「無理すんなよ、嶋」
「わかって、ます!」
無理するつもりなどない。
プルプルと足が震えるのは、少し不安定な体勢で離れた場所にあるドアノブに手をかけようとしているから。
それは普段、バディの鹿取の役目だ。だが、鹿取が手が離せないから嶋本に役目が回ってきたけれど。
ああ、俺ってホンマに!
自分に悪態をつきながら、もう少しと手をさし伸ばして。
だがすぐ届かないことに諦めて、離れた場所で声が届く鹿取に声をかけた。
「鹿取さん、ちょお待ってくださいよ」
「おう。無理だけはすんな」
それが鹿取の口癖。
安全に業務を進めるためなら、少しぐらい時間がかかっても構わないと、何度も鹿取に叩き込まれているから嶋本は迷うことなく、届かないドアノブに手が届くように考えて。
少しだけ、回り道をした。
「開けますよ」
「おう」
ノブからは、じんわりと暖かみが伝わってくる。
熱が。
伝わる。
その意味を、嶋本はノブを押す直前に気づいた。
「ま、まった!」
「ん? どうした、開けんのか?」
「鹿取さん、これ、あったかいです。ノブがあったかいんですよ」
「あ? 火事なんやから、あたりまえやろ」
「そうじゃなくて」
自分がしているのは2枚がさねのグローブの上に、作業用グローブ。
3重の壁を通り越して、わずかばかり触れたそのノブの暖かさ。
ゆっくりと手を外せば、もっとも外側のゴム製のグローブの一部がノブに張り付いた。
嶋はあたりを見回す。
ここの気温は高くない。
だが、壁だけが。
熱いのだ。
「おい、嶋〜」
「鹿取さん、やばいかも…温検しましょうよ。これ、なんかやばい気ぃがする」
数瞬の沈黙のあと、鹿取が声をあげた。
「嶋、こっち戻って来い。特救隊に連絡した。すぐに温検してくれるやろ」
「はい」
嶋本は鹿取の言葉に素直に従った。鹿取の元に向かうと、幾分険しい表情の鹿取が無線機に向かっていた。
「ええ。は? あ、わかりました」
無線を切ると、鹿取が言う。
「隊長に連絡した。すぐに特救隊が来る」
嶋本が頷くと、鹿取は嶋本の手に目を止めた。
「おい、それ熱くないか?」
「え?」
促された視線の先は、自分の手で。
見れば、剥がれ落ちたグローブの中、2枚のグローブの色が僅かに赤く変色していた。
「あれ? 火傷?」
「痛くないんか?」
「あ、いまんところ」
痛みはほとんど感じない。嶋本がきょとんとした表情で、自分の掌を見つめている間に階段を下りてくる軽やかな音を聞いた。鹿取がそれに気づいて声をあげる。
「こっちです!」
「はい」
銀色に輝く防火衣をまとった二人が、駆け寄ってくる。どちらかと問われて、鹿取は応えた。
「その奥です……おい、嶋。いけるか?」
「あ、いいですよ」
少し的外れな応えは、一瞬嶋本が防火衣の二人に視線を止めていた所為で。鹿取が問うたのは火傷の具合だったのだが。あっけらかんとした嶋本の応えに、鹿取は内心苦笑しながら、
「頼むわ」
「はい。こっちです」
「86.2度か……中途半端だな」
「真田さん、どうします?」
「……この周辺を調べてみよう。闇雲に開けて、バックドラフトでも起こされてはかなわない」
きびきびとした会話に、嶋本は瞠目する。
バックドラフト。
一時的な火災で、密閉された空間で燃焼に必要な酸素を失ったとき、火災は自然鎮火したように見えるけれど、密閉空間を開放し、酸素を与えたとき、それは起こるという。
嶋本は背筋が冷えるような感覚を覚えた。
もし、あの時自分が何の疑問も持たずにドアノブを引いていたら。
「すまないが、この周囲を見てくれないか。密閉空間かどうかを確認したい。決して」
「はい、開けないことですね」
「………ああ」
嶋本の理解の早さに、真田と呼ばれていた隊員は目を細めた。