058 進む者





見たことがないほど、古藤は酔ってしまって。
酔ってはいたけれど、比較的元気だった嶋本は底なしに酒に強い鹿取と二人で、熟睡してしまった古藤を官舎の部屋に放り込んだ。
初めて入った古藤の部屋は、意外にもきれいに整頓されていて。
熟睡している古藤をベッドに寝かせて、二人は部屋の鍵をかけて、それを郵便受けに放り込んだ。
飲みなおすから部屋に寄っていけという鹿取の誘いを断って、嶋本は部屋に帰ることにした。
古藤を運んでいるうちに酔いは覚めてしまった。
アルコールに侵された脳が、覚醒していく。
そうなって、初めて気づいた。
競技会で優勝すれば、特救隊へ入隊が認められる可能性が高くなる。
それは間違いないだろう。
だが無条件で入隊を認められるわけではないのだと、いつか古藤が言っていた。優勝しても、その成績が考慮されることを忘れるなと。だが、今日の嶋本の成績は申し分ないものだった。



特救隊に、いける。



それを想像すれば、嶋本の口元は思わず緩んでしまう。
『よかったね、進次』
一緒に喜んでくれた、さとり。
そして、嶋本は気づく。



「あ?」
左の親指の腹を強く顎に押し当てて、ふと立ち止まり考え込む。



特救隊に、行くということは。
横浜に異動になるということ。
それは。
さとり、と離れて暮らすということ、ではないのか?



『向こう、行っても頑張らないとね』
さとりの言葉は。
何を思って、言ったのか。
嶋本は慌てて携帯を開いた。
電話は数回コールして、受話状態になった。嶋本は慌てて声をあげる。
「さとり」
『ん? どうかした?』
「あ、あのな……」
『早く帰っておいでよ。ビール、冷やしてあるから』
その言いように、勢い込んでいた嶋本は一瞬口篭もる。
「な、なんやて?」
『今、どこ? 冷酒がいいかな〜と思って、これから買いに行こうと思って』
最後の声は携帯電話ではなく、携帯をあてていない耳から流れ込んできた。嶋本が顔を上げると、僅かに驚いた表情のさとりがすぐに微笑みながら言う。
「あらら、早かったね」
『さとり』
「おかえりなさい」



「まさかこんなに早く帰ってくるなんて思ってなかったからね」
さとりがテーブルの上につまみを並べて、冷えたビールを嶋本に渡す。
とぽぽと告がれたビールの琥珀色を見つめていた嶋本を促して、さとりは乾杯する。
満面の笑みで。
「さとり」
「おいしいね、やっぱり」
「さとり……」
嶋本が幾分俯きながら、さとりの名前を呼ぶ。さとりは嶋本の声を聞かなかったように、独り言を続けた。
「あ、マヨネーズがないや。冷蔵庫に確か残ってたよね? なかったら作らないと…いいや、コンビニに行けば早いし」
立ち上がったさとりの、しかし穏やかに笑っていられる様子に、見上げた嶋本はつぶやくように言った。
「さとり」
「ん?」
「お前は……平気なんか?」



胸の奥で、うずまくもの。
まるで呼吸をふさぐように喉の奥に移動して。
さとりの思いを、ふさぐように。
さとりは笑顔を絶やさないようにしながら、言う。
「なんのこと?」
「お前は………俺が羽田に行っても平気なんか?」



さとりは微笑みのまま、目を閉じた。
口元には微笑を残した。嶋本が自分を見つめているのはわかっていた。
不安な顔は、見せられないから。
笑って、送り出したいから。
でも。
胸の奥で、うずまくものが。
言葉を、迸る。




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