乗り込んだヘリは、思った以上に騒々しくて。
ヘッドフォンをしていても、まだかすかにモーター音が響いていた。
さとりはヘッドフォンから聞こえてくるクルーの会話に耳を済ませながら、眼下に広がる風景を覗き込む。
高さ200フィート。
僅かに地上は煙ってみえる。
だから、怖いというより、ただ景色が底に広がっているだけのようだった。
『氷野先生』
見知った女性機長に呼びかけられて、さとりはヘッドフォンに接続されているマイクを口元におろした。
「はい」
『現着まで5分です』
「了解。準備は」
ちらりと同情してきた看護師を見ると、力強くうなずいて。
さとりも頷き返した。
「準備万端ですよ、いつでもいけます」
『了解』
クター・ヘリ。
簡単に言えば、医者が乗ってる救急搬送用のヘリのことだ。
さとりがドクター・ヘリに乗るようになって、数週間。
出動はER勤務の日は、ほぼ毎日。多いときは日に2度出動したこともある。
それほど緊急を要する患者が、搬送を待っているのだとさとりは実感した。
そして、珍しく消防本部からの救助要請ではなく、海上保安庁からの救助要請にさとりは眉をひそめた。
レジャー漁船の転覆事故。
数名のけが人が出ていること。
そのうち2名はこどもであること。
出血が激しい患者がいること。
それゆえの、ドクター・ヘリ出動要請だった。
その時、さとりの視界に白い船体が見えた。
着船する場所は濃緑に彩られていて。
一度夜間外来で診たことのある女性機長は、手際よく、そしてスムーズに着船した。
『氷野先生、どうぞ』
「五十嵐機長、ありがとう」
さとりがヘッドフォンを外しながら、モーター音に負けないように叫ぶと。
五十嵐機長は微笑んで、力強く頷いた。
ヘリのモーターを落とさずに、巡視船の艦橋と無線で会話する。
とりあえずは、医師の治療待ち。
緊急搬送できる要救助者は既に京阪大学付属病院に運ばれている。
五十嵐は一瞬考えて、クルーに言った。
「待機ね」
「ええ」
京阪大学付属病院の屋上、ヘリポートで待っていた白衣の女性2人に五十嵐は驚いた。
去年の夏に、お世話になった女性医師だったから。
彼女たちがヘッドフォンをつけると、すぐに声をかけた。
『お久しぶりです、氷野先生』
驚いたように顔を上げた女性医師は、しかしすぐに笑顔になって。
『そうですね…夏以来ですか? 五十嵐さん』
たった数回の邂逅なのに。
その穏やかに告げられた、記憶力に驚かされる。
夏に3回ほど、風邪のために通った。
そのときに、五十嵐は患者として氷野さとりという医師を覚えてはいたものの、医師であるさとりにしてみれば、数百数千の患者を診ているだろうに、それでも五十嵐の名前と顔が一致しているという事実。
「記憶力、かな?」
「え?」
五十嵐の言葉に、反応したクルーに五十嵐はくすりと笑って、マニュアルに視線を落とした。