「そりゃそうだ」
古藤の言葉に、嶋本はがっくりと項垂れるしかなかった。
「ようやっとさとりちゃんも気づいたな。それが普通や。今まで気づかんかったおまえが悪いやろ」
一方的に嶋本を悪者に仕立てて、古藤はけらけらと笑った。嶋本は不貞腐れた表情で、ちらりと古藤を見上げた。
「俺、ですか?」
「そうや」
「………………そんなもんかな」
「ま、それはそれとして」
古藤は嶋本に索を渡す。嶋本は不貞腐れた表情のまま、それを受け取り、片付ける。
「さとりちゃんもよう今まで文句ひとつ言わんと我慢したと、俺は思うぞ? 付き合い始めて2年か?」
「はい」
「一回も文句、いわんかったのか? 洋上とか緊急出航とか」
「それは」
嶋本は思い出してみる。
緊急出航も何度もあったけれど、それ以上にさとり自身の緊急呼び出しの方が遥かに多い。休みだからと嶋本の家にいても、ひっきりなしに電話がかかってくることも何度もあった。すぐに着てくれと呼び出されたことも。外食の約束をしていて、直前になって『ごめんなさい!』と電話がかかってきたことも一度や二度ではない。
そうか。
「よく考えたら……俺の方が振り回されてるかも」
「あ?」
嶋本の説明に、眉をひそめていた古藤も頷く。
「さとりちゃんの性格からしたら、自分が振り回してる自覚があったから、なおのこと、言えんかったやろな……おまえ」
古藤がくしゃりと嶋本の頭を撫でた。
「まさかと思うけど、今更そんなこと言うな、なんて言うてないよな?」
「は?」
「まさか、な?」
「言いませんよ! そんなこと。ただ……」
「ただ?」
自分の癖の強い天然パーマな髪を、古藤がくしゃりくしゃりと崩してしまうのを頭を振って阻止しながら、嶋本は言葉を選んだ。
「ただ、びっくりしたんです。あいつがそんなこと言うなんて、そんなこと思うてたなんて、俺、思うたこともなかったんで」
「さとりちゃんはもともと……」
言いかけて、嶋本は言葉を飲み込んだ。
嶋本が言葉とともに、自分の頭を弄っていた古藤の手が止まったことに気づく。
「たいちょ?」
「……………ん?」
「さとりはもともと…なんですか?」
まっすぐに見つめる嶋本の少し切れ長の目を見つめて、古藤は小さく長く溜息を吐きながら、
「さとりちゃんは昔も自分の感情を隠しつづけて……最後に爆発させてた。ひかりちゃんがよく言ってた……あの時も、そうだったな」
「あの時?」
「ん? ああ、昔の話……」
父が逝き。
後を追うように、母も逝った。
たった二人、残された姉妹。
母方の祖父母に引き取られるその日まで、小さな小さな妹は一度も、そう、母の死のその時も、泣かなかった。
『元気でね、さとりちゃん』
くしゃりと頭を撫でられて。
そのとき、箍が外れたように、少女は泣いていた。
いつまでもいつまでも。
泣いていた。
それが、『正院さとり』を見た最後だった。
「なあ、嶋本。俺は、5年つきあって結婚した女房に、1年で愛想つかされて離婚したよ」
ゆったりと紫煙をくゆらせながら、古藤が言う。
「こんな生活してるなんて、思わなかっただと。ていうか、5年付き合ってる間に、同棲なんかも人並みにしてみて、相手も俺の生活、わかってたつもり、だったんだけどな」
「隊長……」
「まあ、特救隊に入って半年で離婚を言い出すとは思ってなかった俺の方にも、きっと甘えがあったんだろうよ。とはいえ、子どもがいなかったのがせめてもの救いといやあ、救いだな。ちなみに俺の元女房、官舎で知り合った税関職員と仙台で子ども3人と一緒になってる。特救隊と税関職員の違いっていえば、出動があるかないかぐらいだけどなぁ……まあ、家にいないってだけじゃなかったんだろうけど。元女房がよく言ってた。話をしたいときに、俺はいないって」
「…………」
「話、するんだな。ちゃんと。全部。それから始めることだ」
「しましたよ」
ついとあげられた嶋本の横顔を、少し頼もしげにみやって。
古藤は肩をすくめた。
「俺は、さとりとずっと一緒にいるつもりですもん。結婚とかはまだ…考えられへんけど、いずれはそうなるのもえいかなとは思うてます」
「……そうか」
「ええ」
「なら、いいさ」