019 望まない決断





「そう、ですか……」
小さく小さくため息をはいて、曽田淳一郎は項垂れた。



最近、一日が経つのが早い。
時間の流れが速い気がする。
今日も気づけば夕方。
夕焼けに染まるガラスを見やれば、その向こうに眩しいほどの太陽が鎮座している。
白衣のポケットに入れておいた携帯がブルルと揺れた。
こんな時間に携帯を鳴らすのは一人しかいない。
さとりはすぐにでも携帯を確認したかったけれど、ここは総合待合ホール。
思わずにやけてしまうだろう表情を、患者たちの前で晒すことはできないと認識できる意識はまだ残っていた。



告白されて、1週間。
嶋本は朝に、晩にメールに電話を寄越す。さとりも嬉しいけれど、だが四六時中相手ができるわけではない。
バイブの様子から、メールだとわかってさとりはだが心を引き締めて、宿直室に帰るまでは携帯を開けないことを決めて、歩を進めた。
だが、そんなさとりを呼び止めた男性の顔を、さとりは見覚えがあった。
そしてすぐに名前を思いだす。
「曽田、さん?」
「ええ。お久しぶりです、氷野先生」



ごろりと横になって、嶋本は携帯の画面を覗き込む。
着信もメール着信もない。
だが、思わずにひと笑ってしまう。
きりりとあがった細い眉が思わず垂れ下がって見えるほど、最近の嶋本は脂下がっていた。
「さとり〜、返事まだかいな〜」



「やっぱ、そうでしたか」
「進次…じゃなかった、嶋本さん、そんなにわかりやすいんですか」
さとりが問えば、嶋本よりもいくぶん背が高い曽田が肩をすくめて、
「もう、最近はほけほけ度がひどくって。仕事はミスりませんよ、あいつは仕事は絶対に手えぬかんやつやから。やけど、それ以外は」
「ぽややん大王になってるでしょ」
さとりの例えに、曽田はひとしきり笑って。
「陸に上がっても、まだ脳内ゆりかごになってますわ。あれじゃあ…」
俺、安心して陸の勤務に移れませんわ。
曽田の言葉に、さとりは眉をひそめた。



曽田淳一郎。
嶋本よりも5歳年上で、同じ保大卒業生であり、潜水士でもある。
潜水士とは、海上保安官の中でもごく少数、優秀な者だけが選ばれるのだという。その割合、保安官の1%にも満たない。
中でも曽田は、来年あたり特殊救難隊からスカウトが来るだろうといわれるほど優秀なのだと、さとりは嶋本から聞かされていた。
だが、陸の勤務に移るというのは、どういう意味だろう。
さとりは、最近ようやく増え始めた海保の知識を総動員しても、理解ができずきょとんとした表情のまま、曽田を見つめた。
「陸、ですか」
「ええ。潜水士やめて、陸上勤務に移ろうと思うてます」
「……理由を伺ってもいいですか?」
曽田は鷹揚に頷いて、静かに言った。
「無理の利かない、身体ということですわ」




← Back / Top / Next →