050 身体に刻まれた限界





警備救難艇から巡視船に乗り込んで、ようやく嶋本は一息つく。
「はあ……」
「しま〜、へばってへんで仕事仕事!」
「はい!」
あたふたと走っていく小さな後姿をちらりと見て、高嶺が真田に言う。
「元気、いいですね」
「ああ……金城隊長に報告しないとな」



ミーティングルームで金城に報告をする真田を、古藤は自分の指定席に座ってじっくりと見つめる。
「………以上です」
「そうか。うん、わかった。2時間、様子を見よう。その部屋の広さだと2時間様子見れば、自然鎮火するだろう」
「ええ」
「高嶺は、どうだ?」
「え? えっと……」
ごつい身体の割りに、目鼻立ちのしっかりした今年の新人隊員のことを、古藤は金城から聞かされていた。
去年、11管出身の金城が石垣でなかなかの潜水士をみつけたと言っていた。その潜水士がこの高嶺だという。
「自然鎮火はするでしょうが…」
「ん?」
「あの、ここの保安官の方が、怪我をされていたようなので」
「なに?」
金城があわてて、古藤を見る。
穏やかだった古藤の表情が豹変した。
「どういうことだ?」
「あ、ちょっとした手のやけどみたいでしたけど……背の低い嶋、だったかな? 呼ばれていた人です。本人も火傷なんて気にしないって感じだったんですけど……グローブが溶けかけているような火傷だったんで」
「たい……古藤さん」
古藤は内線電話のボタンを押した。船橋から答えが返ってくる。
『はい、船橋』
「古藤です。嶋本、いますか?」
『嶋なら警救艇で作業してますけど……』
「すぐに医療室に来るように言ってくれ」



コンコン。
ノックをすれば、答えはすぐに返ってきた。
憮然とした表情の古藤が仁王立ちしているのを見て、嶋本は思わず腰が引けた。
「た、隊長?」
「おう。嶋、聞いたぞ」
「え? な、なんなんですか?」
「さあ、座れ。そして、手を出せ」
「へ?」
言われるまま手を出すと、古藤は思い切り不機嫌な顔をしてみせて。
「お前、火傷、痛くないんか」
「え? あ……」
そういえば忘れていた。
広げた掌、左手の親指のつけねから手首の手前まで一直線に赤い筋になっている。それも表皮がべろりとめくれていた。
ずっとグローブをしたまま作業していたので、その惨状を目にしなかったことが痛みを感じなかった理由のひとつかもしれない。
嶋本がそういうと、古藤は無言で消毒薬に浸した綿球を無造作に、いや、むしろ刺激的に火傷の上に置いた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
「あはは、そりゃ痛かったな」
「隊長! 痛いに決まってるやないですか!」
「そりゃそうだ。お前が生きているから、痛いに決まってる」
手際よく消毒し、薬を塗って、ラップを巻いて、医療用のグローブをはめさせて。古藤は満足そうにため息をついた。
「おっし、できあがり」
再び軽く、しかし火傷の上をぺちりとたたく。
嶋本の声にならない悲鳴が上がった。
「たいちょ〜〜〜〜〜〜〜!」
「おお、そうだったそうだった」
涙目の嶋本がグローブの上からそろそろと掌を撫でる。古藤は手際よく後片付けをすませる。そして再び嶋本の前に座った。
「なあ、嶋本」
「はい」
「いきがるなよ」
「そんなんやないです」
「そうか」
「はい」
「ならいい。痛いもんは痛いと言わんといかん。それが身体の正直な反応だからな。身体が怖いと思うたら、素直にやめること」
「そんなん…」
「身体は正直だ。そして、時には自分を裏切ることがある。心がこう思うていても、身体が拒否することはある。ええか、それが身体に刻まれた、『限界』だ。そのサインを見逃すなよ。それが……生死の境目のことだってあるんやから」
「………」
「それに」
古藤は立ち上がり、嶋本の頭をくしゃりと撫でた。
「俺はさとりに、悲しいお知らせなんて、したくないからな」
「そんなん!」



させません。
嶋本の目はまっすぐに、古藤を射すくめ。
古藤は肩をすくめて微苦笑する。
「そうか。まあ、年寄りの戯言だと思って聞いておけ」




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