028 見えないモノ





さとりが携帯を開けば、1件のメール着信。



とったで!



その一言。
さとりは微笑んだ。



つらかった。
精神的に、肉体的に限界にまで追い詰められた。
辞めたいと、もらした同期もいた。
それでも互いを励ましあい、全員そろって潜水士資格を取得出来た。
そして、今日、そろって保大を後にする。
「嶋、氷野さんによろしくな」
「ああ…って、なんでお前に」
「いいじゃん。お前の彼女くらいしか、呉に顔出さんかったんやからなぁ」
にひゃにひゃと笑う筋肉の壁に、一瞬感慨を持っていた自分が情けなくなり、嶋本は細い眉をぴりりと上げて。
「くぉら、ええかげんにせんかい!!! さとりはお前らのおもちゃとちゃうで!!!」
「へえ」
「じゃあ、嶋のおもちゃなんか?」
「ちゃうわ」
さらりと反された惚気に、15人の上体が揺れた。
「あいつはおもちゃどころか、俺の宝ものや」
がっくりと項垂れた15人は、視線だけで互いの意思を交換した。
すなわち。
「じゃあな、横浜来る時は連絡しろよ〜」
「おう。北海道もだぞ〜」
三々五々に散っていく一同に、嶋本が怒声を浴びせたけれど誰もこたえず。
ただバディをつとめた結城だけがしばらく進んでふりかえり、声をあげた。
「嶋」
「あ?」
「また、会おうな」
「……おう」



車窓に映る、自分の顔。
たった40日前、呉駅に降り立ったときと、プラットフォームにいる今の顔。
違うように見えるのは気のせいだろうか。
少しだけ、成長したような気がするのは、気のせいだろうか。
そのとき、携帯がメールの着信音を鳴らした。
嶋本はゆっくりと携帯を開いて、思わず笑顔になる。



新大阪に何時着?
迎えに行くよ。



空気音に続いて、一斉に新幹線のドアが開いた。
そこからサラリーマンやキャリーバッグを持った中年女性…老若男女があふれ出た。
さとりは黙然と見つめていたけれど、やがて穏やかに微笑んだ。
きょろきょろとあたりを見回す嶋本が、さとりに気づいて表情を変えた。
「さとり」
「おかえり」
「おう」
にままと笑ってみせて。
嶋本が少し顎を上げて、さとりの顔を覗き込む。
「ん?」
「いや、俺……なんか、変わってへんか?」
「んん?」
さとりは嶋本の顔を覗き込み、双眸を覗き込み、そしてゆっくりと言った。
「ごめん、わかんない」
「……まあ、目に見えた変化、言うほどのことはないんやけどな」
幾分残念そうな嶋本をさとりは微笑みながら見やって。
「ね、ご飯は?」
「まだや」
「そう。じゃあ、うちでご飯準備してきてるから。お祝いだけど…お家の方は」
さとりが言うのは、嶋本の実家のことだ。
嶋本は鼻で笑って。
「あほ言うな。呉に行くことも、出張や言うてるだけや。さとりが飯、作ったんか?」
「うん」
「よっしゃ、気合入れて食うぞ!」
嬉しそうな嶋本の横顔を15センチ上から見下ろして、さとりは思う。
嶋本の、どこが変わったんだろう、と。




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