025 尾行





さとりは気づいていた。
いや、その異様さに気づいてないのは嶋本だけだろう。
席を同じくする誰もがそれに気づいて、いっしゅんぎょっとして、やがて席をはずしていく。
繁盛している屋台なのに、明らかに嶋本とさとりの周りだけ、奇妙なほどに誰もいなかった。
「やっぱり、呉の屋台で食うお好み焼きは味がちゃうなぁ、なあ、さとり、そう思わんか?」
満面の笑み、嶋本の細い眉がきりりとあがっているのが、さとりは微苦笑しながら見つめて静かに言った。
「ね、進次」
「あ?」
「あたしの左肩、その後ろをそぉっと見てくれる?」
「なんや、虫でもついとるんか……」
促されるまま、さとりの肩を見て。
嶋本は一瞬目を疑って。
それから全速力で立ち上がり、屋台の入り口まで駆けていった。
屋台の出入り口といっても、ちょっとした幕でしかない。嶋本がその幕を払いのけるようにおしあげると、低音の悲鳴が聞こえた。続いて、嶋本の怒声も。
「うわ〜、バレたバレた」
「どいつもこいつも……あほか〜〜〜〜〜〜!!!」
さとりは麦茶を飲みながら、怒声に驚いて肩をすくめている店長に軽く頭だけ下げた。



ことの始まりは、今日の午後。
宿舎になっている部屋で、大の男たちが騒いでいた。
その中で声を嗄らして宥めているのは、大友教官だった。
「おまえら、少しは俺の言うこと、聞け〜〜〜」



海上保安大学校研修科潜水技術課程研修生として認める。
その声を聞いて、16人が一斉に敬礼をしたのが、10日前。
潜水士になるため、身体、心を鍛えるための訓練が始まって、嶋本始め16人はもう限界に来ていた。
そして10日目がやってきた。
午前中は訓練があったけれど、午後からは潜水研修に入って始めての休日。それも外泊許可付きという、とっておきの休みだった。
限界まで来ていた一同の『リフレッシュ』にこの休日が用いられるのは目に見えていた。
既に地元6管出身者をつかまえて、合コンをやるだの、飲み会をするだの、相手は地元の保母さんだと、盛り上がっている中で嶋本は黙々と出かける準備をしていた。
「お前らな、ええか、絶対に羽目外しすぎるなよ、国家公務員としてだな、理性ある行動を!」
大友教官の声など誰も聞いておらず、教官はすごすごと部屋を出て行くしかなかった。
「嶋本、お前も行くだろ?」
潜水研修中、嶋本のバディを勤める3管の結城が嶋本の後姿に言う。だが嶋本は後姿のまま、応えたのだ。
「いや、俺はえい。俺は約束があるんや」
「約束?」
「ああ、知り合いが呉に来るんや」
一瞬沈黙の間に、自分の言葉が流れたことを嶋本は知らない。
「知り合い?」
「ああ、そや」
女だ。
絶対に、女だ。
それも。
よりもよって、
一番の『ミニマム』な、嶋本に。
呉まで追いかけてくる、彼女がいるなんて。
声に出さないまま、15人はアイコンタクトですべての意識を共有した。
「まあ、奥様聞きまして? 潜水研修生で一番ミニサイズな、研修生のこと」
「5管からきた、ちまもととおっしゃる方でしょ? どうかなさって?」
「なんでも、お連れ様がいらっしゃるそうなの」
不気味、である。
筋骨隆々の男たちが左手の項を右頬にあてて、ひそひそと語り合うけれど、すべての会話は丸聞こえ。
「絶対、女の方だと思いますのよ? 奥様はどう思われます?」
「ええ、私もそう思いますのわ。奥様は?」
「そうですわねぇ」
相当気持ち悪い光景である。
嶋本は声をあげた。
「なんや、悪いんか!」
「いや、悪いことはないが……どういう相手?」
結城が聞き返すと、嶋本は俯いたまま応えた。
「彼女や」
「へえ、彼女」
そのとき、嶋本は初めて漂う空気の異様さに気づいて顔を上げた。
顔を上げれば。
そこには筋肉の壁があって。
「な、な……」
「嶋本」
「その彼女、俺たちにも見せるよな?」
「そうだ、合コンに連れてこい」
「いいアイデアだ」
「うむ、そうすべきだ」
マッチョな男たちの隙間をするりと抜けて、嶋本は抜け出した。
妙な尾行などないと確認しながら、呉駅でさとりを迎えたはずだったのだが…。



「なんでおるんや!」
「いや、それはなぁ……」
「偶然見かけたから、どこ行くんかいなぁと……」
小さな嶋本に正座させられた総勢15名。
仁王立ちの嶋本は鼻息も荒く、
「まったく、油断も隙もないな」
「……つうか、こんなメジャーどころにいてるお前が悪いんやろが」
一人の抗議ももっともだとさとりは微苦笑する。
外の様子が気になっている店長に頼んで、まだ手をつけていない料理と新たに何品か料理を頼み、それらを折箱につめてもらって、清算する。
嶋本にさとりが連れられてきたのは、呉でも評判の屋台。
呉駅から屋台に向かうまでに、一番の繁華街を二人でのんびり歩いてきた。
嶋本とさとり、二人の組み合わせがある意味目だってしまうことはさとりも自覚していた。
嶋本進次、身長164a。
氷野さとり、身長179a。
どちらかを見知っていればなおのこと、目立っただろう。
さとりは折箱をつめこんだ紙袋を持って、立ち上がった。




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