020 選んだ未来





その辞令書が、巡視船内の掲示板に張り出されたのは、今日の朝だった。
嶋本はそれが嬉しくて嬉しくて、さとりにメールをしたけれど、もちろんさとりが勤務時間内であることは理解していたからすぐの返事は期待しなかった。
勤務表を見れば、巡視船内で一番その辞令について伝えたかった曽田は今日は急遽休みになったという。
『病院に行くそうだ』
保安部内で辞令のことを教えてくれた麻前船長にそう告げられて、膨れ上がっていた嶋本の気持ちが幾分沈んだ。
『だが、嶋本。よかったな。がんばって来い』
ぽんと肩をたたかれて、嶋本は満面の笑顔で敬礼する。
『はい』



それは嶋本進次に潜水研修を命じる辞令だった。



「今度のことだけじゃないんですけどね」
本人から告げられた病名に、さとりは思わず目を細めた。
聞きなれない病名。
完治しない病ではない。
だが、それは人によっては確実に日常生活まで奪ってしまう病。
ここ京阪大学付属病院では、専門外来を設けるなどして門戸を広げつつある。
「だけど、潜水士は止めろといわれました」
「……わからないことだらけですから」
「そうですね。やけど、俺は続けたい言うたんです。そしたら雪森先生に言われました。命の保証は、できんて。先生、俺はそこまでして潜水士を続けるわけにはいかへんのです。俺には……家族がある」
ぎりりと握りこまれて真白になったこぶしをさとりはぼんやりと見つめていた。
潜水士であること。
それは保安官にとって、選ばれた者であるという認識をもたせるものだということは、嶋本を見ていてわかった。
だが同時に危険も伴う。
「来年には小学校あがるんです、上の息子が」
「……曽田さん」
「はい」
「このこと、進次は」
「知りません。つうか、さっき診察受けたんで。まだ誰にも言うてないんです。でも」
顔を上げた曽田はまっすぐにさとりを見つめて言った。
「決めたんです。そうしないと、いけない」



それは、望んだ未来ではない。
それは、選びたかった未来ではない。
だが、選ばざるを得なかった未来だ。
家族のため。
自分の身体のため。
曽田は、選んだ。



ベッドでわくわくと身悶えていた嶋本の携帯がブルルと動く。
嶋本は慌てて、携帯を見た。
かけてきたのは、さとりだった。
嶋本は満面の笑みで受話ボタンを押して、一気に言った。
「さとりか! あんな、聞いてほしいことがあるんや。俺、俺な、来月から呉に行くんや。呉で、潜水研修受けて、潜水士になるんや」
『進次……』
 華やいだ進次の声とは裏腹に、さとりの声は沈んでいた。
そして、静かに真実を紡ぐ。
『進次、落ち着いて聞いてね。さっき曽田さんに会うて、話した。あのね……曽田さん、船を下りて陸上勤務に移るんだって』




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