてくれるか? 俺の…わがままかもしれんけど」
さとりの答えは最初から決まっていた。
「………………進次のばか。今更、確認する必要なんてないでしょ」
『………………そうやな』
「今日は当直あけたら、休みがあるんでしょ」
『おう。ああ、ボード見たんか』
さとりは自分の体温で幾分温かくなった掛け布団の中で、穏やかに言った。
「早く、帰ってきてね。朝ご飯準備して、待ってるからね」
『………』
その沈黙は、嶋本のため息で破られて。
『さとり』
「ん?」
『おまえ、新婚さんみたいやな』
「あ、そうだね」
『………こういうのも、えいなぁ』
「そう?」
『10時には帰るわ』
「うん。待ってる」
小さなわがまま。
だけどね、進次。
それを決めるのは進次だけじゃないんだよ。
あたしにだって、決められるんだよ。
あたしは最初から決めてるの。
進次の隣で、生きていくって。
そう、決めてるんだよ。
それが、わたしのわがままだから。