052 残酷な問い





翌日、嶋本は休んだ。
その翌日も。
その翌日も。
嶋本の休暇は1週間になろうとしていた。



古藤は待っていた。
病院内のラウンジ喫茶だが、一流の大学病院ともなると、アメリカ資本のコーヒーショップが入っている。
ラージサイズのコーヒーとシフォンケーキを頼んで、待ち人が見えるようなガラス越しのテーブルに座った。
シフォンケーキがほとんど消えたころ、さとりが白衣姿のまま、駆け足で飛び込んでくる。
「ごめん、嘉治にいちゃん」
「いや、無理言って呼び出したのは俺も一緒だから」
ちょっと待ってと言って、さとりはやがてスモールサイズのコーヒーカップを持って、古藤の隣に座った。
「進次のこと? なんかあったの?」
その言葉に、古藤は眉間に力をこめる。さとりは一口コーヒーを飲んで、
「うわ、相変わらずおいしくない」
小さな声でつぶやいた。



「え?」
「有休が山ほど残っているから、問題はない。だけど、そんな事件があったから、みんなが心配している。なのに、嶋本は電話に出ない。連絡が取れない……さとりちゃんなら知ってるかと思っていたが」
「ええ?」
さとりは額を左手で触れながら、うつむいた。
「ちょっと待って。じゃあ、この1週間出勤してないって?」
「ああ」
「それおかしいよ……だって、あたしにはメールが来るよ? ほら」
差し出された携帯の画面には、メールの表示。
発信者は嶋本。
今日も古藤の訓練がきつくて……云々と書かれている。
「そうか」
「進次…」



ねえ、進次。
どこにいるの?
どこで、何してるの?
ねえ、進次……。



数回コール音を奏でて、携帯電話は突然通じた。
『もしもし?』
「進次!」
ようやくつながった電話に、さとりは思わず安堵の溜息をついた。
『おう、どうした?』
「…………進次ぃ」
『なんや、仕事でへまでもしたか?』
穏やかな言いようは、いつもの嶋本と何一つ変わりなく。
さとりは心の中にふりつもった思いをあえて口にせず、ゆっくりと聞いた。
「ねえ、進次」
『あ?』
「今、どこ?」
『…………なんやそれ』
少しだけ、真実を語る。
「今日ね、嘉治にいちゃん、来たんだよ」
それだけで嶋本にはすべてが通じるはずだった。
しばらくの沈黙の向こうで、波の音が聞こえた。
『そうか』
「うん」
『なあ……さとり』
「ん?」
告げられた言葉に、さとりは応えを喪う。



おまえも知っとったんか?
あの時、俺がやってもうたことで、
曽田さん、
潜水士やめなあかんような怪我にさせてもうたこと。
おまえも、知っとったんか?



電話の向こうで、さとりが言葉を失うのがわかった。
自分が残酷な問いをしたことは理解していた。
医師である、さとり。
自分の恋人である、さとり。
矛盾がないようなふたつの存在が、始めて嶋本の前に残酷なまでに、真実を見せた。
さとりは、さとりであって、さとりでない。
だが、それはあたりまえのこと。
理解していたこと。
なのに。
なぜ、さとりに感じるこの言いようのない怒りは、どうすればいい?
嶋本はさとりと同じく、言葉を失っていた。
つながった電話は、だが心まではつながなかった。




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