024 無敵な彼女の微笑





「立派な、風邪です」
にっこりと微笑みながら、耳の聴診器をはずす女医のネームプレートには、『氷野さとり』とかかれていた。
五十嵐は上着を直しながら、こみあげてきた咳をひとつして、頷く。
「そうですか」
「ごめんなさいね、なんだか騒動しちゃってる間にお待たせして」
電子カルテに書き込むために軽やかにキーボードをたたく女医の手元を見ながら、五十嵐が言った。
「先生」
「はい?」
「自分、明日あさってと休みなんです」
「はい」
さとりは一瞬キーボードを打つ手を止めて、五十嵐を見た。
美人だ。
切れ長の目、化粧栄えしそうな顔。
入ってきたときに思った。
誰かに似ている。
だが、誰かはわからなかった。
「あ〜、わかりました。休みの間に、完治したいんですね」
「はい」
サラリーマンによく相談されるのだ。土日の間に、完全回復できないかと。
さとりはいつもと同じように応えた。
「断言はできないですね。でも治す方法はありますよ」
「どんなものですか」
「免疫力を使うんです。つまり、できる限り熱を出させるだけ出させる」
「………」
「そうすれば、早く直る……とされてますけど。でも、熱に体力を奪われて、なかなか回復できないので抗生物質で抑えるのと大して変わらない人もいますけど……」
さとりはちらりと五十嵐を見た。
さきほど胸音を聞いたとき、ちらりと見た胸は女性の割にかなり鍛えられていて。
「五十嵐、さんくらい鍛えてらっしゃったら、回復早いかもしれませんね」
「わかりました」
やってみます、と簡単に答えた女性にさとりは苦笑しながら、
「熱があまりあがるようなら、明日でも来てください」
「はい……あの、ひとつ伺ってもいいですか?」
「どうぞ」
「先生は、専門はなんですか?」
さとりは思わず微苦笑してしまう。
おそらくこの女性はさきほどの自殺騒ぎと、子供の病状に過剰反応してしまった母親を見ていたのだろう。
だが、救急外来ではこういったことは日常茶飯事だ。
救急に入って半年と少し。
もう対処方法は身についてしまっている。
「自分は小児科ですよ。見えませんか?」
「小児科……そうですか。いいえ、そんなことないです」
ありがとうございましたと、えらく丁寧な挨拶のあと姿を消した女性のカルテをもう一度確認して、さとりはようやく思い至った。
「あ」
そうだ。
少しだけ、嶋本に雰囲気が似ているのだ。



少しばかり割高な診察料を支払って、五十嵐は思い至ったように声をあげた。
「あの」
「はい?」
「氷野先生の診察日はいつですか?」
「氷野先生ですか?」
会計担当者が何かメモを見ながら応えた。
「今週は明後日になってますね。それから金曜と」
「そうですか、ありがとうございました」



病院の玄関を出ながら、五十嵐はなんだかこみ上げてくる笑いをこらえきれなかった。
おもしろい。
なんだか、面白い医者を見つけた、と。




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