030 見えない星空





はあ。
吐き出せば、夜空に白い息が広がった。
それは寒さを確認するものではなく。
嶋本の、心を示すものだった。



潜水研修を終えて。
無事、潜水士となって戻った巡視船には既に曽田の姿はなかった。ただ、麻前船長が曽田が同じ神戸保安部の中、オペレーションルーム勤務の専門官になったことを教えてくれた。
そして、麻前は嶋本に辞令書を渡す。



そうして、嶋本は神戸保安部最大の巡視船に勤務することになった。



この1ヶ月は怒濤のように過ぎた。
あまりの忙しさにさとりに連絡すら滞り、さとりにやんわりとしかられたこともある。
だが、充実していた。
あまりにも、全力で疾走し続けて。
少し、足元を見下ろしたとき。
その、危うい場所に少し気づかされた嶋本だった。



また、曽田さんに怪我させたときと。
おんなじやないか。



1ヶ月で嶋本の周囲の環境は一変した。
神戸最大の巡視船で潜水士をしている。
それは、多くの保安官にとって憧れであり、目指すべき目標である。
実際、嶋本もそうありたいと思っていた。
まさか麻前から与えられた辞令に、今乗っている船の名前が書かれているなんて、想像もつかなくて。
麻前が船長を務める巡視船よりも遥かに多くの保安官がこの巡視船には乗っている。
そして、嶋本に憧憬の視線を向けるのだ。
舞い上がっていたのだ。
自分を見失っていたのだ。
だが、嶋本は自分でその過ちに気づいた。



曽田の怪我の遠因になった事故のとき、嶋本が起こしたミスも些細なものだった。
今度のミスも些細なもの。
そして、誰も気づかず、嶋本だけが気づいたミスだった。
だが、そのミスが大怪我を引き起こすことだってある。
曽田のように。



「あかんなぁ…」
停泊している巡視船の後部甲板にごろりと横になって空を見上げる。
雲が厚く垂れ込めて、周りに巡視船以外の灯りが見えない太平洋上でも、星空は見えなかった。
「俺、あかんなぁ…」
嶋本のため息に、答える者はいない。
嶋本は数回、自分に駄目だしをして。
気合一閃、起き上がる。
鼻息も荒く、立ち上がって小さく拳を握りこんで。
「よっし、もう一回や。ちゃんと目え、見開いて。最初からや」



後悔することは大事。でも、繰り返してはダメ。私たちは一瞬で判断して、命を救うことが求められているのだから。
かぐわしいコーヒーの香り。
ほの暗い待合で、さとりが告げた言葉を嶋本は思い出す。
「繰り返しては、駄目…か」
嶋本はぱちんと自分の左頬をたたいて。
「おっし。そや、後悔はえいけど、繰り返しはあかん。そやそや、さとりのいうとおりや」
自分に気合を入れながら、もう一度空を見上げた。



垂れ込めた雲の向こうに。
必ず星空はある。
今は見えないけれど、星はきっと瞬いている。




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