差し出された小さな折鶴を、さとりは微笑みながら受け取った。
少女は満面の笑みで、それを見つめて。
勢いよく頭を下げて、駆けて行く。
「ちょっと美恵ちゃん!!」
慌てたような看護師の言葉も、退院にはしゃいでいる少女の耳には届かない。
にこやかに母の手を握る少女の横を、すり抜けるように通り過ぎた女性の姿を、さとりは見た。
そして思わず瞠目する。
それは見知った顔だったから。
去年、巡視船に向かうヘリの中で見た、顔だった。
思わず声をあげた。
「五十嵐、さん?」
五十嵐恵子は呼ばれたことに気づいて、周りを見回してさとりを認め、それから小さく頭を下げた。
「そうですか、横浜に異動されてたんですか」
さとりが言うと、五十嵐は小さく微笑んで、
「嶋から聞きませんでしたか?」
「え、ああ…聞いてないです」
さとりが嶋本とつきあっていると教えてくれたのは先輩の田所だった。どこから仕入れてきた情報か、五十嵐の送別会で教えてくれたのだ。
『なあ、五十嵐。お前が可愛がってた嶋本とかいう潜水士、いてたやろ』
『はい』
『あいつな、なんでも京阪病院の女医さんとつきあおうてるみたいやで。背の高い、別嬪さんらしいわ』
そういわれて、五十嵐はさとりの顔を思い出した。
彼女はたった3回診察しただけの五十嵐の顔を覚えていた。
その記憶力に感心したことを今更ながら思い出した。
「少し前に、嶋ではなくて違う人から聞きました。嶋とつきあってるらしいですね」
「あ、そういうことですか」
微苦笑して見せて、さとりはわざとらしく肩をすくめる。
「氷野先生? 物好き、ですね」
思わず告げられた言葉に、さとりは再び苦笑して。
「ほんとに。自分でもどうしてこうも物好きなのか、わからないですけど。とりあえず、周りからはありえない組み合わせだって言われてますけどね」
それは事実だ。
むしろ、もったいないといわれたことすらある。
「自覚はされてるんですね」
続いた言葉は、もう苦笑以外の何者も呼ばずに。
「ええ。自覚してますよ。でも、他人がどう思うかじゃなくて、自分と相手がどう思うかでしょうね」
それはもったいないと告げた同僚に返した言葉と同じだった。
さとりと嶋本の関係に対する、安易な否定が、喉の奥につまって気持ち悪かった。
だけど、さとりはもったいないと言った同僚に、激昂してまで否定したくはなかった。
そんなことは無意味だから。
あの時同僚は鼻で笑って、去っていった。
けれど。
五十嵐は数回瞬きをして、穏やかに笑ったのだ。
「こんなこと、私が言うのは間違ってるとは思いますけど」
「え?」
五十嵐は幾分顔を伏せたまま、静かに言った。
「嶋本のこと、頼みます」
「え?」
「まっすぐ過ぎるのが、問題だけど」
何度か、叱り飛ばした。
自分だって、まだ新人の部類に入るだろう。
だが、そんな自分が見ていても危なかしくって。
ようやく歩き始めた幼子がまろびそうになるのに、手を差し伸べたくなるような、そんな無償の反射だったかもしれない。
気づけば、何度か叱り飛ばした。
小さな身体を精一杯折り曲げて、自分の過ちを反芻し、反省するその姿勢を、五十嵐は嫌いではなかった。
同じ過ちは二度としないようにする、その姿勢が。
やりすぎだと田所に言われたこともある。
だけど、その厳しさは嶋本の、この先伸びるであろう、期待ゆえの厳しさ……のつもりだったが。
それが、嶋本に通じているかどうかは……わからない。
「何度か…進次の話で聞いたことがあります。職場に、とっても厳しい、女性の保安官がいらして」
さとりの穏やかな口調に五十嵐は顔を上げた。
優しく、耳に穏やかに流れ込むさとりの声に。
「よく怒られるのだけれど、でもそれはきっと、八つ当たりとかじゃないと思う……と進次は言っていましたよ」
「………そうですか」
「その女性保安官って、やっぱり五十嵐さんのことですか?」
「多分そうでしょうね。嶋に怒鳴れるような女性保安官は、自分しか思いつかないから」
さとりが少し微笑みを含んだ視線を五十嵐に向けた。五十嵐もまっすぐにさとりを見つめる。
どちらからともなく、苦笑がもれた。