026 もういちど





「まったく、あいつら」
「進次、文句をいうか、食べるか、どっちかにした方がいいね」
ホテルの部屋で缶ビールのプルトップを開けて、さとりは一口飲んでほっとため息を吐く。
「う〜ん、やっぱり風呂上りのビールは最高♪」
「おばん」
「ん? どの口が言う?」
人差し指で嶋本の額をこつんとたたくと、さとりは食べるのに忙しい嶋本に麦茶のペットボトルを渡す。
「う……」
「でも進次も鈍いよね。ずいぶん前から、ご一行さま覗いてたんだから。さすがに気づいたときはぎょっとしたよ」
さとりはベッドに腰掛けると、予想以上に効いていたスプリングで、ビールをこぼしそうになった。
「とっと」
「なんや、そうやったんか」
「あんな大きな人たちが身体ちいちゃくしてたらね」
下手な尾行、だった。
だが、ほほえましいものだったから、さとりは仁王立ちしている嶋本に声をかけながら、救いの手をさしのべたのだ。
「始めまして、氷野さとりと言います」
「あ、はじまして、自分は田内正和と言います!」
「朝野允と言います、博多出身です」
次々に挨拶をする筋肉の壁にさとりは微笑みを浮かべながら、しかしそれぞれにちゃんと挨拶をする。そして最後に少し前に嶋本に聞かされた言葉を言った。
「あの、みなさんは合コンだと聞いたんですけど……相手の方が待ってらっしゃるんじゃ?」
「え?」
「あ?」
その一言にようやく我に返ったご一行さまが竜巻を引き起こす勢いで去っていったのを、嶋本はあっけにとられて見つめていた。
「おお、すご……」
「ん? そうだったんでしょ? 進次、ご飯、詰めてもらったからホテルで食べよ」



呉は坂の町だ。
少しだけ高台にあるホテルは眼下に呉の町並みを、少し視線を遠くに向ければ、海上自衛隊の艦船の常夜灯が見える。そのまた向こうには瀬戸内海を航行している船の明かりもかすかに望むことができる。
「あの辺に保大があるんやけど……まあ、見えんわな」
「ふーん……そうだ、明日学校の資料館、行ってみよっかな。なんかあるでしょ?」
「まあ、あるのはあるんやけど…」
嶋本は視線を泳がせる。
正直、お勧めできない。
海保と巡視船に興味がないと、まったくの『資料庫』にしか見えないのだ。保大の授業の一環で何度か行ったことはあるけれども。
「ペンギンがおったなぁ」
「は? ぺんぎん?」
「そや。ペンギンの剥製やな。あとは…昔の制服と、ベルか」
「……どうしよ、明日行くのやめよかな」
「まあ、そういわんと」
けららと笑う嶋本の口元にさとりの細い指が伸びた。嶋本がきょとんとした表情を浮かべると、さとりが米粒を自分の口元に運ぶところだった。
「おこさま」
「うっさいわ」



「ねえ、進次」
「あ?」
「先週、曽田さんに会ったよ。治療で外来にいらしてて、わざわざ顔をだしてくれたんだよ」
「……そっか」
来月、お前が帰ってくる頃には、俺は陸揚げされてんな。
元気で潜水士、やれよ。
さしのばされた手を握れば、いつもと同じように暖かく、力強く。
なのに、次にここに帰ってくるときに、この人はいないのだ。
ずっと目標だった、男は。



「治療方針が決まったって。で、完治が認められたら、潜水士として船上勤務に戻ることを考えてるって。それを上司に言ったら、それも構わないだろうって、認めてもらえたって」
「え?」
さとりは満面の穏やかな微笑のまま、嶋本の頬に触れる。
「よかったね。もういちど、潜水士の曽田さんに会えるよ」
「ああ……そうやな」



いつか、会おう。
そう告げた男の掌の温かさと、力強さを。
嶋本は思い出していた。




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