どれほどの隊員が、これを差し出す時にさまざまな思いをここにおいていったのか、彼は知っていたつもりだった。
だけれども、隊服を基地長に返し、基地を出るときに、自分が何を思っているのだろう、とは想像できなかった。
それほど、ここにいることは古藤の中では自然なことだった。
ひよこ隊での100キロ行軍、終着点になった『羽田特殊救難基地』の名前を、古藤はゆっくりと撫でた。
そうすれば、特救隊にいた12年間が自分の胸の奥底にゆっくりと沈められそうで。
「隊長…」
静かな低い声に振り返れば、真田が立っていた。
「隊長」
「なんだよ」
「……まだ、止めないでください」
「………」
「まだ、やめないでください」
「…………」
『鷹野が船を下りるそうだよ』
基地長に教えられて、瞠目したのが1週間前。
同じ基地長が告げる言葉を、古藤はおとなしく受け入れた。
『自分はまだ話をしていないけど…どうかな』
『お受け、します』
数ヶ月前から、考えていたことだった。
特救隊を、やめる。
だが、潜水士を続けていきたいと思うと、酒の席で基地長に言ったことを、基地長は覚えていた。
そして、潜水同期の鷹野のあとがまに、と自分を推薦してくれるのだとわかった。
だがそれは。
特救隊をやめる、という事実。
「なあ、真田。お前、いくつになった」
「……24歳です」
「そうか」
若い。
たった13歳違うだけだというのに。
真田は何も、悪くない。
悪くないのだ。
だが、古藤に特救隊から身を引かせる決意を促したのは、真田だった。
若い、真田の心と、体と、その力に。
古藤は、かなわないと思ったのだ。
そして、自ら悟った。
限界、だと。
「なあ、真田。俺にも、24歳だった頃があったんだがな」
突如告げられた奇妙な言葉に、だが真田は黙って耳を澄ませる。
古藤は小さく苦笑して、もう一度冷たい銅版の名前をゆっくりと撫でて。
そして振り返り、真田を見つめた。
「だが、今の俺は違う。今の俺は…37歳だ」
「………」
「真田」
「はい」
「いいか、これは覚えておけ。俺たちは自分の体にここが限界だというのを刻み込んでる。だから潜水士が向かえない救助に向かえるんだ。だけど」
限界は、誰が定めるものなのか。
限界は、誰のためのものなのか。
ぽんと軽く叩かれた肩が、一瞬びくりとはねる。
「限界」
「そうだ。人一番優れているお前が見誤るとは思えないがな」
にやりと笑って、古藤は去っていく。真田はあわてて声を上げた。
「隊長!」
「限界がなんなのか、考えろ」
捨て台詞のような言葉に、真田は眉をひそめ、そしてくりかえした。
「限界」
叩かれた肩が、やんわりと暖かかった。
翌週、編成された新3隊で撮った写真の中で真田は、そのオレンジと紺の隊服に『副隊長』のワッペンをつけて写っていた。
潜水士になって、2年。
特救隊副隊長までの最速記録を更新することになる。