005 のど飴





「ひっま、やなぁ〜」
嶋本が大きく大きく息を吐き出しながら、空を見上げた。
澄み切った、コバルトブルーの、雲一つ無い空。
「海難がないことは、いいこと、でしょ。シマ」
「そやけど」
嶋本は言葉を飲んだ。
その先は思ったとしても、口にしてはいけない気がしたから。
同じ3隊の高嶺が嶋本に小さな袋を投げて寄越しながら、
「ヒヨコ卒業したてだから、身体が鈍る?」
「……」
半年前まで、新人研修でいやというほど体を動かしつづてけていた嶋本にとって、ただ待つ、という行為は幾分つらいものだった。
高嶺が投げて寄越したのは、小さな飴で。
嶋本は無言のまま、飴を口に放り込んだ。すぐに苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべて、高嶺に言った。
「これって…」
「龍角散ののど飴。最近、シマ声の感じが変だから。前に風邪が喉に先に来るって言ってたでしょ」
救急救命士の高嶺はそういうことに鋭い。嶋本のかつての会話まで覚えていた。
「でも、風邪が喉に最初に症状が現れて、熱になるってよく把握してるね。なかなかわかんないのに」
高嶺に関心されて、嶋本はそういうものかと首を傾げた。
だが、嶋本の風邪の症状を把握していたのは医師であるさとりで。
『進次の風邪は喉に先出るから、わかりやすいね』
『そうか?』
かつて何かの拍子にその話をしたことは覚えていた。
「明日は非番だから早く帰って…て、確か黒岩隊長と飲み会?」
嶋本は嫌な現実を思い出して、溜息を吐いた。
そう言えば今日出勤してくるなり、黒岩隊長に捕まって、今夜飲み会!と宣言されたことを。
「今日中に帰れるやろか…」
「大人しく家に帰った方がいいんだけどね」
黒岩は嶋本の教官だった。
新人隊員にとって、教官隊員は自分か教官が特救隊をやめない限り、尊敬できる相手か、ふりまわしてくれる相手か、どちらかだ。嶋本にとっての黒岩はどちらかといえば後者だろう。事情を知るだけに高嶺も強くは言えない。
嶋本は決して美味とは言えない飴をなめながら言った。
「ま、がんばるしかないやろな」
「無茶しないようにね。明々後日、大阪に帰るんだよね」
「…そうやった」
「かぜ、引かないようにしてね」
高嶺の言葉に、嶋本は渋々頷いた。



今、風邪引いて寝込むわけにはいかんのや。
さとりに、いわないかんことがあるんやから。
嶋本は、コバルト・ブルーの空を見上げながら、左手を小さく握った。




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